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シルバーとナルキス

 ナルキスは二ガレオス国最北端に位置するエルバー領まで来ていた。エルバー領はアルブム国に最も近くに存在する領地であり、唯一アルブム国との貿易を許可されている街でもある。アルブム国民の違法入国を阻止するため、兵の数は王都の次に多い。 「やぁ、ナルキス様。ようこそ、お越し下さいました」  そのエルバー領を治めるのは、シルバーという名の男だ。シルバーは名に相応しい銀色の髪が肩まで降りている。どこか怪しい雰囲気の男で、ニヤリと笑い、胡散臭い三日月の目が輝いている。 「どうぞ、このお茶はアルブムで採れた茶です。なかなか市場には出回らない茶ですよ」  目の前に置かれたお茶をナルキスはジッと見つめ、それを口につけた。 「噂で伺っていましたが、本当に生きておられたとは……、嬉しい限りですよ、ナルキス様」 「……御託は良いです。単刀直入に聞きます。兵を分けて頂けませんか」 「いいですよ」  断られると考えていたナルキスは思わず、シルバーを凝視した。 「そんな驚かなくとも、いくらでも貸しますよ。国の危機ですからね」  紅茶を優雅に嗜みながら、シルバーは微笑んでいる。その顔にナルキスは危機感を覚える。ナルキスとシルバーは同じ学院に通っていた。だからといって、仲が良かったわけではなく、あくまで顔見知り程度だった。そして、クラトラストとシルバーも同じく顔見知り程度の仲であり、特別仲が良かったようには見えない。しかし、何があったのか、クラトラストが王に就任した際に、クラトラストはシルバーをエルバー領の領主とした。シルバーは元々侯爵家の次男だった。それを、エルバー領の領主として任すのは、王都から追い出されたといっても過言ではない。つまり、シルバーはクラトラストを恨んでいてもおかしくなかったのだ。 「何をお考えですか」  細い目から見える冷たい眼。何か他に、目的があることは間違いなかった。 ナルキスがエルバー領へ向かい旅だった次の日――――  ふて寝するクラトラストを横目に、イトロスは薬品を棚に戻す。未だに起き上がろうともしないクラトラストにため息を付いた。 「いつまでもそうしてるつもりだよ」 「……」 「はぁ、ナルキスはお前のこと優しいなんて言うけど、やっぱり俺はお前のこと糞王だと思ってるよ」  何も言わない。学生の頃は少しでも貶そうものなら、どんな人間でも暴力で黙らせてきたというのに。それこそ、王子でもなんでも。 「それでも、お前を信じるナルキスのために俺はお前を手当した。お前が今こうして窓をじっと見続けられんのも、この天才医師のイトロス様のおかげよ」  何も反応しない。イトロスは頭を掻き、わぁぁぁと叫ぶ。 「あー、もうっ、本当にムカつく野郎だな! そうやってウジウジ塞がりやがって、情けねぇ。俺がお前を治したのは、そんな腑抜けにするためじゃねぇぞ! お前が、ナルキスの言う素晴らしい主君で居続けさせるためだ!」  怒鳴り上げても、その瞳が動くことはない。イトロスは思う。ナルキスがいくら動いても、この男はきっと、このまま王として生きることはないのではないかと。  それでも、この眼の前の男は、ナルキスの自死を止めた。理由は知らないが、確かに止めたのだ。信じたくはない。けれど、ナルキスを信じないこともしなくない。 「たくっ……、お前も動かなきゃ、負けだぞ。ただでさえ、ナルキスは五日も掛かるエルバー領まで行ってるんだ。戻ってきたとしても兵を集められる時間は限られて……って、うぉ!」  全く動く様子のなかったクラトラストがナルキスの胸倉を掴み、引き寄せた。ナルキスは突然のことに目を見開く。 「エルバー領と言ったか!」 「え、あ、ああ」 「チッ……、おい、馬を出せ」 「え?」 「早くしろ! 出るぞ!」 ――――――――――  ナルキスはベッドの上で転がされていた。身体が痺れて動かない。ナルキスの上に怪しい笑みを浮かべたシルバーが乗る。 「どういうおつもりで?」 「分かるだろう?」 「いえ、私にはこの状況が理解できません」 「そう……、君がそこまで鈍いとは思っていなかったよ」  シルバーの唇がナルキスの唇にあたる。触れるだけのキスになったのは、ナルキスがそれ以上を許さなかったからだ。 「なぜ、顔を背ける? 分かるだろう? 兵は出す。その変わりに君の純情を私は手に入れたい」  紫の瞳が怪しく光る。ナルキスは目を閉じ、そしてシルバーを見つめた。 「貴方がこのような行為をする意図がつかめません」 「それは、僕が君を学院時代から狙っていたからだよ」 「……相変わらず、嘘が得意なようで」  ナルキスも冷静に冷淡に告げていく。 「いいえ、ある意味狙うという意味では嘘偽りは言っていないようですが」 「何が言いたい?」 「貴方が狙っているのは、私の身体でも何でもないということですよ。貴方が喉から手が出るほど望んでいるのは、クラトラスト様のお側にいられる私の地位でしょう?」 「……へー、面白いことを言う。それで? 僕がクラトラスト様の側にいたい理由は? 残念ながら彼にはこんな田舎の領主を押し付けられたんだ。いくらアルブムと交流があるとはいえ、王都で遊んで暮らせていた筈の僕をこんな辺鄙な地に追いやった。怒りしかないよ」 「本当に? 本当にそうお思いで?」    感情のない瞳からは何も読み取れない。ただ一瞬眉が動いたことをナルキスは見逃さなかった。 「やはり貴方は……」 「そろそろその口を閉じようか。痺れ薬の効果が切れることを待っているのだろうけど、残念ながら、効果が切れるにはまだ時間がかかる。君は私にされるがままだよ」  シルバーはナルキスの唇を指でなぞる。 「ほら! 僕に犯されたいと言うんだ。君はクラトラスト様の為に兵が欲しいんだろう。それに君がここに尋ねてきた理由はもう一つあるはずだ。それは誰でもない僕にしか、知り得ない情報なんだろう? 早く良いなよ」 「シルバー、貴方が本当に力を貸して下さると言うのなら、そして貴方がそれを本気で望むというのなら、仕方がありませんね」  ナルキスは自身の頭を近づけ、シルバーの唇に己の唇を押し付けた。ヌルリと入る舌を器用に動かす。唾液の糸が伸び、そして唇を伝っていった。シルバーは慣れた手つきでナルキスの腹を撫でる。ピクリと反応したナルキスの身体に、自然と笑みが溢れた。 「その反応だとクラトラスト様とは本当に何もなかったみたいだ」 「当たり前でしょう」 「ふっ……、当たり前か。それは、それは、好都合。私にとっては嬉しい限りだ。君の純情はどこまで価値があるかな」 「私の純情に価値などない。」 「いや、あるさ。何より僕が知っているから」  シルバーがナルキスに触れようとしたその瞬間、シルバーはナルキスの上から吹き飛んだ。そう、吹き飛んだのだ。 「シルバー」  吹き飛ばした相手はそこで仁王立ちしているクラトラストで間違いないだろう。なぜここにいるのか、なぜ扉を壊してまで部屋に入ってきたのか理解できずにナルキスは呆然とした。クラトラストの後ろには執事と思われる男があたふたと慌てている。 「シルバー様、申し訳ありません。お止めしたのですが……」 「いいよ、王様に帰れなんて言えないだろう? 君はもう下がっていいよ」 「はい」  執事はチラチラとクラトラストを見ながらも、その場を立ち去っていく。残ったのはクラトラストとシルバー、そしてナルキスだ。クラトラストはナルキスの服が乱れていることに眉を寄せた。 「何をしてやがる」 「クラトラスト様……」 「俺はオメェに体を許してまで兵をかき集めろと言ったか? あ゙? 言ってねぇだろ。勝手な真似すんじゃねぇ」 「も、申し訳、ありません……」 「まぁまぁ、クラストそんなに怒らないでよ」  ニコリと笑っているシルバーは先程と違い、断然楽しそうだ。 「テメェもだ。久々に見たかと思えば、クソみたいな顔引っ提げやがって、胸糞わりぃ」 「そこまで言われる筋合いはないよ。本当に嫌だなぁ? 僕はただ交換条件を彼に出して、彼がそれをのんだ。それだけなのにね。君だって兵が欲しいはずだろう? いい条件じゃないか。たかが、一人の従者だろ?」 「俺に兵なんてものは必要ない。俺は王に戻るつもりはねぇ」 「へー、そんな腑抜けたことを言うんだ。それなら僕は君の命令を聞かないよ。当然だ。今の君はただの人間。僕が仕えるべき人間じゃない」 「殺されたいのか」 「そんな顔したって怖くもなんともないよ。僕は強い君に憧れていた。弱い君には興味がない。さっ、退いた退いた。僕はそこの彼を頂きたいからさ」 「黙れ! どいつもこいつもうざってぇ事言いやがってよ!」 「はっ! 思い通りにならなかったら癇癪起こして、お子様なのは学院時代から何も変わらないね」 「殺す!」  ナルキスは目の前で行われている口論に驚きを隠せない。クラトラストとシルバーがここまで仲が良かったとは知らなかった。目の前の彼らは友人に見える。学院時代、友人だと思っていたクラトラストとナルキスとの関係と大きく異なる。これは……、本当の……、友人関係だ。明確な主従関係で線引されていた自分達とは大きく違う。ナルキスは酷くショックを受けた。 「クラトラスト様……」 「チッ、帰るぞ」  クラトラストはナルキスの腕を引く。だが、ハッとしたナルキスは腕を反対方向に引き、無理矢理立ち止まる。クラトラストの機嫌は最高潮に悪いのは顔を見なくとも分かる。けれど、ナルキスはまだシルバーと話をしなければならないことなある。 「まだ、話は終わっておりませんので」 「俺の命令が聞けねぇのか」 「いえ、しかしここで帰るわけには行きません」  ナルキスの強い瞳を見たクラトラストは舌打ちをし、近くにあったソファに腰掛ける。ナルキスはその行動にホッとして今度はシルバーと目線を合わせた。 「シルバー様がクラトラスト様とここまで仲が良かったとは思いませんでした」 「そりゃあ、隠していたからね。特に君には。君はクラトラストに近づく者には容赦なかったから」 「……貴方は、貴方を見る限り、クラトラスト様に対する悪意は一切感じられない。なのに、なぜ……、なぜ……、なぜクラトラスト様を裏切ったのですか」 「裏切り……か」 「アルブムの人間がこの国にやってくるには唯一国境を超えられるエルバー領のみ。いくら、海賊が手を回していたと言っても、それをみすみす見逃すほど、貴方は無能ではないはずだ。貴方は、敢えて彼らの侵入を許しましたね。いえ、それだけではありません。異世界人の持っていたあの武器を作ったのも貴方だ」

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