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第8-2話

 巻き上げられた簾の外はすっかり雪に包まれてどこまでいっても白銀の世界だけが続くようだった。白く積もった枝は再び満開の花を咲かせているかのよう。ひなたでは、淡く融け出していく雪水が涙をこぼすように冷たい水を滴らせ、青の顔は悲痛を訴えるように苦しげになっていく  雪上を飛び交うヒヨドリの囀りは心の哀切を叫ぶ。  傍にある男の身体は暖かく、気を許した相手のように落ち着くのである。やはり、覚えのあるような気がしてならない。それは一夜に見た夢を具に思い出させる。  ――凪。  胸の内で叫んでいた。  苦しくて仕方がなかった。  二度と考えないようにしていたことなのだ。  それが、あふれ出す。  初めて抱いた恋の相手。引きちぎり、茨や蛇の下に隠した思い。もう十年も前のこと。今さら触れたところで色づくことはない。それでもやはり、彼がいないということがどれほど凍えさせるか。  太い指に、分厚い掌。重ねた手や足を比べては、虫の身体も壊れるほど不器用な指は、ためらいがちに青に触れた。 「好きだった」  溶け出す思いに悲痛が蘇る。  ただ静かに寄り添ってくれる彼が好きだった。ずっと慕っていた。きっと凪は気付いてもいない。押し隠して知られないように殺してきたのだから。やがて誰とも知れない男にすべてをさらけ出さなければならない青に、凪が特別な思いを抱くことはない。主人の息子と思い、ただその役割を全うしようとしているだけに過ぎない。  青は苦く笑う。 「颯は聞き上手だな。つい口が緩む。忘れてくれ」  竹もしなるほどの風が吹き出すと、欄干の内に吹雪が舞い込み、青の顔に細かな結晶が張り付いた。それを拭いながら颯を見上げる。 「父上に話しがあると、伝えてほしい。頼めるか? もし来なければ首をくくると脅せ」  空になった高坏は下げられて、彼は再び帳の向こうに消えていった。風よりは雪のような男だと笑みがこぼれる。さては雪の精が化けているのだろう。  冷たい唇をしめらせた。  感傷に浸っている場合ではない。自分の成すべき事だけを考えなければ。  耳を傾ければ騒然と響めく声が聞こえてくる。力強い足取りが廊下を蹴って近づいてきていた。青は帳の向こうを見据えて姿を整える。 「青、お前が俺を呼びつけるとは」  立派な体格は躊躇することなく押し入るように姿を見せる。麗は従者を外に待機させ、青の前に腰を落とした。その包み隠さない厳めしい態度は風も荒ぶような風体である。  青の心は一息に張り詰める。 「話しとは、なんだ。まさかまだ、婿が嫌だと我が儘を通すつもりか?」  蔓延る草木の影に潜む、恐ろしい猛獣のような男。ヤン・ギューとは違う。狙い澄ました獲物は必ず仕留め、どこまでも執拗に追いかけようとでもするよう。そんな眼差しに睨まれれば、青は竦み上がるのだ。  しかし負けてはいられない。守りたいものがあるのだ。 「討伐のことです。今すぐに中止を」  怯え、震える青の顎を麗が撫でつける。  硬く筋張った枝の先に、見るも艶やかで可憐な花が咲くからこそ、そそられるのだと麗は思いを馳せる。その澄みきった身体が色をつけ、潜ませた雌雄のしべを晒し、うっとりと花弁を開く様子には、何かが満たされていく思いがする。ただ、花径の砦に根を張る女王が、精の虫を注げと傲慢に芳香を放つのはいただけない。  締め付けるのもゆるめるのも、俺次第なのだと麗は思っている。彼が自らほしがるまでは手を出すつもりはない。  だからこそ、辛うじて息子を犯さずにすんでいるのだ。  ふと、青の膝を引き掴むと、首から繋がれた縄が張った。青は顔を上げようとして締め付ける首の紐に短く唸る。

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