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第46話 囚われた歌姫

「王宮にまで侵入を許すとは——かなり戦況は苦しいようだ」  ピスの言葉に状況を理解した。中庭や部屋の入口には、鷹族の獣人たちが次々に姿を現したのだ。 「エピタフがいないのは痛い。王都上空の守りが弱いのだ。飛空艇で魔法省の者たちが出ているが、あまり功を奏していないようだな」 「よくわかったな。おれたちがいることを。じいさん——」  鷹族の獣人が言った。ピスは口元を緩める。 「じいさん? ——若造が、舐めた口を利くものだ。よいか。長者は敬わなくてはならぬものだ」 「おいぼれにそんな口を利くものか。さっさとその黒猫を渡せ。我が一族の手柄とするのだ」 「おいぼれ、か。ではそこに寝ているお前たちの同胞は、こんなおいぼれに仕留められたということか? なんとも嘆かわしい話だな。お前たち一族、最大の汚点になるであろう——」  鷹族の獣人たちは「大きい口を叩くな」と怒りを露わにし、ピスに飛び掛かった。十人はいるだろうか。おれは「あ」と声を上げた。  きっと「危ない」って口にしようとした。おれの護衛はピスとリグレットだけだって聞いた時、正直大丈夫なのかと心配になっていたのだが。しかし——。それは取り越し苦労というものだった。  ピスの太刀筋が見えないのに、鷹族の獣人たちは次々に床に落ちていった。  彼の振るう剣は、サブライムたちが使っているものとは幾分、形が違っている。どうやら片刃のようだった。  最後の獣人が床に倒れ込む瞬間。付着した血液を振り払い、鞘に剣を戻したピスはおれを見た。 「ここは危険だ。致し方ないが、本部に向かうことにする」 「すごいんですけれども……」 「そうか? これでも若い頃は、リガードと組んでいた。私が剣。奴が矛。当時は無敵のコンビだったのだがね」  彼は片目を瞑って見せる。そしてそのままおれの腕を掴まえると、リグレットに押しつけた。  リグレットはおれを抱え上げると、そのまま一気に地面を蹴り上げた。華奢な彼のからだからは想像もつかないような脚力だ。彼の目は周囲を広く把握できるのだろう。鷹族の獣人たちが上空から襲ってくるのを軽々と交わしていった。 「リグレット! 凛空を連れ、先に本部へと迎え!」 「承知しました!」 「わわわ」 「危ないです。口を閉じておかないと舌を噛みますよ」  リグレットは愉快そうに忠告すると、そのまま跳躍を繰り返した。後ろから追いかけてくるピスは、軽々と獣人を叩き落としていく。 (なんて力だ)  彼がじいさんとコンビを組んでいた、というのは頷ける話だった。  リグレットが跳躍する度に周囲の様子がよく見える。王都の中からも灰色の煙が何本も上がっている。いくらか侵入されているのかもしれない。 (サブライム。無事でいて!)  おれは必死にリグレットに掴まりながら、そう願っていた。 *  本部は王都をぐるりと取り囲む城壁から少し離れた広間に設置されていた。  天幕が張られたそこには、サブライムの姿はなく、甲冑を纏ったスティールが机に広げられた地図を見ながら、あちらこちらから入って来る報告を受けているところだった。  連合軍は城門を破ろうと、大型の獣人たちが押し寄せてきているという。上空からは鳥族たちと、カースが使役していた大きな黒鳥たちが攻撃を仕掛けていた。  大きな翼を広げた飛空艇に、最初は怯んでいた鳥族たちだが、それもすぐに慣れたようだ、とスティールが言った。  敵は数で上回る。地上から見ても上空戦は、かなり苦戦していることが明らかだった。 「博士たちは無事なの?」 「博士の通信では、あちこち破損しているようだが、飛べないことはないそうだ」 「通信って?」  スティールは木箱を指さした。 「遠く離れた人と話ができる『無線』というやつだ」  さすが博士はいろいろな知恵を知っている。おれはそれから「サブライムは?」と尋ねた。スティールは、両手を広げて呆れた顔をした。 「あいつは、止めても聞かない。ここをおれに押しつけて、城門のところに行ってしまっている」 「まったく。頭が前に出てはいけないと、何度もお教えしているのですが!」  少し遅れて到着をしたピスは、眼鏡を押し上げてからため息を吐いた。あんな数を仕留めたというのに。ピスは呼吸の乱れも、衣服の乱れもなかった。 「あっちは数で押してきている。こちらは戦力があっても数が足りない。戦況は不利。カースの居場所は特定できていない。あちらが頭を潰したいと思っているのと同じく、おれたちも一刻も早くカースを仕留めたい」  カースはサブライムを狙う。サブライムを失えば、王宮軍は戦意喪失するからだ。おれはいてもたってもいられない。 「おれもサブライムのところに行く!」 「凛空。お前はここにいなさい。前線に出るのは危険だ」 「でも。ここにいたって——」  ——見つけたぞ。音。  その時。腹に響くような声が響いてくる。  はったとして周囲を見渡すが、スティールやピスたちには聞こえていないらしい。彼らは戦況について、あれこれ言い合いをしているようだった。 (カースが来る!)  どこからか地響きが聞こえる。 「なんだ?」 「これは——」 「カースが来るよ!」  ドンと地面の下から突き上げるような衝撃に、立っていることが儘ならなかった。思わず木製のテーブルに両手をついた。衝撃と伴に襲ってくる振動は、だんだんと大きくなる。  そして——。  本部の地面が一気に盛り上がった。 「襲撃! 襲撃だ!」 「警戒せよ!」 「凛空を守れ!」  スティールやピスの叫び声が聞こえたかと思うと、あちこちから炎の柱が噴き出した。それは天上まで届く勢いだ。  炎に飲み込まれて叫び声を上げている者たちが見えた。炎から逃れた者たちも、態勢を崩し、混乱の渦に巻き込まれた。  一体なにが起きたのだというのか。その状況を把握することすら困難だ。 「スティール! ピス! リグレット! みんな、無事なの!?」  みんなの名前を叫び、彼らの姿を探そうとした瞬間。おれの目の前に闇が立ち現れた。それはあっという間に漆黒の外套姿のカースに変わる。 「カース……!」 「見つけたぞ! 音!」  カースの闇から七色に光る腕が伸びてきて、おれの首根っこを摑まえたかと思うと、そのまま空に舞い上がった。  あっという間の出来事に、息ができなくなった。黒煙の上がる空。鳥族と飛空艇。色々なものが一瞬で視界に映る。それから、カースはおれを抱えたまま、城壁の上に降り立った。  ずっと朝から響いている太鼓と銅鑼の音が耳障りだ。物が崩れる音。剣が交わる音。悲鳴。死を目の前にして無理矢理に絞り出される雄叫び。耳に届く音、どれもがおれの心に突き刺さる。  争いなど起きなければいい。なぜ人は争うのだろうか——。ここのところ、ずっとおれの心の中で自問自答していること。平和を祈り歌ってきた。けれど——。  城壁の上から見た世界は地獄。たくさんの血が流れていた。城壁を登ってこようとしている連合軍を阻止するため、城壁上からは矢が放たれていた。その脇では王宮軍の先鋭部隊が、連合軍の陣形を崩そうと出撃しているようだった。  敵も味方もない。死にゆく者たちの屍を踏み越え、兵士たちはなにを目指すというのだろうか。  そこには言葉がなかった。人と人との心の対話もない。人間も獣人もない。理性などない。本能——。自分が生き残るために他者の命を奪うしか選択肢はないのだ。  この過酷な状況を目の当たりにして、おれの心は真っ白になった。 「見ろ。この地獄を——」 「貴方が引き起こしたことじゃないか」 「おれではない。愚かなる者どもの欲望がぶつかり合った結果だ——」  カースはおれの頬を撫でる。 「さあ、行こう。ここは下賤の者どもに任せておけばよい。我々は、我々だけの楽園を築こう。音」 「離して。おれは一緒にいかない! カース! 本当にそれが望みなの? ねえ。貴方は、こんなこと、望んでいないはずだ。貴方は音と二人で静かに暮らしたかった。違う?」 「最初に裏切ったのは音だ。おれではない。音を蘇らせ、そしておれの足元に跪かせ、そして許しを請わせるのだ」  カースはおれをじっと見つめていた。おれはその瞳を見つめ返す。 (違うんだ。カース。早く気がついて。彼は貴方を愛していた。貴方を守りたかったんだ。だから……)  その時。カースの足元に矢が突き刺さった。 「凛空!」  そこにはサブライムがいた。正門を守るため、前線に出ていたサブライムが、おれたちに気がついたようだ。 「凛空を離せ!」 「歌姫を守れ」 「歌姫を取り返すのだ」  サブライムに続きアフェクションがいた。カースは笑う。その笑みの意味を知り、おれは叫んだ。 「逃げて! みんな、危ない!」 「遅い。あの世で後悔しておけ」  カースの背後からアンドラス侯爵が飛び出した。 「侯爵。好きにしていい」 「承知——」 「サブライム! サブライムー!」  アンドラスの剣がサブライムを襲う。 (サブライムー!)  そこでおれの視界は暗転した。おれのからだは、カースと伴に闇に落ち込んだのだった。

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