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享楽だけが人生か Ⅴ

体中が痛かった。目を開けると少し外は雨が降っているようだった。夏衣はずるずると体を引き摺って、襖を少し開けた。予想通り、小雨が降っていた。雨の匂いが好きだ。この何もかも濡れる感じが好きだ。夏衣は目を細めた。今頃皆はどうしているだろう。一禾が居るから、一応は大丈夫だと思うけれど。夏衣はそこまで考えて、襖を閉めて立ち上がった。天蓋の付いた寝室は、そこだけがまるで別の異空間のようだといつも夏衣は思っていた。一礼してその薄い布を捲った。「当主様」はそこに眠っている。夏衣や春樹の両親は居なかった。いつから居ないのか、どうして居ないのか、夏衣も他の皆も誰も知らない。小さい頃から大人ばかりの間で育って、一体誰が父親で誰か母親なのか分からないままここまで来てしまっていた。そうして、今更そんなことは無意味だ。 「雨が降っていますよ、お父さま」 「・・・お前はいつ帰るんだ、夏衣」 「暫く居ります」 「そうか」 動く右手に撫でられて、夏衣は目を閉じる。春樹はまた泣いていた。会うたびにいつも、いつも泣いている気がする。昔からそうだった。春樹は良く泣いてばかりいて、秋乃がその分しっかりした女の子なので、存外バランスは取れているのかもしれない。顔が見たいな、夏衣は不意に思った。春樹はまだ泣いているだろうか。今度来る時には秋乃に何か、似合う何かを買ってこよう。一体何が良いのか、それは一禾に聞くべきだろう、夏衣は考えていた。今がいつなのか分からない。外は暗すぎるが、それは雨が降っているからだ。 「夏衣、こちらにおいで」 「はい」 ベッドは背もたれだけがリクライニングする様式で、男はそこに半身を起こした状態で座っていた。こちらにおいで、と男が呼ぶのを、夏衣は知っている。そういう風に呼ばれるその理由だって、分かっていた。だから夏衣は男に跨るように座って、頬を撫でる男の指先を少し舐めた。これから行われることは、圧倒的な暴力だった。夏衣はいつだって、そうだと思っていた。 「美しいな」 「・・・」 「美しいよ、白鳥の色だ」 「・・・」 男は決まってそう言う。男は夏衣の目の色が特別に好きだった。夏衣は桃色の目をしている。春樹も秋乃も同じような色をしているが、夏衣の双眸は特別発色が良いと男は言う。そういう男も同じ色の目をしている。これは白鳥の色だった。白鳥の血を引くものだけが持っている、特別な色だった。逆を言えば白鳥の血をいくら引いていても、目の色さえ違えばそれは白鳥だと認識されない。おぞましい色だと思った。この色をしているから、白鳥に縛られる。美しいが故に残酷な、恐ろしい色だ。 引き寄せられてそのまま、唇を重ねられる。夏衣は目を閉じない。男の背中に手を回して、着物を掴む。唇を割って舌が進入してくるのにそう時間は掛からない。取り込む酸素さえ邪魔をするその舌、噛み切ってやろうかと時々本気で考える。熱に犯された頭、唇はそのままで、男の手が夏衣の水色の着物をゆっくり脱がせた。上半身だけ肌蹴させると、普段は目に付かない白い色をしているのが分かる。 「・・・っは・・・ぁ」 「夏衣」 「・・・は、」 男が甘く囁くその名前が、自分のものだなんて知りたくない。ピンク色に染まる胸の突起の上を、ざらざらとした感触の舌が滑っていく。夏衣は反応する自分の体がずっと憎らしかった。男の着物を掴んで、体を震わせ快楽が過ぎ去るのをいつも待っている。でもいつだって快楽は体の上を這い回って、依然夏衣を放す様子は無い。 「あ・・・ん、・・・ぁ・・・」 「夏衣」 「・・・んん、っ・・・」 そんな抵抗無意味だと知っている。ただ緩く結んであった帯を解かれて、夏衣は殆ど無抵抗に息を継いでいるだけで精一杯だった。与えられる快楽のせいで、すっかり自分のものは勃ち上がってしまっている。無遠慮に触れてくる指先、夏衣は我慢しないことにしている。我慢してもどうしようもないことぐらい、もう分かりきってしまっていた。高い声を上げてそれに答えると、男は口元だけを歪めて笑う。 「あっつぁ・・・ん!」 「・・・は、あぅ・・・はぁ、っ!」 夏衣、男が呼ぶ。夏衣はそれに答えて、キスを受ける。指先を自分の唾液で念入りに濡らして、それで穴を濡らす。そうして準備しないと、痛いのは自分だ。跨った体を起こして、勃ち上がった男のものが丁度そこに入るように、夏衣は腰を動かしながら、ゆっくりと沈めていく。 「は・・・ぁ・・・っ」 高齢である男は、使用人の力添えなしでは立ち上がれない体だった。だから性交するにしてもこの形に限られる。男のものを飲み込み続けている夏衣は、もう随分とそんなことには慣れてしまっていた。慣れは時々諦めに変って、夏衣はそれを何とも思わないことに努めている。そうでもしなければ、気が狂ってしまいそうだった。いや、もう半分以上狂っていた。 「あ、う・・・」 「動きなさい、夏衣」 「はぃ・・・あ、ん・・・っ!」 これはセックスではなく暴力だ。夏衣は思う。男の上で厭らしく腰を振って、鳴き声を上げる自分を、夏衣は否定し続けている。それでも夏衣は男を締め付け、男の快楽で達するのである。痛さとは別のところで、夏衣は頬に涙の痕を付ける。男がそれを丁寧に舐め取って、そんな優しさは要らないと夏衣は口には出さずに首を振って、代わりに男の首に腕を回す。 「ぁっつ・・・あ、んぁぁっ!・・・ん、やぁ・・・」 「相、原の」 「んんっ・・・は、・・・え?・・・あ、うぅ・・・」 「引き取った、そう、っつじゃないか」 「い、・・・けませんか・・・あっ、や、あん!」 「いいや・・・別に。でも俺は時々、お前の、考えているっ・・ことが分からん、よ」 「あ、ンぁ・・・あ、ぅ・・・んん、あぁ!お、・・・お父さ、まぁ!」 「やっぱり、お前、じゃなきゃっ、駄目だな、夏衣」 「ん、や・・・あんっん・・・!」 熱に魘された頭で、夏衣はそれを反芻した。どういう意味だろう。どういう意味なのだろう。夏衣は腕を緩めて、男の顔を見た。ぼんやりとそれが、歪んで見える。男の顔が笑っているようにさえ見えた。ぞっとする。何かしていないと気が狂ってしまいそうだ。動けば中に居る男のモノが、ここから逃げられないのを夏衣に教える。 「あいつは、春樹では全然駄目だ」 脳天を、上から真二つにされた気分だった。夏衣はぴたりと動くのを止めた。男の顔を凝視する。今何を、何を言ったのだろう。男は夏衣にもう一度動くように指示した。夏衣はそれでも見続けていた。意味が分からなかった。頭の中は真っ白だった。 「・・・春樹に」 「うん?」 「・・・春樹に何かしたんですか・・・」 「それはいけないことか?アイツは俺のものだよ。お前と同じ」 「・・・」 「夏衣」 「・・・お、俺が余り帰って来ないのを怒ってらっしゃるのですか・・・」 「そう思うか?」 「御気に触ったのなら謝ります、お父さま」 「・・・」 「お許しください、俺が帰るのはここだけです。お父さまのお側だけです」 男は何も言わなかった。夏衣は男の胸に顔を押し当てて、何度もお許しくださいと続けた。外は雨が降っている。夏衣はそんなこと、忘れていた。

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