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皇帝陛下の怒り⑤

「其方に黙って戦に出てしまい、すまなかった」 「とんでもないことです。無事にお戻りになられて良かったです」  仔空は体を起こし、布団の上で三つ指をついて(こうべ)を垂れた。 「よいよい。頭を上げよ」  玉風(ユーフォン)もそっと体を起こし、仔空(シア)の顔を覗き込んでくる。 「本当は酔って寝ている其方を起こしてから出兵しようと思ったのだが……。其方の寝顔を見たら、起こすのが可哀そうになってしまった」 「え……?」 「それに、別れの挨拶をするのが寂しかったのだ。だから黙って行った。もしお前がほんの少しでも寂しそうな顔をしたら……俺はきっと行くことができなかった」 「陛下……」 「戦場でも、其方のことを思わない瞬間などなかった。会いたかったぞ、仔空」 「仔空は、とても幸せです」  玉風が愛おしそうに頬を撫でてくれるものだから、仔空は気持ちよくて思わず目を細めた。 「陛下がご無事なことが、僕は何より嬉しい」  仔空は泣きそうになるのをなんとか我慢しながら、顔をクシャクシャに歪めながら笑う。 「すまん。俺が守ってやれなくて」 「そんな、陛下のせいでは……」 「いいや。俺は其方を王宮に迎えると決めた時、命をかけて守ろうと決めたのだ」  その瞳には強い意志が感じられた。何の取り柄もない坤澤(オメガ)の自分が皇帝陛下の寵愛を受けることができるなんて……少し前の自分からは想像もつかない。 「仔空よ。(リェン)常在(じょうざい)は『()』の称号を剥奪して生かしておいた」 「あ……ありがとうございます」 「しかし、こんな甘い処分はこれで終わりだ」  思わず視線を逸らしたくなる程真剣な表情で、玉風は仔空の顔を覗き込んだ。 「これから先、其方の命を狙う輩は後を絶たないだろう。そんな輩から其方を守る為にできることは、そいつらを殺すということだ」 「ころ……す……?」  仔空は一瞬で自分の体温がスッと引いて行くのを感じた。 (僕は、何と恐ろしい世界に飛び込んでしまったのだろうか)  サラッと長い髪が、仔空の整った顔に影を落とした。 「大丈夫だ。仔空……其方には俺がいる」 「陛下……」 「俺は、お前が何より大事だ」  仔空は髪を優しく掻き上げられ、上を向かせられる。ギュッと閉じた目を開ければ、そこにはいつものように微笑む玉風がいた。 「良かった……」  ふと力が抜けてしまった仔空は、そのまま玉風にそっと体を預ける。 「仔空……可愛いな」  そっと口付けられる。チュッチュッとお互いの唇を啄み合っているうちに、仔空は自分の吐息が甘ったるくなっていくのを感じた。  自ら玉風の首に腕を回して体を擦り寄せる。玉風の舌が仔空の口内に侵入してくれば、舌を絡め合う激しい口付けへと変わっていった。 「はぁ……陛下……ッ……はぁ……」  混ざり合う唾液を必死で嚥下し玉風の唇を受け止めていくうちに、仔空の下半身が熱くなっていくのを感じた。 「できることなら、今すぐにでも其方を抱きたいが……」  玉風は仔空からそっと体を離し、仔空の口角から溢れ出した唾液をペロッと舐めとる。 「毒を盛られたばかりの其方に、無理をさせるわけにはいかない。今日はこのまま大人しく寝るとしよう」  そう言いながら、玉風は仔空を抱き締めて寝台に横になった。  しかし、仔空は気づいていた。玉風自身が熱く昂っていることを。 (僕の体を気遣ってくださるなんて……)  仔空は、そんな玉風の気遣いが嬉しかった。  花屋(かおく)にいた頃は、どんなに体調が悪くても体が痛くても、自分を気遣ってくれる者などいなかった。無理して感じている芝居をして、ボロボロになりながら客を取り続けていたのだ。  だから、こんな玉風の心遣いが、仔空は堪らなく嬉しい。 (なんて優しい人なんだろう)  仔空は今まで感じた事のない多幸感に包まれた。甘酸っぱい感情が少しずつ胸の中に広がっていき、とても温かい。それは今まで仔空が抱いたことのない感情だった。  心臓が高鳴り、息苦しささえ感じる。 (あぁ、これが恋というものか……)  仔空はボンヤリと思う。坤澤である自分が、皇帝陛下を本気で好きになってしまったことが不安となって仔空に襲いかかった。 「しかし、陛下……」 「ん? どうした?」  戦から帰ったばかりで疲れているのだろう。玉風は大きな欠伸をしている。 「僕はまだ雨露期が来ていません。これでは妊娠もできないですし、陛下に鬼神(きじん)の力をお分けすることもできない。本当に申し訳ございません」  仔空は、玉風の背中に回した腕にギュッと力を込めた。 (役に立たない僕は、いつか王宮から追い出されてしまうのではないか……)  ふと過る可能性が、怖くて仕方なかった。今の仔空には帰る場所などないのだから。 「雨露期(ヒート期)とか世継ぎとか鬼神の力とか……そんなものはどうでもいい」 「え? どうでもいい?」 「……そうだ、俺は其方がこうして傍にいてくれるだけでいいんだ」 「陛下……でも……」 「そんなくだらない事を考えている暇があるなら、早く元気になれ。俺はお前を抱きたい。其方は、いつまで皇帝陛下を我慢させるんだ?」  まるで子供をあやすかのように仔空の頭を優しく撫でてくれる手が、パタンと寝台に落ちる。そのあとすぐに、玉風の穏やかな寝息が聞こえてきた。 「陛下、ありがとうございます」  仔空の心の中に、温かくて擽ったくて、蕩けてしまいそうな感情が芽生えていた。 空には朧月が淡い光を放ち、風に乗った桜の花弁が舞い上がる。  閨に舞い込んできた1枚の花弁を捕まえて、仔空はそっと胸に抱き締めた。

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