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4 憧れの君へと近づく方法1

「やべー、井ノ上と喋っちゃった」  売店の前で悠人と別れた中西は、この病院に運び込まれてから初めて、浮かれていた。  自分の病室に戻る道すがら、中西は緊張しすぎて高鳴った胸を押さえながらも興奮したままだ。嬉しさのあまり頬は紅潮し、四肢がまともなら今この場で飛び上がりたいくらいだ。 「俺、ちゃんと話しできたかな? 大丈夫だよな……えっと五階は循環器科……循環器ってなんだ?」  病棟案内のパネルの前で悠人の入院科を確認するが、健康優良児の中西には耳慣れない場所だ。 「やばっ、井ノ上のどこが悪いか聞くの忘れた……」  痛恨のミスに、松葉杖をついてなければこのままうずくまって床を叩いていただろう。それくらい、中西は悠人に憧れていた。  元々細かった輪郭がまた少し小さくなったような印象の悠人を見て、心配よりも先に喜びで胸が湧き踊った、進級してから話しかけることができず悶々としていたはずなのに、探し回っている時間にずっと悠人のことを考えていたせいか、緊張よりもその名を呼びたい気持ちでいっぱいになり、臆せずというよりも心が爆発する勢いのまま声を掛けてしまった。  想像していたよりもそっけない喋り方に少しだけ硬い声。歓迎されていないのは分かっていたが、それでも浮かれずにはいられない。悠人の声を交わすのもだが、声を聴くのも初めてなのだ。もう周囲の音など耳に入らないほど、彼の声に意識が集中していく。  数言の会話。それだけで舞い上がった。嬉しくて嬉しくて、病室に戻っても落ち着かなくて、ずっと考えていた口実を実行するため、回診が終わってすぐに教科書とノートを斜め掛けのカバンに詰めた。  まだ慣れず時折使い方を誤ってしまう松葉杖を使ってエレベータを降りていく。  入院服を身に着けているのをいいことに、堂々と病室の前にかけられたネームパネルを見ていく。  いかにもな老人の名前ばかりが並ぶばかりでその名前を見つけることができず、ナースステーションで訊ねた。 「すみません、井ノ上悠人くんの病室ってどこですか?」  分からないことがあればナースステーションに聞け、これが入院患者の鉄則だ。なんの躊躇いもなくナースステーションに突撃したが、看護師が驚いた顔で一斉にこちらを見た。 「えっ……井ノ上悠人くん? 君は誰かな?」  一番近くにいた看護師が訊ねてきた。 「井ノ上くんのクラスメイトで、整形外科に入院している中西拓真です!」 「どうしてここに?」 「さっき売店で井ノ上くんに教えてもらったんです。病室ここだって。それで頼みたいことがあって来たんです」  ちらりと看護師が中西が掛けているカバンを見る。その中には教科書やノートばかりだ。見られて恥ずかしいものはなにもない。 「ちょっと待っててね」  看護師がどこかへ行き、手持ち無沙汰で待っていると眼鏡をかけた30代くらいの男性を伴って戻ってきた。 「あーーーー、悪徳弁護士!」  相手が喋る前に中西は思わず叫んでしまった。  白衣を纏っているから医者だと解るが、その顔はヤクザと一緒に学校に来た弁護士と一緒だ。  看護師も悪徳弁護士と呼ばれた男もキョトンとする。 「医師、いつから弁護士になったんですか?」 「僕は医者以外になった記憶はないよ」 「えっ、でもヤクザみたいな人と一緒に学校に来ましたよね。俺覚えてます」  その一言に、男性は噴き出した。 「それ、確かに僕だ。でも悪徳弁護士じゃないし、一緒にいた人もヤクザじゃないよ」  ゲラゲラ腹を抱えながら笑い、その合間に事実を告げてくる。 「今どきの高校生は面白いこと考えるねぇ」 「あ……すみません、勘違いしちゃって……」 「いやー久しぶりに笑わせてもらったよ。なかなかユニークだね、悠人くんの友人は……で、どうして弁護士とヤクザになってるのかな?」 「あの……実はですね」  なぜ悪徳弁護士になったのかを説明するとまた爆笑され、それは傍にいた看護師たちにも伝染していった。  ナースステーションが笑いの渦に巻き込まれている中、中西は笑われるようなことを言ってしまったことに顔を真っ赤になる。自分たちが信じていたことが大人にとっては笑い話になるのだという事実に驚愕だ。  同時に、自分はまだ子供なんだと再認識させられ、肩身の狭い思いでナースステーションの傍に立っているしかなかった。 「楽しい話をありがとう、えっと名前を教えてくれるかな?」 「中西……拓真です」 「中西くんね。それで悠人くんにはどんな用事なんだい?」 「あの……勉強を教えてもらおうと思って…」 「あぁ、なるほどね」  中西の足に目を向けた医師はそれだけですべてがわかったのだろう、「おいで」と言いながら奥の病室へと案内した。松葉杖を突く中西の後ろからなぜか声をかけた看護師までもが付いてきた。 「今、悠人くんは寝ているから教えられないけど、起きるまで待てばいいよ」 「いいんですか?」 「うん。悠人くんのお見舞いに同級生が来るのは初めてだからね。あぁ座って。クラスメイトって言っていたけど、教室での悠人くんはどんな様子なんだい?」 「井ノ上は……休み時間はいつもいろんな本を読んでますよ。難しいのから軽いのまでジャンル問わずに」  知っているのは、彼を認識してからその教室に行っては何を読んでいるのかをさりげなくリサーチしたからだ。中西でも読めそうなものは図書館で借りて読んだし、難しそうなのはただただ「すげー」と感嘆した。それを入院する直前まで続けていたのは内緒だ。 「ずっと本だけを読んでいるのか。まぁ予想通りだね。でも中西くんはよく見ているね、悠人くんのことを」  たったこれだけの情報で、なぜそこまで見抜くのかと焦ってしまう。  きっとクラスの……いや学校中の誰よりも悠人のことを気にしてみているのは自分だけだろう。誰とも仲良くしない上に、あの恐怖の対象だった脳筋を追い出した悠人は、学校中から腫物のような扱いを受けているから。親しくしたり逆にイジメなどしたらまたあのヤクザがやってくるのではないかと、皆が遠巻きにしている。 「それは……」  なんと言っていいか分からなくて中西は言い淀む。  またバカにされやしないかと心配になるが、他になんて言って誤魔化していいのかもわからない。  だから思っていることを素直に口にした。 「井ノ上ってマドンナに印象が似てるんですよ」 「マドンナ?」 「歌手の?」  医師と看護師の顔に疑問符が浮かぶのを見て、慌てて訂正する。 「そっちじゃないです、小説の!」 「あぁ、『うらなり』の婚約者だった!」

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