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第5話 発端 其の四

「……つーか、お前が行けばいいだろうが! お前が! お前が行けば平穏無事丸くおさまるじゃねぇか。そんなよく分からん所に行って、分からん者に会って、何かあったらどうするんだよ! 責任持てねぇぞ、俺は!」  主君ともいうべき者に、食って掛かる威勢のいい声が、主君館と呼ばれる政務室に響き渡った。  そのかなりの声量に渡廊(わたろう)を歩いていた者は、きっと何事かと思っただろう。  横で様子を見守っていたふたりの少年も、思わず耳を塞いだくらいだ。  そして主君、(かのと)もまた片耳を塞ぎ小さくため息をついた。 「役職的に主要ではなく身動きが取れ、ある程度の知識と経験値と戦力を持った者となると、お前達が適任なんですよ。竜紅人(りゅこうと)香彩(かさい)(りょう)」   叶は名前を呼びながら、ひとりひとりに視線を合わせた。  竜紅人は先程の勢いが収まらないのか、だーかーらー何が適任だ、と抗議の続きに入る。  香彩と療は戸惑い気味ながらも、無言のまま叶と視線を合わせた。 「まずは香彩」  叶に呼ばれ、香彩は静かな声音で返事をする。 「魔妖(まよう)に関しては本職であり、それなりの知識や経験もある縛魔師(ばくまし)」  そんな風に言われ、どう返事すればいいのか香彩は再度戸惑い、その翠の瞳を彷徨わせる。  竜紅人が抗議していた適任云々を、叶はどうやら本人を目の前に説明する気らしい。  縛魔師とは術を操る術力を体内に宿し、祈祷や占術、国の季節ごとの(まつ)りを行う者達のことだ。祀事 まつりごとの他にも、祓えや浄火、人に危害を加えた魔妖の退治などの仕事があり、魔妖関連の仕事はまさに専門職だ。 「次に療」  療と呼ばれた少年は、びくりと身体を震わせ、緊張気味に(いら)えを返した。  初夏の森を思わせる様な瑞々しい濃緑の髪が、面白いようにはねる。叩けばこんこんと音が鳴りそうな程、手や肩に力が入っている様子で、直向きにその紫闇(しあん)の瞳を主君へ向けた。 「今回、人が鬼族(きぞく)に攫われているようです」  療は、冷水に触れたかのように、はっとする。 「鬼族の生息範囲に近いということもありますし、()()()()()()()()()()()()()()()。 ねぇ、宿衛兵(しゅくえいへい)の療」  宿衛兵とは軍事や警備を司る、大司馬の中でも城内の警備をしている者のことを言う。担当場所はある程度決まってはいるが、何より人数が多いのだ。療がひとり抜けたとしても、上司である大司馬と大司馬将軍がきっとどうにかするのだろう。 「それにあの辺りの地理は誰よりも詳しいでしょう?」  頼みましたよ、と言う叶に、療は短く返事をする。 「そして、さっきから五月蠅いですよ、竜紅人」  叶の言葉に、竜紅人は五月蠅いとは何だと言い返す。 「相手は天妖です。真竜(しんりゅう)である貴方が一番、相性が合うんじゃないでしょうか? 司冠(しこう)になってまだ日もまだ浅いですし、仕事もまだ廻ってきてきていないのでしょう? 大司冠(だいしこう)からはお許しは貰っていますよ」  叶はにっこりと笑う。  先程からぎゃんぎゃんと抗議していた竜紅人は、その笑みと手際の良さに大きくため息をついた。  大司冠は法令を司り、契約の証人の管理等を司どる役職で、司冠はその補佐だ。  まだ研修中で仕事を管理するというよりは、追いかけられているという状態だった。  確かに自分が抜けても仕事はちゃんと動く。  しかも相手が天妖ならば同胞だ。  だが。 「ちょっと待て。それだったら、やっぱりお前でもいいんじゃないか!」 「お馬鹿さんですねぇ。状況も分からないところに、いきなり大将が出て行っては、警戒されて反発を喰らうだけじゃないですか」  確かに、と叶の言い分に、思わず納得しそうになった竜紅人だ。  大将、こと叶はこの麗国の主だ。そしてかつては天に住まう魔妖の神であったのだという。  その昔、この『麗』という地は妖、魔妖の跋扈する荒れた土地だった。  人々はひっそりと隠れ住み、魔妖にいつ喰われるかと怯え、暮らしていた。  それを哀れに思い、人の為に堕天した慈悲深き神がこの地に降りると、魔妖は静かに身を潜めのだ。  何故なら彼は、天にいる時から魔妖の神であり、人を魔妖から救う神でもあった。彼は人を守るためにこの地に居着いたが、人は彼を国の主に祀り上げた。  だが、神とて妖。  麗国は妖を王にすることで、妖から身を守っている国なのだ。  天妖からすれば同胞でもあるが、人の為に堕ちた神でもある。しかも無条件で手を差し伸べてくれる相手ではないだけに、いきなり叶が現れたら反発するだろう。  余計な手を出して、全面戦争にならないことだけを祈るだけだ。 「……だーもう、分かったよ! 行けばいいんだろうが、行けば!」  少し癖のある、長い伽羅色の髪をかきむしるようにして、竜紅人がそう返事をすれば、返ってきたのは叶のにこりとした、なんともいえない笑顔だった。  げんなりとした様子で竜紅人は、香彩と療を見る。  ふたりともただ乾いた笑いを返しただけだ。 「それに貴方には、とってもいい出会いがあるかもしれませんしね」  叶の呟きは、誰の耳にも届くことはなかった……。

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