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従者と国王

 ナルキスは震える手を抑える。吐き気がした。胃がムカムカして、喉がつっかえる。息が上がり、どうしていいのか分からず立ち止まるしかなかった。  その日、ナルキスは見てしまった。噂では聞いていたこと。けれど、実際には見たことがなかった。だから、嘘だと鼻で笑っていた。それも仕方がない。もう何年もの付き合いで、深い関係である。片鱗があればきっと気付いたはずだ。そう過信していた。全てナルキスは知っているつもりでいたのだ。 「あっ……、あぁ……」 「うるせぇな、声出すな、萎えんだろ」  ただ、ナルキスは少し城に用事があった。呼ばれるまでは城には近付かないナルキスだが、その日は仕事の関係上仕方がなかった。城に寄ったのだ。少しクラトラストと話したいと欲が出た。いつもなら抑えられる欲であるが、うまくいかない仕事の疲れに、クラトラストの声が聞きたくなった。だから、部屋まで近付いた。近づいて、何が行われているのか、ナルキスは聞いてしまった。  ナルキスは目を瞑った。そして、息を吸い込み、走った。 「イトロス」 「うわっ、どうしたんだよ、その顔」  無意識にイトロスの住む屋敷までナルキスは来ていた。顔を真っ青にしたナルキスにイトロスはそのまま家に通した。 「……つまり、クラトラストが女とヤッてたと?」 「ああ」 「クラトラストが女とヤるなんて有名だろ」 「見たことがなかった。私は見たことのないことは信じない」 「はぁ……、お前がそんな夢見がちだとは初めて知ったよ」 「仕方がないだろう。クラストは弱みを握られるのが嫌いなんだ。まさか女と性交渉をするなんて思ってもみなかった」 「お前、クラトラストのことガチで好きだったんだな」 「なっ……そんなこと!」 「いや、わりとバレバレだったか。あの俺様何様王子様のクラトラスト様だから俺もまさかとは思っちまったけど」 「私はそれほど分かりやすかっただろうか」 「そりゃ、クラトラストと話すときはワントーン声が上がるし、行動も俊敏になるし、なによりクラトラストと一緒にいたがるだろ。一見主従愛にも見えなくもないけど」  イトロスはそれでも考え直す。クラトラストに近付く女、いや男にも殺気を見せていた。少し眉を寄せ不快だというように。これが主従愛? まさか。ナルキスの想いはそんかキレイなものじゃなかった。 「イトロス……」 「どこが好きなんだよ。あの男の。確かに顔は整っててイケメンではあるけどよ、まさか顔だけとは言わないだろ?」 「誰にも言わないでくれ……」  当たり前だとイトロスは頭を縦にふる。 「クラストは争いが好きだろ。みんなそれを知っている。だけど、クラストはクラストなりに戦う意味を持って剣を振るってるんだ」 「戦う意味?」 「クラストがこの前、決闘を挑んだろう。私は後から調べたが、あの男子生徒は女子生徒に性的虐めを行っていたらしい。金で物を言わせて、人間とは思えないほどの悪行も行っていたらしい。」 「制裁でもしたってか?」 「制裁と言う言葉が正しいか分からないが」 「単純に戦いたいから適当な理由つけただけじゃねぇのか」 「クラストもきっとそう思っている。実際に私がクラストに優しいと言ったら殴られた。そして戦いの理由もなく決闘を挑んだら王になんと言われるか分からないからだと言われたよ。だが、私はそうは思わない。戦いの理由なんていくらでも落ちている。捏ち上げたって構わないんだ。肩がぶつかっただけで、クラストはその人間と戦っていい理由になる。クラストの立場は多少の嘘をついたところで咎められない。戦いたい時に、戦いたい相手に決闘を申し込める。でも、ナルキスはそんなことをしたことがないだろう。それをせず、誰かのために剣を振るう理由はなんだ? それを考えて私が行き着いた結論はクラストが優しいということだった」 「ブッ! あのクラトラストがや、優しい! ぷぷっ、さすがにそれはないだろ!」 「イトロス、笑いすぎだ」 「笑うわ! さすがに!」 「…真剣だ、こっちは」 「分かってる。すまんすまん、なぁ、ナルキス。お前はどうしたいんだ? 女と一緒にいるクラトラストとは離れるか?」 「離れたくない!」 「ふっ、なら我慢するしかないんじゃないか? 辛くても、悲しくても、我慢して我慢して」 「わかっている。だから、今日だけだ。今日だけは……」 「ああ、知ってるよ。お前、今日はその想いを封じるために来たんだろ」 「イトロス……」 「分かってるよ。俺はお前の友人だろ。お前の目、初めから決意した目だった。クラトラストは弱いやつが嫌いだ。泣く奴なんて以ての外だ。だから、もう何があっても泣けない。恋を押しつぶすしか選択肢がない。だけどさ、ナルキス。今日はびっくりしたな。愛してやまない人間が、自分じゃない誰かと繋がっている。そんなの誰でも苦しくて死にたくなるよ。だから、泣け。クラトラストはここにはいない。いるのは俺だけだ。な? ナルキス。大丈夫。誰にもバラしたりしない」  優しい声。優しい言葉。ナルキスは必死で抑えていた涙を零した。一度零れた涙はとめどなく流れていく。小さく泣くナルキスをイトロスは抱きしめた。  この恋は失くさなければならない。バレたらきっとクラトラストはナルキスを捨てるから。いつから持っていたか分からないこの想いはきっとまた知らない間に消えていく筈だから。今日だけは、この胸の痛みを晴らしてもいいだろうか。  ナルキスが眠り、イトロスはその横で本を読む。サラサラと頭を撫でると、子供のように「んー」となく。いつもは犬のようなのに、今日はまるで猫のようだ。大きい猫。まつげが長くて整った顔だ。いくら強いとはいえ、ここまで無垢でいられたのはなぜだろうか。 「イトロス様」  使用人がイトロスの名を呼ぶ。薄暗い部屋の中でも使用人の顔色が悪いことが伺える。イトロスはナルキスを膝の上から下ろし、優しくソファに寝かせる。立ち上がり、使用人と共に部屋から出る。 「どうした」 「その……、クラトラスト王子が……お越しになられております」  使用人の顔色が悪くなるはずだ。イトロスは使用人の肩を叩く。  客間に向かうと、クラトラストが足を組み深く腰掛けていた。イトロスはため息を飲み込み、口角を無理矢理上げた。 「クラトラスト様、ようこそいらっしゃいました。急なご訪問でおもてなしができず、申し訳ありません。ところで、今日はどのようなご要件で? クラトラスト様がわざわざお越しになるような物はうちにはございませんが」 「狭い家だな」  開口一言目がそれである。イトロスは怒りを必死に抑える。 「城に比べれば我が屋敷など小さいものですよ。ははっ」 「はっ、俺が嫌いだって顔だな。いいぜ、決闘でもなんでもするか?」 「いえ、私には剣技の才はありませんので」 「チッ、意気地無しが」 「ご要件を、言ってくださいますか」 「ナルキスはどこにいる」 「ナルキスでございますか。ここにはいませ……」 「嘘を付くのはいいが俺が望む答えじゃなけりゃ燃やすぞこの屋敷」 「俺の部屋にいますよ。まぁ、今は疲れて寝てますけどってどこに!」 「テメェの部屋はどこだ」 「どこって!」  クラトラストは片っ端からドアを開けていく。イトロスが止めようとそれを無視して突き進んでいく。そしてついにはクラトラストはイトロスの部屋のドアを開けた。ソファで静かに眠るナルキスの前にクラトラストは近寄る。イトロスは心配気に見守る。 「おいっ、起きろナルキス」 「ん……、イトロス? すまない、眠って……え、あ、クラスト!」  ナルキスはバッと身体を起こす。涙の跡が残っていないか、腕で頬を擦る。 「あの……クラスト、なぜここに」 「お前、俺の部屋に近付いただろ」 「あ……、すまない。まさか、その……色々としているとは思ってみなかったんだ」 「言い訳はいいんだよ! 俺の部屋には今後一切許可なく近寄るな、殺すぞ」 「はい、申し訳ありません」 「それとな、他人に弱みを見せる奴は俺の一番嫌いな人間だ。表情は弱みになる。涙も笑みもすべて押し殺せ。それが許容できんなら、今回は見逃してやる」 「クラスト……。言われなくとも、もう捨てた。だから、側に置いてほしい。友人じゃなくていい。ただの従僕とでもいいから」 「黙れ、さっさと帰んぞ」  クラトラストはナルキスの腕を掴み歩き出す。ナルキスはイトロスと目線だけを合わし、申し訳無さそうに屋敷から出ていった。  一人置いてけぼりになったイトロスは去っていった友人をただ見守る。イトロスは考える。なぜ、クラトラストはわざわざこんな夜にナルキスを迎えに来たのか。あの言いぐさじゃ、自分の性欲求という名の弱みを見られ、その口封じに来たようにも感じられる。けれど、イトロスはそれ以上にクラトラストの執着を感じた。 「あー、ほんとうぜぇな、あの王子」  クラトラストのせいでナルキスが話しかけてこなくなることだけは本当に避けてほしいことだ。  後日、イトロスはナルキスが平然と声を掛けてきたことに驚いた。 「ク、クラトラストは俺に話しかけんなとか言わなかったのか」 「笑顔を見せるなと言われたが会うなとは言われていない」 「いや、俺と一緒にいたら怒るんじゃねぇか」 「なぜ?」 「いや、なぜって……、お前そういうところあるよな」  不思議そうに首を傾げるナルキスにまぁ、今のところ問題はなさそうだとイトロスは考えることを放置することにした。 ――――――――  雨。イトロスは昔の友人の夢を見た。暫く会えていないが今、彼は幸せだろうか。一途に主人を想っていた。いつだったか言っていた。 『クラストは敵を作ってばかりだろ? だから例えこの世界にクラストの味方がいなくなったとしても、私だけは味方でいたいんだ』  決意に満ちたその眼は、今も変わらずあるのだろう。クラトラストを優しいと宣う変わった友人。イトロスの初恋。  なんだか、あまり寝た気がしないと笑いながら、イトロスはカーテンを開ける。目に映るのは真っ赤な炎。あそこには、イトロスの友人がいる。 「どういう……」  イトロスは扉を開け、外に出る。焦げ臭い。炎の香り。無意識にイトロスは城の近くまで歩いていた。 「血……?」  路地裏。大量の血が一直線に伸びている。イトロスは医者だ。きっと城から逃げてきた兵だろう。例え敵だったとしても助けないという選択肢はない。足を踏み入れ、その傷だらけの人間に近付いた。 「は……」  イトロスは息をするのを忘れた。男が二人。片方はずっと会いたいと願っていた男。片方は憎くて大嫌いな男。二人とも確かに先程までイトロスの夢の中にいた人物だった。 「ナルキス……、ナルキス!」  イトロスは血塗れの男ナルキスの肩を持つ。薄っすらと目を開けたナルキスは震える口で必死に声を出した。 「く……ら……すとを、助けて……くれ……」  ナルキスは必死にクラトラストの名を呼び、頼むと一言だけ残し意識を手放す。 「何が、クラストだ! お前も大概死にそうじゃないか!」  あの燃える城からクラトラストを担いでここまで逃げてきたのか。どう見ても、ナルキスも致命傷を負っているはずだ。それなのに、クラトラストを先にと残す。 「ああ! そうだ。お前はそういう奴だったな。安心しろよ。俺が救ってやる! 二人ともな!」        

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