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第4話 銀色の句点(2)

「松元、クラスに好きな子とかいないの?」  二枚目のホットケーキにとりかかろうとしたとき、先輩が何気なさそうに尋ねた。 「いたら恐いです。僕、男子クラスですから」 「そう、だっけ」  先輩は笑いを堪えて肩を震わせる。  共学だと思って入学して初めて知った事実――僕の学校の一年には、男子クラス、女子クラス、共学クラスというものがある。全学年八クラス中、男子クラスと女子クラスは二クラスずつ、共学クラスは四クラス。男は三分の一の確率で男子クラスに割り振られる。  そして、二年生になると文系と理系に分かれるわけだが、当然、男子は理系に偏る。結果、一クラスだけ、男子クラスが出来てしまう。物理化学専攻はそうなる確率が高いと知っていたら、僕は物理ではなく生物を選んでいたかもしれない。……僕は二年連続で男子クラスに配置されてしまったのだ。 「じゃあ、クラス以外では? 部活とか」  男同士で、たまにこういう話になることがある。今までつき合ったことはある? キスしたことは? その先は? そういうのは隠す必要もないと僕は思っている。 「いませんけど」  勉強に部活、エンドレスな親の小言、まだおぼろげにしか見えないのに決断の時期だけは刻々と近づく進路など、男子高校生は悩んだり考えたりすることがたくさんあって忙しい。色恋にかまけている暇などない。  自習時間にクラスでそういう話で盛り上がったときも、好きな女の子はいないやつの割合が意外なほど多かった。マンガやアニメやゲームで花咲く学園ライフがどれだけ展開されようと、現実はこんなものだ。  「高校卒業したらきっと自分にも彼女ができる!(そしてその彼女はきっと可愛い!)」と不確定な希望だけをたよりにサバイバルしているのが、男子高校生という健気な生き物なのだ。  妙に平坦な調子でふうんと呟いた先輩は、ホットケーキを切るようにフォークを滑らせた。実際に切っているわけではなく、表面が一瞬くにゃっとへこんで、その周りにくっついているはちみつだらけのアラザンがきらりと光った。 「あのさ、松元」 「はい」  この流れだと、来るか? モテると評判の先輩、中村要の武勇伝。  同学年だけでなく一年生まで、部活でもそれ以外でも人気があって、中学のときからそうだったと本人以外から噂だけは流れてくる。部活でそういう話になると先輩は上手くかわしてしまい、実際のところは誰も何も知らなかった。それを本人から聞けるのなら、特別な感じがして、ちょっと嬉しい。  しかし、弄ぶようにホットケーキをつつく先輩の発言は、僕が想像もしていないものだった。 「はちみつ垂らしてアラザンふりかけたら、肌にはえると思わない?」  僕は皿の上のホットケーキにフォークをつき刺したまま、しばらく考えた。  はえる……?  うちの母もはちみつの化粧品というのを使っていたことがある。通販で届いた品物を、お菓子と勘違いして開けてがっかりした中一の冬休みを思い出す。肌にいいのなら、毛にもいいのかもしれない。 「はちみつって養毛効果あるんですか?」  今度は先輩が考え込むように下を向いた。しばらくして大笑いしながら顔を上げ、涙目で僕を見る。 「字が違うよ! はえるって、ナマじゃなくって、映画のエイのほう」  ああ、映える……。  「映え」とかいうあれか……。  言葉を正しく理解したところで、新たな疑問が芽生える。 「人肌にはちみつ垂らしてアラザンまぶすってどういう状況ですか?」 「……エッチのとき」  先輩はにやっと笑って自分の唇を舐めた。悪い人の顔になっている。僕が女の子だったら、いくら先輩がイケメンでもどん引きだ。 「先輩って変態……」 「好きな相手の身体の上のはちみつとアラザン、舐めたら楽しいかもって、純生は思わない?」  女の子の身体の上に――例えば胸に――淡い金色のはちみつを垂らしたら。ローション・プレイのようなものだと思えば、悪くはない。そこにアラザンを振りかけてみる。白い肌の上で、銀色の粒が宝石みたいにきらきら光ったら……確かにきれいかもしれない。  ちなみに携帯はがっちりガードがかかっているから、エッチな動画はラベルなしの白いDVDで回ってくる。当然中身は選べない。僕がローション・プレイを特に愛してるというわけではなく、誰かのアニキか従兄弟の趣味のせいだ。 「想像しただろ純生。顔、エロい」  顔を隠すために慌てて俯いた。自覚すると恥ずかしさはどんどん熱をあげていくような気がしたが、思い切って顔を上げ、反撃する。 「先輩、上級者すぎ! それに胸は面積広すぎるでしょ」 「胸限定なの? お前、おっぱい星人?」  呆れたような、からかうような口調の先輩の返答に、僕はますますむきになる。 「胸はたまたまです! お腹でもお尻でもいいんですけど、そんなにたくさんはちみつ舐められないでしょ」 「舐めるよ、全部。好きな相手の身体についたものなら」  冗談の、バカエロ話にはそぐわない真摯な声音に、ふと熱が引いた。  ひょっとしたら、先輩には誰かいるのかもしれない。すごく好きな人が。  何もなかったようなホットケーキをつつく先輩を見て、なんとなく思った。 「……全部舐めなくてもいいでしょ。糖尿になっちゃいますよ」  僕はそう言って、残りのホットケーキを黙って食べた。本当はそんなことを言いたかったわけじゃない。  他のやつなら「先輩、好きな人いるの?」って素直に尋ねるんだろう。そうしたら、普通に教えてくれるのかもしれない。だけど僕は、こんなバカ話の流れで聞いてはいけないような気がしたのだ。  だから、お前ってたまにめんどくさいとか言われるのかなあ……。  落ち込みつつ食べ終わったとき、ふと思い出した。 「そういえば、先輩」  「なに?」と僕を見た先輩は、ホットケーキの最後の一片に手をつけようとしていた。 「仁丹とアラザンて似てますよね」 「……やめてくれ」  その先の僕のセリフを予測したように先輩は呻く。 「先輩のそのはちみつプレイ、仁丹でもよくないですか? 見た目はおんなじなんだし」 「匂いが違いすぎる! 俺のドリームを汚すなー!」 「あれ、先輩もう食べないの?」 「……もういい」  ふてくされたようにコーヒーを飲む先輩の皿に、立ち上がった僕はフォークを伸ばした。  驚いた顔で立ち上がった先輩に、「だって捨てるならもったいないし」とホットケーキを飲み込んでから反論すると、先輩は手をのばして僕の口を触った。 「ついてた」  ほら、と指先の銀色の粒を示したあと、先輩はそれをぱくんと食べてしまった。  「だって捨てるならもったいないし」と僕の口調を真似ながら笑う先輩に、つられて僕も笑った。  まったく先輩には敵わない。

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