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※ 第2話 ②

 扉が叩かれることはなかった。取っ手を回して鍵が落とされていないと見て取るや、それは破るような勢いで開かれる。  なだれ込んできたのは5、6人程だろうか。懐中電灯の光が一条、夜空を走る索敵灯の如く、部屋中を照らし付ける。  寝入りばなの襲撃に、身を起こすことも出来なかった。どちらにしろ、先陣切って突入してきた影の主がベッドへ乗り上げ、喉元へ鋭利な先端を突きつける。 「大人しくな」  押し殺されてはいたが、ヨシュアはその声の主の正体にすぐさま気が付いた。 「動かずいい子にしてたら、怪我なんかちっともしないからさ」  空いている手でシーツを剥ぎ取ると、セバスチアンは取り囲む仲間を顎でしゃくった。  誰かが泣いていると知ったのは、その時のことだった。口の中へ押し込まれていた靴下を引き抜かれ、それまで微かに漏れ聞こえる程度だったしゃくり上げの勢いが増す。残っている連中全員に取り押さえられながら身体を引き回されるたび、それは汗で湿気た部屋の空気に精彩を欠いて反響した。  しばらくはもがいていたらしいが、何しろ多勢に無勢だ。寝台のすぐ傍らまで引きずられてくる。まだ落ち着きなく振り回されている懐中電灯が、少年の頬を伝う涙の痕を照らしつけた。 「許して、セブ」  すっかり怯えきったレヴィは、ただでもあどけない声を、舌がもつれて聞こえるほど震わせている。 「お願い、堪忍してってば。もう二度とやらないから、酷いことしないでよ……」 「二度としないって、それ一体何度言った」  勝ち誇った物言いに合わせて、胸が反らされる。大人の幅広さを持ち始めたそこへ、首から下げた金色の十字架が踊るように纏わり付いた。  訳が分からぬまま状況に流されていたのは、下肢に数本の手が伸びて来るまでのことだった。暴れようとすれば、すかさず下着から覗く、少年のむき出しの脚が繰り出される。立てた片膝で挟み込み、セバスチアンはヨシュアの胴と腕を拘束した。喉へ食い込む固さに、痛みが混ざる。  寝間着は下だけ取り払われる。それだけで十分だった。不格好なおむつに、訝しみがざわりと広がる。  本当は更に猛烈な勢いで四肢をのたくらせ、身を隠すべきだったろう。なのにヨシュアは視線に貫かれ、その場へ展翅されたかの如く、凍り付いてしまった。  当惑は、やがて怖じ気付きに変わる。彼らの中で、セバスチアンただ一人が勇敢だった。胸へ半分乗せていた尻を蠢かし、身を捩る。 「何ビビってんだ。さっさとしろ」  そう口にしながら、おずおずと伸ばされる手を待つ忍耐すら持ち合わせていない。おむつの裾へ指を突っ込み、強く握りしめる。そこから対角線上に性毛の生え際まで、閃いた飛び出しナイフは遠慮なく布を切り裂いた。  そんな彼ですらも、現れたものを目にした時は息を飲む。キシロカイン軟膏の刺激臭が辺りへ漂い、周囲が隠されていたものへ気づいたのは、数拍遅れてのことだった。彼らは驚愕の余り、嘲ることすら出来なかったらしい。肘での小突き合いや、声の囁き合いがぱったり途絶える。  静寂は、うっすらと汗を掃く肌へ痛いほどだった。口を塞がれていないのに、ヨシュアは喉の奥へ落ち込んだ舌を、ぴくりとも動かすことが出来ない。もう事は、自らの手の届きようがない場所にあるのだ。 「何だよ、これ」  一番に口を開いたのはレヴィだった。豊かな大地の色をした瞳から、涙は乾きつつある。 「一体どうして……気持ち悪い」  それ以上、独断場にさせるつもりはないということなのだろう。はっとなったセバスチアンが、目の前の髪を思い切り鷲掴む。  加減も何もなく引っ張られて、ぶちぶちとちぎれる毛に、悲鳴が響き渡った。レヴィの鼻先は、だらりと垂れた竿へ触れるかどうかという位置まで押し下げられ、やっと止まる。身を屈めたセバスチアンの出す声は、こんな年の子供が出しているとは思えない、凄みの利いたものだった。 「ちょっと位おかしがろうが構うもんか。何にしろ、奴さんが腑抜けでも、こっちはなかなかご立派なもんだぜ、なあ」  その促しで、残りの少年達も弾かれたかの如く身じろいだ。生け贄と化した少年を拘束する手へ、一斉に力が込め直される。 「おい、ど阿呆、おぼこちゃんよ。このでっかくて、たまらなく臭えものをよく見ろ。これが大人の一物ってもんだ。そんな何にも知りませんよってツラしてやがっても、お前のちんぽこだって今にこうなるんだぜ」  拒絶して、右へ左と首が振られることで、鼻先が陰毛を掠めると分かったのだろう。早く短い恐怖の喘ぎと、ぱたぱた滴り落ちる熱い涙が、敏感な性器の粘膜へと打ち付ける。 「何なら、一足前にどんなもんか味合わせてやろうか。やれよ、お前のお袋みたいにさ。こんなの朝飯前だろ」 「やめろ、母さんのことを悪く言うな」 「なんだ、まだ反省してないのかよ」  微かに逸らされた顎と、拳によって後頭部へ加えられた圧に、少年の唇は一瞬だが、間違いなくヨシュアそのものに触れた。顔を悶え歪めるセバスチアンの、発作じみた哄笑がつんざく。 「何度だって言ってやる、雌犬から生まれたろくでなし! さっさと吐け、吐けよ!」  遂に柔らかい毛先が肌をくすぐり、滑らかで弾力に富んだ若い肌が頬ずりでもするように性器へ押しつけられる。臭くべたつく軟膏が涙と入り交じり、頬をぎとぎとと汚す段になり、とうとうレヴィは音を上げた。 「言う、言うから……! 全部戸棚だよ! 緑色のセーターの中!!」  震える熱い呼気を、興奮として受容出来る人間もいるのだろう。だがヨシュアには、到底不可能だった。涙ほど胸を痛めるものもない。特に相手が子供の場合は。彼は神賭けて、若く美しい彼らを心の底から愛していた。 「手間かけさせやがって、盗人め」  執拗ないたぶりと裏腹、お開きはあっけない。  責め苦が終わりを告げても、レヴィはヨシュアの下半身に突っ伏したままだった。  掌に張り付く毛を叩いて落としながらセバスチアンが浮かべるのは、徹底的な軽蔑だった。これが誰に向けられているのか、ヨシュアには分からない。普段ならば一番に気にするところなのだが。 「次やったら、こんなもんじゃ済まさないからな。お前のタマも切り落として、喉に押し込んでやる」  飛び出しナイフの刃は、寝間着代わりで身につけた袖無しシャツで丁寧に拭われた。獰猛に輝く切っ先が、胸からぶら下がる金色の十字架を掠め、硬質な響きを立てる。  ぱちりと音がしてしまわれた頃には、腹の上の重みもヨシュアを解放していた。なのに、彼の気配は残り続ける。啜り泣き続けるレヴィの身体が引き離され、人の気配がぞろぞろと部屋を出て行っても、なお。  再び静けさが部屋に満ちても、ヨシュアは寝返り一つ打つことが出来なかった。むっとなる若者達の体臭が薄まり、太ももの涙と塗薬が冷え始めてから、ようやく自らの身へ起こったことを認識する。  辱められたのはあの可哀想な少年だった。自らは余興で、しかもお互いが予期しなかったものだ。だが、好奇と嫌悪のない交ぜになった視線を無かったことには出来ない。これから先、彼らはこの醜悪を忘れず、ヨシュアのことをまるで蛆虫じみた風に扱い、侮蔑することだろう。  いや、それが一体何に問題になる。自らは、望んでいたのではなかったか。断罪を。罰を。そもそも、冷たい法廷で判事が槌を振り下ろす前から、悦びは苦しみと共にあったのだから。  ならば何故、自らの心はこんなにも冷えきり、石よりも固く縮こまっているのだろう。まるで、傷つけられるのを恐れているかのようではないか。  そう、ヨシュアは望んでなどいなかった。もしも何かあれば、鞭を振り下ろす手を掴んで止められない位置から、厳しく打ち据えられることを。  真理に辿り着いた時、何故か本来覚えるべき自己嫌悪よりも、安堵が勝った。虚脱が強張っていた身体を弛緩させる。  それまで内股へぺたりと張り付いていた性器から、熱い液体が迸った。つんと独特の臭気は、他の全ての匂いを凌駕する。小水はシーツで吸い込みきることが出来ず、やがて尻から腰までじわじわと広がっていく。  屈辱も、羞恥も感じはしなかった。ただ痛くて堪らなかった。  だからヨシュアの上げた唸りが、獣の咆哮じみたものであったとしても、何らおかしなことではなかったのだ。  それは時を追うごとに大きく、喉が擦り切れそうな響きを持つ。ヨシュアは叫び続けた。肺の中の空気が全て押し出されれば、まためい一杯吸い込んで、声とすら呼べない声を暗闇の中に放つ。こんな時の為の言葉を、彼は何一つ持ってはいなかった。元々、誰かに訴えるつもりもないのだから、当然の話だった。  そんな事を思う段階は、遙か昔に通り過ぎていた。いっそ泣くことでも出来たら、どれだけ他人の気を惹けただろう。だが今、頬へは涙の代わりに、こめかみから流れる汗が伝うばかりだった。  敵は自らに他ならないのだから、戦うのも己一人でしかない。だが何と孤独なのだろう。何と険しいのだろう。果てしない道のりに、ただただ絶望が募る。出来ることならば、のし掛かる罪の重みで押し潰されてしまいたかった。  もう前に進むどころか、戻る道すら見失ってしまった。このまま力尽きるのを待つのが、残された唯一の手なのだろう。  そう思っていたのに、激情へ塞がった耳は、ひたひたとした足音を捉える。

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