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 どこから間違えていたのか。  ずっと理解していたつもりだったのは俺だけだったのか。恐らく最初から、俺はあいつのことを何一つ理解できてなかったのか。  考えれば考えるほど吐き気がした。  ずっと、何をされても耐えられた。それはまだ俺はあいつを信じれたからだ。  けれど、今は。 「…………」  どうやって自分の部屋へ戻ってきたのかすら覚えていない。あいつがシャワー浴びに行った隙に部屋を飛び出した。体は死ぬほど痛い。けれどそれ以上に体を洗い流したかった。  熱湯をいくら頭から浴びても気分が晴れることはない。  情けない、悔しい、腹立たしい。  それ以上に、胸にぽっかりと大きな穴が空いたような喪失感は誤魔化すことすらできない。  誰とも顔を合わせたくなかった。部屋にいたら勇者が来るかもしれない。そう思うと耐えられなかった俺は、体を無理矢理動かして宿屋を出ようとする。一階には勇者を待ってるらしいシーフたちがロビーで話していた。最悪だ。 「あれ、お前一人かよ」 「勇者はまだ上か?……って、おい!無視かよ!」  誰にも会いたくない。話したくない。顔も見られたくなかった俺はそのまま宿屋を飛び出した。  とにかくここから離れたくて、誰も来ないような場所を目指して走る。体が痛い。  後先のことを考える余裕すら俺にはなかった。  気付けば俺は教会へとやってきていた。  祈りたいわけでも、神に縋りたいわけでもない。けれど、自然と足が向かっていたのだ。  寂れた教会の中は静まり返っていた。  教会にいるのは助けを求める人間だけだ。誰も、自分のことしか見ていない。俺が来たことに気付く人間もいなかった。  ステンドグラスが青く照らす教会内部。  祈るわけでもなく、俺はただそこにいた。  帰りたくない。顔も見たくない。こんな風に思ったのはあの日、勇者に追放を命じられたあの夜以来だ。俺はあの時から何も変わっていない。  膝に顔を埋め、座る。  何も見たくない、聞きたくない、考えたくない。  こんなとき、あいつがいつも隣にいてくれたから耐えられた。けど、今あいつはここにはいない。  不意に音が止む。  腰を下ろしていた長椅子、その隣に誰かが座る気配がした。顔を上げる気力もなかった。こんなにガラガラに空いてる寂れてる教会の中でなんで、なんていちいち気にする気にもなれなかった。 「駄目だな、それじゃあお祈りにならない」 「神に祈るときは顔を上げるんだよ、じゃないと天まで伝わらないからな」聞こえてきた声に、俺は息を飲む。顔を上げれば、そこにはローブを羽織った魔道士が足を組んで座っていた。  そして、横目で俺を見ていたやつは笑うのだ。 「酷い顔だな。勇者と喧嘩でもしたのか。あいつも酷い顔をしていたぞ」 「……何しに来たんだよ」 「勇者がお前を探し出せとさ」 「……ッ!」 「ハッ、本当にわかり易いやつだな。……帰りたくないって顔に描いてあるぞ」  背筋が冷たくなる。  俺は立ち上がろうとするが、伸びてきた手に手首を掴まれ、再び座らせられるのだ。 「待てよ」 「離せ……ッ!俺は帰らない……ッ!」 「帰らない?……出ていくつもりなのか?」 「……ッ」  魔道士の問い掛けにハッとする。  ……帰りたくないのは本心だ。けど、いずれ俺は戻らなければならない。そうしなければ悲願を達成することが叶わないからだ。  そう思っていた。けれど、俺はそれを拒もうとしている。心と体が噛み合わないのだ。  言葉に詰まる俺に、魔道士はただうっすらと笑みを浮かべたまま俺を見つめるのだ。 「なあ、俺が言っていた言葉覚えてるか?」 「……なにが」 「俺は別に今のパーティーに執着してるわけじゃない。出ていっても構わないって」  何食わぬ顔して続ける魔道士。  ……忘れられるわけがない。こいつの腹の奥を知ったあの最低な日まだ記憶に新しい。 「それが、なんだよ」 「お前が帰りたくないっていうならこのまま二人で抜けるか?」  一瞬、俺はやつの言葉の意味を理解できてなかった。  あいつは相変わらず底意地悪そうな顔をして俺を見下ろしていた。 「な、に言って」 「このまま帰る必要はないって話。俺も、お前と一緒なら別に構いやしないし」 「……っ……」 「言っとくが俺は本気だ。お前がその気なら別に構わない。……というか、俺にとってはそっちの方が都合がいい」  この男と二人で逃げる。  そんなこと、考えたこともなかった。考えたくもなかった。  冗談じゃない、この男が俺にしてきたことを思い出せ。本性を思い出せ。そう以前の俺なら即座に断っていただろう。けれど、今、それを即答することができない俺がいたのだ。  迷っていること自体がおかしい。何が大切なのか、俺はわかってるはずなのに。 「お前は魔王をぶっ殺したいんだろ?……それならまた新しいパーティー組めばいいだろ。なんなら、俺の知り合い呼んでもいいし。別にここに拘る必要はないはずだ」 「……っ、俺は……」 「それとも、やっぱ喧嘩しても大好きな勇者からは離れ難いか?」 「……ッ!」  顔がカッと熱くなる。俺は、力を振り絞って魔道士の手を振り払った。 「馬鹿にするなよ……ッ!お前と組むくらいなら俺一人の方がましだ!」 「おいおい、教会ではお静かにって知らないのか?」 「ぁ……っ」  慌てて口を抑える。何事かと数人の信者たちがこちらを振り返った。居たたまれなくなり立ち上がれば、魔道士も続いて立ち上がる。 「帰るのか?」 「……俺の勝手だろ、お前には関係ない」 「いーや、関係あるな。俺と来ないならお前を勇者のところに連れ帰るだけだ」  そう、魔道士に腕を掴まれる。手袋越し、触れられただけで体が反応しそうになった。 「……っ!離せ!」 「駄目だ。お前みたいな雑魚、ほっとくと弱小モンスターにやられて死に兼ねないからな」 「……っ、痛……」  引っ張られる拍子に下腹部が痛み、堪らずバランスを崩しそうになったとき、魔道士がこちらを向く。 「怪我してるのか?」 「お前には……関係ないだろ」 「何年お前のヒーラーやってると思ってんだよ。……ったく、ほら、ちょっと待て」 「っいい、いらねえ!」 「いらねえってなんだよ、良いから傷見せろ。どこ怪我してんだ」  そう教会の中で問い詰められ、俺は「やめろ」と必死に魔道士を押し退ける。顔を掴んで引き剥がそうとしたとき、魔道士はなにかに気付いたらしい。舌打ちをし、「わかったよ」と立ち上がった。けれど、俺の手は離さないままだ。 「っ、おい、メイジ……」 「場所を変える」 「は……っ、おい離せって……!」  メイジ、と何度も声をかけるがやつは俺から手を離すことはなかった。  そして半ば強引に教会から引っ張り出されるのだ。

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