22 / 91

おとぎ話の時間 ④

 *** 「ああ、怖かった。でも、藤村君がいてくれたからゴールに辿り着けました」 「よかったで……ふ、ふふ、あははは。あのときの専務ったら!」  初っ端から、マンホールから這い出てきた髪の長い幽霊を見た光也はその場で動けなくなり、長い手足を絡ませて千尋にしがみついた。  千尋が「大丈夫ですよ、中身は遊園地のスタッフです!」と興醒めなことを言っても絶対に離れようとはせず、顔を肩にうずめてくる。あまりにくっついてくるので唇が鎖骨に触れてくるのにはドギマギさせられたが、よほど怖いのだろうと思ってそのまま前に進んだ。  そして結局、光也はゴールの光が見えるまで千尋にしがみついたまま、一度も離れなかったのだ。 「専務、子供みたいでしたね」 「面目ないね」  出てしまえばもう平気のようで、さっきまで怖がっていたのが嘘のようにいつもの光也だ。 「そういえば、ああして歩きながら思い出したのですが、僕の住んでいた町でも夏祭りに肝試しがあって、怖がる友だちを僕が守ってあげていました」 「……藤村君は小さい頃から強いですものね」  いや、今も怖さの余韻があるようだ。眉尻が若干下がっているし、日本語の使い方もどこかおかしい。 「専務、本当に大丈夫ですか? ホラーハウスくらいでそんなになるなんて……でも、そんな人間味のあるところ、好きだなぁ……」  ついぽろりと言ったのを、光也は逃さなかった。 「好き!? 今、私を好きだと言いました?」  途端に眉をきりっとさせ、繋いだままの手を強く握って熱っぽい瞳で見つめてくる。 「そ、それはそんな意味じゃありません。人間として、という意味です」 「なぁんだ、残念。じゃあもっと好きになってもらえるよう、次、行きましょうか!」 「わ、ちょっと、手!」  なんという切り替えの早さだろう。手を繋いだまま光也が走り出す。  手はホラーハウスのときだけですよ、と言おうとしたが、言わなかった。  どうしてか、このまま繋いでいるのも悪くないと思ってしまう。 「あ」  だが、光也が前方を見て小さく言って、手が離れた。光也は一人、駆け出していく。 「専務?」  光也はすぐ近くにあるカフェのテラス席で足を止めると、手前のテーブルのきわでしゃがみ、園内貸出用のベビーカーから乗り出して転げそうになる寸前の幼児を、ベビーカーごと受け止めた。  母親がもう一人の子供に気を取られていて、目が足りていなかったのだ。  母親からはいたく感謝されたが、光也は「貸出用のベビーカーの重量を見直してもらわないといけませんね」とだけ言って、すぐに千尋の元に帰ってくる。  本当に一瞬の出来事だった。 「すみません、急に置いていって。目の端に映ったものですから」 「いいえ、全然! 凄く凄く、かっこよかったです」  思わず力いっぱい言ってしまう。  僕はなにを言っているんだと顔を赤くして口を覆ったが、言われた光也もみるみる顔を赤くし、顔を手のひらで隠した。 「専務……?」 「そんなきらきらした目を向けて言われたら、凄く困ります」 「ぇえ!?」  いつも恥ずかしいセリフを千尋に言ってくるくせに「かっこいい」くらいで照れるのか。 「……千尋がかわいすぎて、今ここで食べたくなっちゃうよ」 「!? な、何言ってるんですか!」  大人の男二人が遊園地のメインストリートで、どんな会話をしているのだろう。  通り過ぎるカップルは振り返って笑い、風船を持った小さな子どもは「お兄ちゃんておいしいの?」と言わんばかりの疑問の視線を向けてくる。 「もう、専務はそんなことばっかり! ほら、行きますよ」  今度は千尋から手を繋ぎ、光也を引っ張った。恥ずかしくて後ろを見ることはできなかったが、光也が嬉しそうにしているのはなんとなくわかった。  千尋の胸はまた、きゅ、と縮まる。ドキドキしてうるさい。苦しい……でも、こそばゆい。  光也といると言葉ではまとめられない感覚が次々と湧き出てくる。  千尋は足が地についていないような、ふわふわした気持ちだった。

ともだちにシェアしよう!