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第20話・優しい素敵な人

 鼓動が速い。  体温が高い。  頭が真っ白になりそうで、ふらふらしながらタクシーを降りた。  タクシードライバーに心配されながら着いたホテルの玄関。  入り口に立っている姿を見て、藤ヶ谷は顔を綻ばせる。 「蓮池さん……っ」 「陸くん、無事に着いて良かった」  慌てて走ったせいで足がもつれ、図らずも蓮池の胸に飛び込んだ。  温かい腕にしっかりと抱き止められて、体から力が抜けた。  大好きなフェロモンがいつもよりも濃く感じ、この場で身を預けてしまいたいほどだ。  早く2人になりたいと顔を上げると、蓮池は藤ヶ谷の首に指を這わせた。 「陸くん、これは」  指の動きに体を震わせた藤ヶ谷はぎくりとする。  そこには、杉野に着けられたカラーが巻かれている。  藤ヶ谷は錠前の形の飾りに触れて、目線を彷徨わせた。 「す、すみません。会社の商品でその……鍵を無くしちゃって」 「おっちょこちょいだな」 「あはは……」  穏やかな声と下がる目尻を見て、藤ヶ谷は胸を撫でおろす。  ヒート中にカラーを着けているということは、番になる気はないと宣言しているようなものだ。  しかも鍵がなければ絶対に外すことができない。  しかし蓮池は咎めることなく、いつもどおりの余裕の対応をしてくれる。 (ほら、やっぱり優しい素敵な人だ)  杉野や八重樫は考えすぎだったのだと、自分は好きになった相手を間違ってはいないと安心する。 「わっ」  突然ふわりと横抱きにされて、藤ヶ谷は蓮池の首にしがみついた。  慌てていると、そっと頬に口づけられる。 「さぁ、行こう。大事な人、もう誰の目にも触れさせないよ」  体の奥がジワリと疼くのを感じながら小さく頷く。  昂りで潤んだ瞳を蓮池に向け、藤ヶ谷はここに来た経緯を思い出す。  杉野につれられてオメガタクシーに乗った後のことだ。  絶望的な気持ちでいた藤ヶ谷の元に蓮池から電話が掛かってきた。 「遅いから何かあったのかと思ったんだけど、大丈夫かい?」  それはあまりにも甘く愛情に満ち溢れた声に聞こえて。  やっぱり大事にされてるんじゃないか、と藤ヶ谷には思えてしまった。  ホテルに着いた時に丁度届いた杉野からのメッセージを見て、脳が再び警鐘を発した気はしたが。 (もうこんな素敵な人は二度と会うことはないだろうし……部長や杉野が間違えることだってある、よな)  ヒートで浮つく頭で結論を出し、警鐘は無視して蓮池のもとに向かった。  それでも杉野に自分の居所を正直に返信したのは、どこかで信じきれていなかったから。 (こんなに思ってくれてたのに申し訳ないな)  自分の後ろ暗い気持ちを払拭したくて、廊下を歩く蓮池にしがみつく。  足音を吸収する上品な柄の絨毯に、ダークブラウンのドアが並ぶ壁。  部屋に着く前に壁に設置された鏡の前を通った時には、驚くほど紅く欲情した自分の顔が見えて思わず目を逸らした。  そして、ようやく入った部屋は、白を基調としたエレガントな雰囲気の内装だった。 (わ、すごい部屋……)  蓮池は藤ヶ谷を抱いたまま、大きなシャンデリアやテレビ、座り心地の良さそうなソファーを通り過ぎていく。  寝室はもう一つ奥の扉にあるという、藤ヶ谷が泊まったことのないタイプの構造の部屋だった。 (高いとこなんだろな……それより早く、早く……)  グレードの高い部屋に意識を奪われつつも、身体はもう限界が近づいていた。  蓮池にはしたないと思われるのが嫌で耐えているが、全身の血液が沸騰しそうだ。  揺れている刺激とフェロモンの匂いだけで達せそうに感じるほどに。  そして。 「……っえ!?」  寝室に入った瞬間、藤ヶ谷は違和感に身体を強張らせた。  目に飛び込んできたのは、ベッドを囲むように立っている3人の男の姿。  2人きりでヒートを過ごすのであれば当然、この場にいてはいけない存在だった。  しかし、蓮池は何の問題もないという顔をして部屋に入っていく。  藤ヶ谷は忙しなく蓮池と男たちを見比べ、声を震わせる。 「蓮池さん、これは」 「体が疼いて、しょうがないだろう?すぐ楽になるよ」  到底、返事をしたとは言えない台詞が口角の上がった口から出てくる。 『あの年のアルファが番なしなんて、性格に難ありなんですよ』  蓮池と初めて出会ったバーで杉野が言ったことが頭を過った。

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