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不幸になるよ Ⅰ

視線がぶつかる。離れる、戻ってくる、また離れる。声が聞こえる。名前を呼んで、振り返ったら知らない振り。逃げて、追いかけて、捕まらない。諦めて、元に戻ると今度もまた視線、背中が痛くて、振り返ると知らない振り。声が聞こえて、何を話しているのか今度は良く分からない。 「なぁ、京義」 「なに」 「・・・何か・・・見られてへん・・・?」 「・・・離れて歩けば」 「なん、ちゃうわ!そんなこととちゃう!」 「多分そうだろ」 「アホ!俺はむしろ手ェ繋いで歩きたいわ!」 「は?」 京義が眉を顰める。気持ちの悪い視線だ。京義と歩いているといつもこう、何だかよく分からない視線に晒される。京義は離れて歩けば良いと言うし、他人の振りをすれば良いと言う。でもそれは出来ない。人は見た目や格好で判断出来るほど薄っぺらくは無いはずなのに。京義の色の抜けた髪の毛だって、その浮世離れした精巧な造りと良く似合っていて格好良いと思うのに。 「・・・相原」 「・・・なに・・・」 「俺、こっちだから」 「・・・あぁ、うん」 「・・・?」 テンションの落ちてしまった紅夜にそう告げると、京義は欠伸をしながら、紅夜とは別塔にある下駄箱に入っていった。紅夜はその背中を見送って、もうひとつ溜め息を吐いた。京義は誤解されることを何とも思わない。肯定も否定もしないで、ただ少し眉を歪めるだけ。 (あんな適当なこと言われて、京義はムカつかへんのやろか・・・) 自分だったら、紅夜は思ったが、腹が立ったって自分だって何も出来ないで、貼り付けた笑顔で黙っているに決まっていることだって分かっていた。昔から教えられていたこと、何も知らない振りをすること、迷惑をかけないようにすること。体に教え込まれたその制約を守ること。 「・・・」 あの時と今とどう違うのかと聞かれたら、紅夜はきっと答えに困る。結局一緒だと言ってしまうかもしれないし、何か違うところを無意識にでも知っているのかもしれない。でも同じだと感じていることは変わらないということで、変わらないということは紅夜にとっては好都合だった。目まぐるしく変わっていく周りの環境に流されていたら多分、自分は底の泥になってしまうだろう。 あぁ、朝からこんなことばかり考えているなんて憂鬱だ。 高校生は何も考えなくて、目の前の受験とか勉強とか成績とかを考えているべきなのだろう。他に何か心奪われるものの存在があるとしたら、それは一体何だろう。 「暑いなー!」 「あぁ、うん」 「ウチ冷暖房完備で良かったな!俺の友達がさ、違う高校行った奴なんだけど」 「・・・」 「冷房ついてないらしくてさ!ついてないとか最低じゃん。夏ヤバイよなー」 「・・・うん」 「・・・オイ、どうした、紅夜」 「・・・」 「テンション低いじゃん」 「ええなぁ、嵐は」 「は?」 「悩み無さそうで・・・」 「暴言!お前それ暴言だぞ!」 「・・・せやって・・・そんなことで喜べるなんて・・・幸せやなぁ」 「ど、どうしたんだよ、紅夜。お前変だぞ・・・?」 「俺が変なんはいつものことや」 こういう時、紅夜なら真っ先に反論するはずだ。嵐は紅夜のぼんやりとしたその顔を見ながら溜め息をついた。紅夜は机の上に肘を突き、窓の外に広がる景色をただ見るわけでもなく見ていた。何を言っても大体が二つ返事で、話を聞いている風でもない。 「オイ、紅夜ー、何かあったのかよー」 「・・・まぁ、うん」 「何かあったんなら話せよ、薄野は怖いけど他のやつなら殴りに行ってやるからさー」 「・・・あかんやん、嵐」 「だって薄野は怖いし・・・」 「そこちゃうわ」 「まぁ、まぁさ。俺に出来ることならしてやるからさー、軽犯罪までなら」 「軽くても犯罪は犯罪やで」 「何だよ、お前が困ってると思ってさ」 「いや、ありがた迷惑や」 「酷!お前今度こそ暴言だぞ!俺の純情踏みにじりやがって!」 「一緒に補導されんのが何で純情やねん」 紅夜は溜め息を吐いて、冷たい机に頬をくっ付けた。友達、それは恐ろしくもあり、有り難い響きだった。自分の今の状況を、紅夜はやっぱり感謝するべきなのだと思った。そして、昔とは違うのだとも思った。昔の自分が見たら、今の紅夜の生活が喉から手が出るほど欲しいものだろう。そのことを自分は忘れてはいけないし、奢れてもいけない。紅夜は机から顔を離して、まだ少し怒っている嵐の方に少し手を伸ばした。 「つーか、お前はいつもいつも・・・」 「・・・」 「・・・なに?」 「嵐」 「何だよ」 「有難うな」 「へ!?」 「でもやっぱり、犯罪はあかんと思うで」 美しいこと嬉しいと思うようになれれば良いし、嬉しいことを楽しいと思えるようになればもっといい。顔を少し赤くして慌てる嵐が面白くて、紅夜は少し笑った。

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