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第18話・生物学的な差

 がむしゃらに走る藤ヶ谷と追いかけてくる杉野との2人分の足音が、人気のない廊下に響く。  アルファの足に勝てるはずもなく、2人の距離はどんどん縮まる。  しかも目の前は行き止まりで、あっけなく腕を掴まれた。 「離せ!! ……っ!?」  ガチャン。  振り返った瞬間、首に巻いたカラーの上から何かを着けられた。  喉元に手を触れると、硬くひんやりとしたものが触れる。  錠前のような形をした、小さな金属の飾りだ。  藤ヶ谷はそれを握りしめ、杉野を睨み上げた。 「なんだこれっ」 「新商品の試作品です」  全力で走って肩で呼吸している藤ヶ谷に対し、杉野は全く息を乱さずに答えてくる。 「知ってるよ!」  藤ヶ谷の首に装着されているのは、杉野とともに企画したカラーの試作品だ。  首元を強調する深紅の革と金の錠前が特徴的な、まさしく首輪。  アルファがオメガに贈ることを想定した商品だ。  以前アルファが正気に返る香りがすると銘打った商品が出たので、その要素も取り入れた。  アルファの多い重役たちに確認してもらったが、皆が納得のいく香りらしい。  しかし今はそんなことはどうでもいい。  藤ヶ谷は杉野の胸元を掴んだ。 「はずせよ!鍵は……」  杉野の手元に目をやるが、他に何か持っている様子はない。  そうなると、先ほどまでいた部屋に袋ごと置いてきたのだろうか。  目線をうろうろと動かしていると、杉野はズボンのポケットに手をツッコんだ。  そして、小さな鍵を指でつかんで頭上に掲げて見せてくる。 「これですか?」 「それ!」  手を伸ばしてなんとか奪おうとしたその瞬間。  パキリ、と無慈悲な音がした。 「嘘だろ」  唖然とする藤ヶ谷に、杉野は何でもないような涼しい顔で薄く微笑む。 「すみません。力が入り過ぎてしまいました」  へしゃげた小さな金属を差し出されて、藤ヶ谷は背筋が凍る。  目の前にいる男と自分の生物学的な差を、まざまざと見せつけられたのだ。  それでも怯んだのは一瞬だった。  藤ヶ谷はシャツを掴んだ指に力を籠める。 「っお前は! 好きな人がいないからこんな酷いことが出来るんだ!」 「好きな人ならいます!」  壁を強く叩く音と杉野の声が廊下に反響した。  追い詰められ壁を背にしていた藤ヶ谷は、胸元から手を離す。  体を守るように小さくして、今度こそ目が恐怖の色に染まった。 「すみません、でも……」  藤ヶ谷の様子に気付いた杉野は眉を下げる。  そっと大きく温かい手が頬に触れてきた。 「俺なら、好きな人に、そんなしんどいことさせない」  熱い瞳から切実な思いが伝わってくる。  頬の手から滲む温もりが、杉野の優しさを教えてくれるようだった。  その証拠に、つい先ほど高圧的に抑え込まれて恐怖したはずなのに。  もう嫌悪感が全くない。  藤ヶ谷は顔を泣きそうに歪める。 「……どいてくれ」  掠れた声を出しながら、手のひらで胸を押す。  杉野は微動だにしなかった。 「行かないっていうまで退きません」 「今日は大人しく帰るから」 「絶対ですよ」 「ん」  蓮池と過ごした至福の時を信じたい気持ちはまだ強い。  だが杉野と八重樫の言うことも最もだと、頭では分かってしまう。  頬に触れる杉野の手に、観念した藤ヶ谷は手を重ねた。  今日はいつも以上に抑制剤に嫌われているらしい。  杉野の香りがいつもより濃く匂ってきて、腹の奥が疼くのを感じた。

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