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本当に欲しいもの

 ドウメキは、日亡時に生まれ落ちた。  母の命と引き換えに産声を上げ、見目の醜さから呪われた子だと言われてきた。  人として宿すには多すぎる巫力が痣として滲み、体の至る所に花を咲かせる。妖にも見えるせいか殺すにも祟られると言われ、もの心着く頃から虐げられ育ってきた。  ドウメキが陽の下に姿を表せば、村人は途端に石を投げてくる。露骨な悪意に晒されながらも村八分の中で生きる他はなく、ドウメキはただ人目を憚るように呼吸をし、人並みとは到底いえないような生活を重ねていった。  時が経てば痣は消える。縋る思いで神様に祈り続けてきた痣は、成長と共に悪化していくばかりであった。  きっと、前世で妖魔だったに違いない。口さがない者の噂は幼い村の子供達にも知れ渡り、居場所を奪った。  人目につかないように、ボロ布を纏う。時折傷口が呼吸をするように膿を吹き出しては、目玉のような痣を増やす醜い体だ。  大きな体を縮めるようにして、滑稽に生きる。夜は唯一ドウメキが安らげる時間であった。  月も眠る、ある日の深夜。静かに流れる夜の河原に、ドウメキはいた。夜を映した水面が、ぐにゃりと月を虐げる様子を横目に、仕掛けた罠に魚がかかっていないかを確かめにきたのだ。  川縁に置かれた丸太に腰掛けるようにして、青年が座っていた。薄い体に夜着を纏い、時折夜風に細い黒髪をふうわりと遊ばせる。  今までドウメキが目にしてきた誰よりも美しく、月に輪郭を照らされている。その横顔の美しさから、ドウメキは罠のことも忘れてすっかり見入ってしまった。 「……誰かいるのですか」 「ひ、っ……‼︎」 「ま、待って、待ってください!」  青年の声が、己に向けられている。ドウメキは気が動転して、砂利を弾くように逃げ出そうとした。  慌てたように静止を求める青年の声にドウメキが驚愕したのも束の間で、背後からはどしゃりと痛そうな音が聞こえた。  追いかけようとしたのだろうか。恐る恐る振り返れば、青年は間抜けにも砂利の上に転がっていた。  互いに一定の距離を置いて、ドウメキもまたへっぴりごしのまま硬直した。  二人の間を、妙な空気が過ぎ去った。訳のわからない状況に頭が追いつかぬままのドウメキが、再び河原から逃げようとした時だった。 「お、お願い、待って」 「……え」  少しだけ、泣きそうな声が聞こえた。  今まで、村人から向けられる言葉は罵詈雑言の悪意ばかりだ。まさか己がお願いをされる立場になるとは思いもよらず、ドウメキは戸惑った。  こんな、縋るような声をかけられても、どうしたらいいのかわからない。緊張と逡巡に苛まれながら、ドウメキはぼろ布の隙間から青年を注視した。すぐ逃げられるように、中腰の情けない姿のままでだ。 「い、行ってしまいましたか……?」 「……ぃ、ぃる」 「よかった、……あの、少しお話をしませんか」 「お、俺とか」  青年の声に、体がびくりとはねた。思いもよらないことを言われて、ドウメキはますます逃げたくなった。  思わず訝しげな顔で青年を見る。砂利にへたり込んだままの青年は、上等な顔をしていた。きっと豪商の息子に違いない。己が下手な行動をとれば、生活を許されている夜も奪われてしまうかもしれない。舌の根が乾く。妙なことを言われる前に逃げ出さなくては。  ドウメキの静かな緊張とは対局をなすように、青年はぼんやりと座り込んだままだった。よくよくみれば、薄い手のひらは砂利の上を撫でるような素振りをしていた。   (もしかして、何かを探してる……?目が、見えていないのか)  ドウメキが視線を巡らせれば、青年の手から少し離れた場所に杖が落ちていた。  きっと、あれで道を探りながら歩いていたに違いない。ドウメキの姿は捉えられていないのだと気がつくと、こわばっていた体は少しだけ緩んだ。  砂利を踏み締めるようにして、杖の元へと歩み寄る。ぎゅ、ぎゅ、と鳴く砂利のおかげで、青年はドウメキの方へと視線を巡らせたが、その瞳は暗いままであった。  手にした杖には細かな装飾が施されている。漆塗りの杖には、守城を司る家の証が柄付けとしてぶら下がっていた。  そういえば、一人息子が盲目だというのを、ドウメキは聞いたことがあった。  地べたにへたり込んだまま、途方に暮れている青年へと近づいた。ドウメキは、ぎこちない動きで青年の手に杖を当てた。 「……杖」 「……あ、あんたの、だろ、そ、そこに、落ちてた……」 「あ……」  形を確かめるように、青年の白い手が杖を握り締める。ドウメキがこんなに近くに立っていても、逃げられないことが新鮮だった。  少しだけ心臓が早く動くのが気持ち悪くて、ゆっくりと深呼吸をした。己が普通を振る舞えているのかは、青年にしかわからない。 「……手を」 「は」 「手を貸して、いただけませんか……」 「手、……って、手は……お、俺のか……っ」  砂利の上、へたり込んだ青年が、不思議そうな顔でドウメキを見上げてくる。そうだ、この姿は青年には見えていないんだった。  ぼろ布から、恐る恐る手を出した。やせぎすの腕には、紫色の痣がいくつも腕に咲いている。  あかぎれのひどい手に、青年の手が触れた。人の手の温度に驚いて、思わず逃げそうになる。情けない手を引き留めるように握り締められると、ドウメキは変な悲鳴をあげそうになって、慌てて片手で口元を押さえた。青年の手の柔らかさに、心臓が止まるかと思ったのだ。 (こ、これが、人の手……)  皮膚呼吸を忘れてしまったかと思った。それくらい、ドウメキは緊張をしていたのだ。己の手を柔らかく握り締められ、思わず肩をすくませる。  青年の手に力が入ったことで立ち上がろうとしていることに気がつくと、ドウメキはぎこちなく体を引くようにして手伝った。 「っ……」 「いたっ、いたたたっ」 「す、すまん」 「違います、あ、足が攣りました……っ」 「え……」  情けない声をあげて、青年は俯く。暖かな手のひらに退路を奪われたまま、ドウメキはオロオロするしかなかった。  薄い肩に手を添えて、丸太の上に腰掛けるのを手伝った。人心地ついたように吐息を漏らす青年を前に、ドウメキは中腰のまま立ち尽くしていた。  手を離してくれないだろうか。そんな気持ちをうまく口にすることができなかったのだ。  しかし、困ったような雰囲気は伝わったらしい。青年はすみませんと一つ謝ると、申し訳なさそうに手を離した。 「優しくしてくれてありがとう。あなたの名前は」 「……ど、っ……」  ドウメキの名を告げたら、悲鳴を上げるのだろうか。ちらりと盗み見るように、青年へと目を向ける。  その瞳は光を失っていた。青年の目元は柔らかく緩んだまま、言葉を待つように琥珀色にドウメキを映す。  この青年の前だけなら、己の存在は許されるのだろうか。ドウメキの心に浮かび上がってきたわずかな希望が、期待に変わる。  もしかしてに背中を押されるように、震える唇を動かした。ドウメキにとって、名前を口にするのは随分と勇気がいることだった。 「ドウメキ……」 「ドウメキ、……。あ、あなたもしかして……」  小さく息を呑む音が聞こえて、青年の声色がこわばった。  ドウメキは己の愚かさを呪った。一体、何に期待したのだ。この反応が、己の知る正しい人間の反応じゃないか。  思わず自嘲が漏れた。熱くなる目の奥を堪えるかのように、キツく瞼を閉じる。踵を返してその場を去ろうとした時、身に纏うボロ布を、青年の手が握った。 「あなたが、ドウメキ!」 「え」  先ほどとは違う、興奮混じりの声色だ。予想のしなかった反応を示され、戸惑うドウメキの瞳は青年へと向けられた。  青年はドウメキの布を引っ張るようにして、己の隣へと座らせた。近い距離で、どう普通を振る舞うのが正解かわからない。この状況の意味を理解してるのは、隣に腰掛ける青年だけだろう。 「村にいる、妖魔ドウメキ。聞いたことがあります。まさか、こんなに優しい妖魔だなんて思いませんでした!」 「よ、妖魔」 「鬼だと聞いています。ドウメキは、いつからこの村を守っているんですか?」 「ま、守る……?」  ドウメキの理解の範疇を、ついに越した。妖魔だと馬鹿にされて、本当だったら怒ってもいいはずだった。  それでも、青年は再びドウメキの手を探り当てたのだ。人に触れられるという経験を何度もしてしまえば、名残惜しくて振り払うこともできなかった。 「恐ろしい妖魔がいると聞いたんです。この村に……、会えてよかった。私とあなたは、きっといい友達になれる」 「ともだち?」 「私は、目が馬鹿でしょう。だから妖魔に選ばれなくてね。もしあなたが私の妖魔になってくれれば、立派な守城になれるかなと思ったんです」 「それで、なんでともだちなんだ」 「目が見えないから、杖代わりに?」 「……つ、杖がわり……」  あけすけなことを言う青年に、ドウメキはポカンとした。たくさん言葉を発して、口端が少しだけ痺れている。馴染みのない感覚が、心臓の内側でぽよんと跳ねる。  青年との言葉のやり取りに疲れた頭が少しだけ痛い気がするが、無碍には扱えなかった。己よりも小さな手のひらが、ドウメキの手をしっかりと握り締めてくるのだ。痣だらけで、醜い手を厭わずに。 「……初めて、そんなこと言われたな」 「私の妖魔になる気はありますか」 「よくわからないな、……悪いけど、俺は夜しか動けないぞ」 「なら、私と同じですね。尚更に都合がいい」  昼は大人しくしていないといけないので。そう言って、イタズラっぽく微笑む。そんな青年に、気が抜けた。  それが最初の守城との出会いであった。  青年は、色々なことを教えてくれた。盲目でも、守城になることを諦めたくないこと。本が読めないので勉強は不得手だが、雨の匂いや、お日様の匂いがわかること。  川のせせらぎの音で、水の色だってわかるんですよと胸を張られた時は驚いたが、雨の翌日はたいていが濁りますからと付け加えられ、からかわれることもあった。  月が上る、梟も寝静まる真夜中の、ほんのささやかな時間だ。ドウメキが青年を迎えに行くこともあれば、青年が会いに来ることもあった。  決められた道を通って向かう。二人は互いの足音を覚えるほど、時間を重ねていった。 「私はね、ドウメキ。きっとうまくは生きられない人間なんだよ」 「何を言う、お前ほど優しい人間はいないだろう」 「それは、私を憐れむ人がそう仕立て上げるんだ」  そう言って、守城になった青年は微笑んだ。 「可哀想なものを置くことで、人は自分を見つめ直す。それはいい意味でも、悪い意味でもだ」 「それは、わかるが」 「周りが私を可哀想にすることで、心を整えているんだと思う。だから、私は理想に応えて、自分に素直になってはいけない」 「……それだと、お前が」 「いいんだ。求められていることには違いないし。……だけど、名前が欲しかったな……。守城はね、名誉ある名前だ。だけどね、私だけの、名前が欲しかったな」  光のない、琥珀色の瞳が遠くを見つめていた。緩く浮かべた口元の笑みは、何かを諦めているかのようにも見えた。  青年は、口にできない思いを細い体で抱え込んでいる。きっと、見えぬ目の代わりに感じ取る何かが、狭い世界を作り出しているのだろう。ドウメキは、己が支えてやりたいと思った。  肩口に、青年の熱が触れた。薄い手のひらが、握り締めたドウメキの拳に触れる。  柔らかな手のひらに己の手を重ねるようにして、青年の手に指を絡ませた。じんわりと移る体温が、いつもよりも低い気がした。   「名前があったら、どうなる」 「……そうだね、違う自分になれるんじゃないかな」  夜風に木々がさわめき、静かな川の流れる音が耳心地良い。夜の冴えた空気を肺に取り込むと、ドウメキの体の熱は少しだけ下がった気がした。 「何かから、逃げたい?」 「うーん……、あはは……」  それ以上、青年は何も告げてはくれなかった。ドウメキは学がないから、気の利いた言葉ひとつ送ってやることはできない。できるのは、静かになってしまった青年に、己の肩を貸すだけ。  もうすぐ始まる、村の祭りで儀式が行われる。増えてきた妖魔から人を守るための結界を施すらしい。  青年がそれに抜擢されたことは、ドウメキも耳にしていた。  結界を張り続ける術を、身につけていることにも驚いた。きっと、それに向けて緊張しているから、妙なことを言うのだろうなとも思っていた。 「ねえドウメキ、お前はずっと私といてくれるかい」 「……元気がないな、どうした」 「はぐらかさないでくれよ。こう見えても、少しは緊張をしているんだ」  心なしか、繋ぐ手の力が強くなった気がした。ドウメキの紅い瞳が、青年へと向けられる。琥珀の瞳と視線が絡まった時、青年の手のひらが、そっとドウメキの頬に触れた。 「見たかったなあ、お前の瞳の色……」 「当ててみろ」 「近くで見ても、わからないだろうよ」  寂寥感の滲む声が気になった。手のひらが、指先で探るようにドウメキの傷口に触れる。昼間、石を投げられた時にできた傷は、血が固まって瘡蓋になっていた。  あたたかな光が、細い指先から滲んだ。眩しそうに目を細めたドウメキの頬を、青年が引き寄せる。 「光をかざすとね、少しだけ見える気がするんだ」 「……見えるか」 「もう少し、近づかないとわからないや……」  こめかみに感じていた引き攣りは消えていた。傷口が、塞がったのだ。  目の前には、少しだけ泣きそうな顔をした青年の瞳があった。鼻先が触れ合う。互いの呼気が唇を撫でる距離だ。青年の親指が、顔の輪郭を辿るように唇に触れた。 「……名前を、呼んでほしかったな」 「っ……」  心臓が、やかましいくらいに暴れていた。今にも消えてしまいそうな姿を前に、ドウメキは一呼吸を塞ぐかのように唇を重ねた。  耐えられなかった。胸が熱くなって、苦しかったのだ。頭の中に、綿を詰め込まれたように思考ができない。  殴られるかもしれない。そうも思った。しかし、青年はドウメキを拒まなかった。  互いの唇の柔らかさを、確かめるだけの口付け。視界がぼやけるほどの一度だけの重なりは、微かな音を立ててゆっくりと離れた。   「……帰ろうか、ドウメキ。今日も……ありがとう」 「……送る」 「うん」  青年の優しい笑みが向けられる。  本当は、もう一度だけでいいから触れたかった。心臓が変な動き方をしているせいで、うまく喋れない。  口付けの後、平静を装うのに必死すぎて、ドウメキは青年の睫毛が濡れていることに気づくことはできなかった。

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