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09

 キスをされたのは二回目だ。  抱き締められたのも、初めてではない。  好きだと、好意を伝えられた。  俺もナイトのことは嫌いではないし、こんなことになったとはいえ感謝もしていた。  それなのに、俺のことを好きだと言ったナイトは苦しそうだった。  何故突き放す必要があるのか分からない。  またとはなんだ。混乱する頭の中、理解した瞬間背筋に冷たいものが走る。  俺はナイトの胸を押し返し、引き剥がした。 「っ、……お前、まさか……さっきメイジと話していた約束って……」  嫌な予感が脳裏を過った。  信じられない思いでナイトを問い詰めれば、やつは唇を噛み締め、押し黙るのだ。 「ナイト……っ」 「……勇者殿は、貴殿が誰か一人でも特別扱いすることを望んでいない」 「また、昨夜のようなことが起こりうるということだ」そう、静かに続けるナイト。  怒りに顔が熱くなるのがわかった。  メイジの開き直った態度からして感じていた。それでも、それ以上に引っかかったのは……。 「ナイト……お前は、それでいいって約束したのか……っ?」  平静を装ったつもりだったが、僅かに声が震えてしまった。ナイトの視線が揺れる。 「ナイト」と先を促せば、やつはこちらをそのままゆっくりと俺を見た。  そして。 「――ああ、そうだ」  ずっと、認めたくなかった。  メイジやシーフ……イロアスのせいだと言い聞かせ、決壊しそうになるそれを無理矢理繋ぎ止めてきた。  けれど、それすらも全て壊された。  ナイトによってだ。  ナイトを突き飛ばす。  避けようとすれば避けられたはずだ、予め防ぐこともできた。けれどナイトはそうしなかった。 「……俺は、アンタだけは……っ」  ――信じていたかった。  イロアスに抱かれても、メイジに抱かれても、シーフに抱かれてもまだ耐えられた。  それはナイトがいたからだ。ナイトが一人の人間として俺を見てくれたから、接してくれたからだ。 「アンタだけは……っ」  言葉の先は出なかった。  ナイトの顔を見ることも耐えられず、俺はナイトの前から逃げ出すように部屋を飛び出した。  ナイトは最後まで俺を止めなかった。  ……逃げ出す俺を止めなかったのだ。  最初にイロアスの条件を飲んだ時点で間違えていた。あのときはこの場所にしがみつくことに必死だったから承諾したのだ。  けれど、今は違う。それを望んだつもりはない。  心のどこかでまだ俺はナイトを信じていた。 「一緒に逃げ出そう」そう言ってくれることを信じていた。けど、それは俺の妄想だ。  ナイトだけでもせめて助けたかった。  けれど、ナイトはそれを望んでいない。あいつはここに残ると決めた。――俺がいるからだ。  考えれば考えるほど頭の中がグチャグチャになり、思考が纏まらない。  いつの間にかに俺は建物の一階まで来ていた。  不思議なことに建物内に人気はない。  何故、とは思わなかった。もうどうでもいい。こんなところさっさと出ていってやる。俺だけでも。  そう、そのまま玄関口から出ていこうと扉に触れようとした瞬間。扉に触れた指先にヂリ、と電流が走った。 「……っ!」  咄嗟に飛び退いたときだった。 「……言ったろ、ここからは出られないって」  いつの間にか、ロビーのソファーに腰をかけたメイジがそこにいた。  優雅にお茶を飲んでるやつに、ただでさえ昂ぶっていた神経を逆撫でされる。 「今すぐこの魔法解けよ……っ!」 「できないな」 「なんで……っ」 「そういう約束だからだ」  イロアスの顔が浮かぶ。腹が立った。  好きだとか助けてやるとか抜かしていたくせにあいつの肩を持つのかと言ってやりたかったが、そんなことしてもこの男を喜ばせるだけだ。  ぐ、と唇を噛んで言葉を飲み込む。 「なんだ、ナイトに振られたのか?残念だったな、二人で逃げるつもりだったか知らないがあいつを説得しようとしたって無駄だ」 「……っ、お前が……変なことしたんだろ、吹き込んで……ナイトを……」  そう、メイジに掴みかかろうとすればやつは避けもせずに手にしていたティーカップの中身に口をつけ、薄く微笑んだ。 「……そうだって言ったら?それでお前は満足するのか?」  全てをメイジのせいにする。ナイトは操られていて、さっきの言葉は全て本心ではない。  そう思い込むことは簡単だ。けれど、ナイトは自分で言った。本心だと。それにこの男も。  分かっていた。理解したくないのは、全部嘘だと思い込みたいのは俺だって。

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