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特大エビフライ、のち発情 ④

「あの、僕……私はどうして。ここは……?」  きょろきょろとあたりを見回し、自分の様子も確認する。スーツも下着も身につけておらず、素肌の上にツルツルした肌触りのパジャマを着ている。  パジャマに直接触れる右胸の先が痛い気はするが、光也の目の前で確認するわけにもいかない。 「会社の洗面室でヒートを起こして倒れたんですよ。なかなか目が覚めないので、私の自宅に成沢さんと運びました」  光也がスツールからベッドに腰を移し替えた。大きさのせいか、マットのスプリングがいいからか、ぎし、とも鳴らず心地よい揺れだけが伝わった。 「えっ! 申しわけありません。あの、成沢さんは?」 「成沢さんにはすでに帰宅してもらいました。お礼なら明日伝えればいいですよ。それより体調は?」 「大丈夫です。すっきりしています……」  答えながら、記憶を辿る。 (専務の香りで気分が悪くなって、トイレへ行ったらフェロモンが出ていると言われて、それで……) 「あ、あの、専務。私は最終的に、どうやってヒートを解いたんでしょう」 「覚えていないんですか?」  光也は形のいい眉を寄せると、ベッドの中央へ上がってきた。 「いえ、あの、専務に、その……手を貸していただいたことは覚えていますが、その後の記憶が……」  言いにくいことを口にしてもじもじすると、顔を近づけられじっと見つめられた。  改めて見ても均整の取れた顔だ。二重の幅も鼻梁の高さも、唇の肉厚感もどれも男らしいのに、暑苦しくなく品がある。  だがどうにも光也が近くにいると落ち着かない。痴態を晒したためか、整い過ぎた顔の圧が強いのか……いや、やはり香りだ。  濃厚なバニラのようでいて、エキゾチックな光也の香りは、鼻腔に絡みついて息を苦しくさせる。  千尋はわずかに尻をずらし、光也との距離を取った。また吐き気を催しては失礼だ。  ────が、肩を掴まれてしまった。 「な、なんでしょう、専務」   離れたいのに余計に近くなって、身体が強張る。 「藤村君は痛いのが好きなんですか?」 「……はい!?」  思わぬ指摘を受けて、掴まれた肩がびくりと上がった。 「ここ」 「ひやっ!」  突然パジャマの上衣をめくられ、右胸が晒される。 (え、なに、ナニ、なに)  光也の顔と胸先を交互に見る。  すると、胸の薄桃色の周りには歯型があるばかりか、先は赤く、その付け根には裂傷がある。 (……見られた! もう治ったとばかり思っていたのにぶり返した?……だから右胸が痛むのか)  千尋は先週「CLUBマゾ」でプレイを受けてきた。  胸を可愛がっ(いじめ)てもらうのが大好きな千尋は、社畜プレイに「いぢめて乳首♡ハードコース」を追加したのだが、バイブ付きの乳首(ニップル)リップで薄桃色ごと挟んでもらうだけじゃ物足りなくて、プレイ専用の紐で両方の先を結んで繋いでもらい、引っ張ってもらうのも続けてやった。  きっと、そのときの(ごほうび)だ。 「あの、これは、虫が。そう! 虫に噛まれてそれで」 「そんなわけないでしょう」  さすが氷の貴公子!  光也は千尋が取り繕った返答をぴしゃりと跳ね返す。  そして言うことには。 「この傷を作ったのは私です」 「ひゃい……?」 「洗面室で、私は確かに君に手を貸しました。すると君が突然胸を開き、噛んでくれ、痛くしてくれと。……それで、つい嫉妬してしまい、私が噛んだら君はすぐに達して……気を失いました」  えっ! とか嘘っ! とか、月並な言葉が出そうだったが、光也の発言に不可解な部分があり、ふと冷静になって言葉を反芻した。 「ええと、嫉妬、とは」 「これ、この噛み跡は私がつけた痕ではありません」  光也は人指し指をとん、と歯型の下に置いた。 「それに、胸の先も……私が上書きする前に、明らかに先に他の誰かに傷つけられて、痂皮化している形跡があった。これは誰が?」  書類のミスを指摘するかのようだ。言葉の最後の方には苛立ちが感じられ、咎めるような視線が向けられる。  これが職場でなら最高においしいのだが、あいにく今は欲していない。 「誰って……。助けていただいて、胸まで噛ませてしまって、大変申しわけなく思っています。本当に失礼をいたしました。でも、この傷跡についてはプライベートなことです。専務のご質問とはいえ、そこまで報告する義務はないと存じます」  めくられたパジャマを下げ、早口で言う。この話題から早く逃げたかった。  専務に乳首を噛んでもらってイくなんて、それだけでも恥ずかしすぎるのにプレイの痕まで見られたのだ。最悪極まりない。 「いや、俺には言う権利がある」 「ひぇ。あ、あの……?」  そらした顔が向き合うように頬を包まれた。  どくどくどく……。  性懲りもなく動機がするのは気分が悪くなり始める兆候か、それとも「俺」と素顔を剥き出しにする光也の威圧感が強いからか。 「藤村君は、俺の運命の番だから」 「……は?」  予想もしなかった言葉に、頭が真っ白になった。

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