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こっちのリュカ③
その次の日、同じ時間に同じ場所を通ったディオンは無意識に草むらの中の小麦を探した。
しかし昨日いた場所には見つからず、少しだけ歩道から身を乗り出して坂の下を覗き込むと、向こうのほうでせっせと穂を揺らすリュカのかがみ込んだ小さな背中が見えた。
「おお、ディオン! 今から塾か?」
「っす」
歩み寄ったのはディオンだったが、先に声をかけたのはリュカだった。
リュカはまた雑草にしか見えない草を握りしめている。今日も白い肌を土で汚して、首筋のあたりが汗で湿って輪郭を光らせていた。
「あの」
「ん? なんだ?」
リュカは手を止めないまま、言葉だけをディオンに返す。
「これ、塾で食べろって親が持たせてくれるやつなんすけど」
「ん?」
リュカが顔を上げた。
その視線の先にはディオンが差し出す、透明のビニールに包まれたクリームパンがあった。
「食べます?」
ディオンの問いに、リュカはクリームパンを見つめたまま立ち上がった。
「なぜだ?」
リュカは感情を浮かべないまま、ディオンの顔に視線をあげた。
「なぜ、とは?」
ディオンはリュカの問いに首を傾げる。
「なぜ、これを僕にくれる? 僕が腹を空かせていて可哀想だからか?」
リュカの表情に怒りや嫌悪はなく、ただ純粋にそう聞いたのだろう。
しかし、その質問を受けてディオンの心臓は跳ね上がった。
その通りだった。ディオンはリュカを可哀想だと思ったのだ。ぼろぼろの衣服で、クラスメイトにからかわれ、こんなところで草をむしっているリュカを哀れに思った。
しかしそのことが彼に伝わり、彼を傷つけたのかもしれないと思った瞬間、ディオンは呼吸が苦しくなるほど喉の奥が締まっていった。
「いや、ただ……いつも食べきれないから、一緒に食べようかと思った……だけっす」
どうにか誤魔化す言葉を探して、ディオンはそう絞り出した。
「そうか」
そう言って、リュカは一歩ディオンに歩み寄り、クリームパンに目を落としている。
髪と同じ色のまつ毛がディオンの眼前で伏せて、その頬に影を落としていた。
「食べます? 一緒に」
「ああ、そうだな」
リュカが頷き、ディオンはやっと締め付けられていた喉奥が緩んでいった。
リュカはランドセルの上に手に持っていた草を置き、自らの両手を上向け左右交互に眺めている。どちらの手のひらも土や草の汁で汚れていた。
ディオンはそれをみて、自らの手元でパンの袋を開けた。そして半分ほどを袋から押し出して、リュカの口元に差し出してやる。
一瞬躊躇ったリュカはそれでもディオンの意図を察したらしい。自らの手は体の横で上向けたまま、顔だけを前に出して、その薄い唇でクリームぱんの隅の方を小さく喰んだ。
「もっと食べていいっすよ」
ディオンは遠慮がちだったリュカの口元にさらにパンを押しやった。リュカはもう一口、今度は少し大きめにパンを齧りとった。
「うまいっすか?」
そう尋ねると、リュカは口をもそもそ動かしながら、うんうんと大袈裟に頷いている。
ディオンは別に全てをリュカにあげても良かったのだが、一緒に食べようと言った手前自らもそのパンの一部を齧った。
体裁を整えて、再びリュカの前にパンを差し出すと、まだ口に残っているのに慌ててリュカがもう一口パンを齧る。
何か生き物に餌をあげているような妙な気分だ。リュカの口の端についたクリームを眺めながらディオンはそんな風に考えていた。
「クリームついてるっす」
そう言いながら、ディオンは自分の口の端を指差した。リュカはそれをみて、付いているのとは反対側を舌で舐めた。
「そっちじゃないっす、逆」
その言葉に今度は反対側の口の端に舌を出した。
赤く柔らかそうな舌先が薄く開いた唇から、線をなぞり、クリームを舐めとっていく。ディオンはその様を食い入るように見つめていた。
「取れたか?」
リュカの問いに、ディオンは我に帰った。
「あ、取れたっすね……」
「そうか」
ディオンは自らの心臓がまた早く脈打っていることに驚いていた。リュカの舌先が動く様が、何故か脳内に浮かび上がっている。
「どうしたディオン」
「え?」
「暑いのか? 顔が赤いが」
「…………いや」
空になったビニールの包装を、ディオンはくしゃりと手元で畳んだ。
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