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第1話 眠り薬

 城下街、紅麗(くれい)。  麗城から少し離れた位置に存在するこの街は、麗国の中でも一番の賑わいと人が溢れる、首都とも言える街だ。  『紅麗』と呼ばれる、魔除けを施した紅の紙を燃やす燈籠が街のいたるところにあり、人々を魔妖(まよう)と呼ばれる『人ならざるもの』から護っている。    夜になっても決して消えることのない、『紅麗』の明かりが、ぼんやりと夜の世界に彩りを加えていた。  紅麗の夜は歓楽街だ。  酒屋を始め、薬屋や春画を売る屋台が出、遊楼へと誘う店子達の粋な声掛けが始まり、活気に満ち溢れる。  そんな紅麗の中心部から少し外れた、『紅麗』の明かりの届きにくい暗がりの場所に、薬屋『麒澄(きすみ)』はあった。 「……出来れば、薬には頼って欲しくないんだがなぁ、香彩(かさい)」  葉煙草を燻らせながら、呆れたような色を含む目で、香彩と呼ばれた少年を見るのは、三十も半ばを過ぎた男だった。  名を麒澄(きすみ)といい、この薬屋の主だ。  元々は魔妖や竜や鬼といった、人外用の薬を専門に扱う薬屋だったが、依頼があれば人用の薬も作る。  だがその代金は金銭ではない。  物々交換をすることもあるが、多くは『その薬を使う理由』に、麒澄が興味を惹かれるか否かだ。薬作りを断ることも多く、一切の妥協はしない。  そんな彼が充分に興味を引く人物がいる。  苦笑いで薬を受け取る、この香彩だ。  白の布着に、紅紐で胸と長い袖部分に縫い取りの装飾を施してある、縛魔服(ばくまふく)と呼ばれる正装を着込んだ少年の、高く結い上げ背に落ちる、春宵の春花のような藤紫の髪が、さらりと揺れる。  香彩の『代金』は、麒澄にとって刺激的であり、時に危険なものもあったが、充分に楽しませて貰うことが多かった。  だか今回ばかりは流石に心配だった。  もう幾度目になるのだろう。  こうやって香彩が薬を取りに来たのは。   「毎日飲んでるわけじゃないから大丈夫だよ」 「……もう毎日、というわけではないんだな」    麒澄の言葉に、香彩は無言で頷く。   「今はどれくらいの頻度なんだ?」 「……四日に一回くらい」  何かを諦めた、そんな表情を浮かべたまま答える香彩の頭を、麒澄はたまらず、くしゃくしゃに撫でた。  何するのと不機嫌な顔になりつつも、その憂いは決して晴れることはない。  眠れないのだと香彩は言った。  彼が城からいなくなる夜は、どうしても眠れずに夜を明かすのだと。  だから麒澄は与えたのだ。  一時の夢を見る眠り薬を。  だが慣れもあってか効果は少しずつ薄れ、今は強めの薬を処方している。  それでも眠れてはいないのだろう。  香彩の顔色はあまり良くない。  たとえ薬の力で眠れたとしても、心の中の叫びに蓋をして見ない振りをしていれば、いずれ身体に異常をきたすのは目に見えている。  眠れない理由を解決することが、一番の近道だ。  だが香彩自身がそれを望んでいないのだと、麒澄は気付いていた。  『眠れない理由』を『解決』することが、今まで築き上げてきた関係そのものを壊すことに繋がるのならば、香彩はたとえ自身が潰れても、解決することはないだろう。    香彩が十八になった日から、まことしなやかに広まる噂がある。それは意外性も伴って、少し離れた紅麗にも拡がりを見せていた。    竜紅人(りゅこうと)が紅麗の遊楼通いをしている、と……。  彼は香彩の想い人だった。          

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