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07

俺に手を出したやつは重たい処罰が下される。そう和光に聞いていた。けれど、目の前の男はそんなものどうでもいいと言わんばかりに意図も容易く破るのだ。 巳亦との会話が頭に過る。 もしかして、本当に、この地下監獄は治外法権下に置かれているというのか。 ならば、と思うとゾッとしない。本当に、殺される。 「……っ、離せ」 磔にされた手が震える。それをぐっと握り絞め、力を振り絞った。怖い、死ぬほど怖いが、その恐怖を認めてしまえば本当に呑まれてしまいそうになる。 「……随分と震えてるな。今更怖気付いたか」 獄長は薄く、冷ややかな笑みを浮かべる。見れば見るほど造形物のような無機質な笑顔だ。俺は、獄吏たちが土人形であるというのを思い出す。そして、獄長は水が苦手なのだということも。 ……どうにかして、逃げられないか。 眼球だけを動かし、辺りを見る。なんとか水がある場所まで逃げれたらと思うのだけれど、それ以前にこの体勢では逃げることも敵わない。 「何を見ている」 「……ッ」 「……勘違いしているようだが、お前は俺から逃げることは不可能だ。言っただろう、その甘ったれた思考を矯正してやると」 靴の裏に負荷を掛けられれば、頭蓋骨が音を立てて軋むのが分かった。頭が割れそうだ。それだけではない。全身の痛みに、腹の中の臓物が口から飛び出そうな気すらした。 とにかく、この鎖から抜け出さなければ。 「逃げることは、出来る。不可能じゃない。……だから、逃げられることが怖いから、こんな鎖で拘束してんだろ」 下手したら殺されるだろう。それでもいい。どうせこのままでは嬲り殺しにされるだろう。ならば、と思い切って言い返したとき、「何だと?」と獄長の片眉が釣り上がる。端正なその顔に怒りの色が滲む。 「弱い人間相手にこんな何重にも拘束してんだ。……本当は自信ないんじゃ……」 ないのか、と言い終わるよりも先に、動き出した鎖により思いっきり壁に叩きつけられる。痛みよりも先に全身を抉るほどの衝撃が走り、一瞬、思考が飛ぶ。口から何か溢れたような気がした。声も、息も出ない。だけど、全身を拘束していた鎖は離れた。 自由になった手足。けれど指先に力が入れられず、俺の体はそのままズルズルと壁から落ちる。 「拘束がなければ何も出来ない、そう言ったな、人間」 カツリ、と音を立て、目の前までやってきた獄長に顎を掴まれる。霞む視界の中、怪しく光るその目に覗き込まれた瞬間、全身から力が抜ける。そう、抜け落ちた。まるで自分の体ではないような、体と脳味噌が切り離されたような感覚に陥り、困惑する。 なんだ、なんだこれ、おかしい。 心臓がバクバクと早鐘打つ。焦点が合わないのに、やつの目からは逸らせない。 「『罪人には直接手を出さずに拘束する』、そう決めていた。……何故だか分かるか?」 頭の中、直接脳味噌に響くその低い声に、息が浅くなる。唇すら動かすことができない。思い通りに体が動かない。まるで、『何者かに乗っ取られた』みたいに。 何も答えられないと分かっていてこの男は俺に問いかける。 「俺が直接手を下すと、使い物にならなくなるからだ。どんな極悪人もただの肉塊になってしまう。……そうなれば、この監獄で罪を償うことも不可能になるだろう。それを避けるために俺は直接手を出さなかったのだが……人間、どうやら貴様はそれを所望するようだな」 息を、呑む。その言葉の意味は、すぐに理解した。 指先が、動かない。唇も、呼吸すら儘ならない。眩む視界の中、獄長の冷笑だけは鮮明に焼き付く。 「苦しいか。……そうだろうな、お前の息の根を止めることなど造作もない。お前の体は今もうすでに俺の物だ。……分かるか?この心臓も、俺が止めようと思えばその生命活動を終える。お前の体は俺の傀儡となったのだ」 喘ぐ胸。そこを衣類越しに撫でられる。心臓の辺りを指先で突かれ、体が強張る。俺の思い通りに動かないのに、与えられる刺激は鮮明に、より鋭く流れ込んでくるのだ。 「……頭を垂れろ」 「……ッ」 「頭を垂れ、地面に伏せて詫びろ。貴様のせいで汚れたこの靴を清めるのだ」 誰が、そんなことするか。 屈辱のあまりに叫びそうになるが、やつに乗っ取られた体は言葉をろくに発することもできなかった。 膝が、折れる。嘘だろ、と思った次の瞬間、俺の意志関係なく俺の体は額を地面に擦りつけ、土下座するのだ。 嫌だ、嫌だ、こんな真似したくない。そう思うが、体は勝手に動くのだ。 獄長は何食わぬ顔してその爪先を俺の顔に擦り付ける。硬質な黒革のブーツが目に入る。 いやだ、嘘だろ、やめろ。頭の中で叫ぶ。けれど、俺の体には届かない。躊躇いなく口を開き、舌を出した体は、そのまま獄長の靴裏に舌を這わせた。 「っ、……申し訳ございませんでした、ユアン獄長様」 喉奥から発せられたその声は自分のものなのに、他人のように聞こえたのは言わされてるからだろう。この男の仕業だろう。だって、俺はこいつの名前なんか知らない。 靴に舌を這わせる俺を見て、男……ユアン獄長はせせら笑う。「貴様、可愛げがある顔も出来るのだな」と、まるで面白い玩具を見つけたかのような顔で。

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