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第5話 家族との穏やかなひととき

 目覚めてから二ヶ月。ユーリルの体調はすっかり安定し、ようやく十七歳らしい体つきになってきた。  これまでは華奢で折れそうだと皆、ハラハラとしていたが、頬もふっくらとまろやかになって、帝国の妖精と言われるエリーサに似てきたと評判だ。  穏やかで柔らかな印象の母と、涼やかで凜とした雰囲気のユーリルが並べば、太陽と月の如しと言われる。銀髪がより神秘的な印象を強めるらしい。 「やあ、ユーリィ。今日も母上とミラとお茶会?」  宮殿内を移動していたら、ふいに声をかけられユーリルは振り向く。数歩離れた視線の先に、綺麗なピンク色の髪と瞳をした男性が立っている。  エリーサに似た優しい面立ち。文官風の長衣を着た彼は、六歳年上の長兄、シリウスだ。  書庫からの帰り道だろう。後ろの侍従も、彼自身も本を抱えている。  シリウスは本がとても好きで、宮殿内にある書物はほとんど読んでしまったとか。日々、せっせと書庫の管理人が、新しい本を仕入れている。 「はい。新しい花が咲いたとかで姉上に呼ばれました」 「ユーリィは偉いなぁ。私は彼女たちのお喋りに付き合うのが嫌で、それとなく断ってしまったというのに」  おどけて肩をすくめるシリウスに、クスッと小さくユーリルは笑う。  確かに女性陣はお喋り好きだ。シリウスならば、その時間で本を一冊でも二冊でも読みたいと考える。  いつだったか姉のミラが「のらりくらりと躱すのが上手い」とぼやいていた。 「煎じたら体に良い花だからと」 「そうか。最近はとみに調子が良さそうだな。愛らしい顔がますます可愛くなった」  近くまで来たシリウスは本を小脇に抱えて、ユーリルの頭を撫でる。  数ヶ月のあいだで体も丈夫になったが、兄姉たちとの関係も改善された。いまではこうして他愛ない触れあいもできるほどだった。  どうやら兄たちは、母を独り占めするユーリルに距離を置いていたのではなく、か弱い弟をどう扱ったら良いかわからなかっただけ。きっかけを作ればあっという間に距離が縮まった。 (デイルの言う手紙や贈りものは効果的だったな) 「私の代わりに二人の機嫌を取っておいてくれ」 「はい。シリウス兄さまは忙しそうだったと言っておきます」 「うんうん。よろしく頼んだよ。……あ、そうだ。絵本の初版本はまだ見つかっていない。どこかに草稿でも残っていないかと探している最中だよ」 「わざわざ、ありがとうございます」 「いや、気にしなくていい。ないと言われたら探したくなるからね。じゃあ、お茶会を楽しんでおいで」  ぽんぽんとユーリルの肩に手を置いてから、シリウスは手を振って去っていった。  先ほど彼が言った絵本とはドラゴンと初代皇帝について書かれた唯一の本。いまも発行されている絵本は、噂では何度も改訂されているらしかった。  巻き戻りの要因を調べるため、初版本を探したが見つからず、シリウスを頼ったのだ。 「兄上でも見つけられないならば、相当難しそうだ。初版と言わないまでも、なるべく古いものがあれば良いのだけど」 「熱心に探されていますが、ドラゴンについてなにをお調べに?」  兄の背中を見つめながら呟いたユーリルに、傍で控えていたデイルが訝しそうな顔をした。  いきなり巻き戻りについて、とはさすがに言えず、ユーリルは少し言葉を探す。 「うん。――なぜドラゴンはこの国に力をもたらしたのか。どうして皇位継承がドラゴンによる選出なのかと気になってね。でも書庫のどこにもそういった文献が残っていないんだ」 「なるほど、それは気になってしまいますね」  皇位継承の儀式はユーリルも一度経験したので覚えがある。  普段は封印されている儀式の間。そこにはドラゴンの力を結晶化させたらしい、大きな宝石が収められていた。  緋色の宝石に祈りを捧げると、候補者には光が注ぎ、選ばれなかった者へは反応しない。  皇帝継承の際も宝石の前で代替わりの儀式を行う。通常は皇帝から候補者へだが、ユーリルの場合は最後の一人だったため、部屋に入った途端、選定もなく力を継承された。  魔力の結晶とは言うけれど、まるで意志があるように感じられる存在だった。 「ドラゴンは建国に関わるとされる存在。伝承は残っているのに本当にいたかもわからない」 「国民の大半はおとぎ話のように思っているでしょうね。儀式も形式だろうと」 「ドラゴンは人見知りなんだろうか」 「……面白い考えですね」 「笑ったな。でもそうじゃないとあまりにも痕跡がない」  ぽつんと呟いたユーリルの言葉に目を丸くしたあと、デイルはクスッと笑った。  ほんの少し子供扱いされた気分になり、ユーリルはムッとして目を細める。そんな仕草が余計に子供っぽさを助長するのだけれど、デイルの前ではつい表情を繕い忘れるのだ。 「もっと色々と調べられると良いんだが。そう簡単に宮殿は出られないよな」  兄姉たちは公務などで外出があるけれど、ユーリルは未来もいまも、宮殿の敷地から出た経験がなかった。しかしいつ倒れるかもわからない体の脆さを考えれば当然である。  体を鍛えているのは、そのうち公務も任せてもらえるようにという面があった。 「大丈夫ですよ。陛下もユーリさまの頑張りを見ておられます」 「ありがとう。そうだな。腐らずいまできる最善を尽くそう」  早く物事を知りたいときは、逆に慎重に進むのが一番早いとも言う。  穏やかなデイルの笑みに微笑み返し、ユーリルは止まっていた足を踏み出した。  お茶会の場所は宮殿の庭にあるガゼボ。その一角に咲いている花は姉のミラが育てている。お茶会の招待状には、薔薇が見頃なのだと書いてあった。  ミラは植物を育てる才に秀でており、特に彼女が育てた薬草は国外でも評価が高い貴重な品だった。魔力過多症の治療に使われた薬草はミラが手ずから育ててくれたらしい。 (でも未来では魔力過多症の治療薬は開発されていなかったのだけどな)  ふとユーリルは自身に関わる部分ばかりに変化が起きている気がした。まるでユーリルが見てきた未来を、再び道を辿らないよう、誰かが軌道修正しているみたいに。 「ユーリィ、遅いわよ」 「お待たせしてすみません」  ガゼボに着くと、母のエリーサもミラもお喋りに夢中だった。それでもユーリルの気配に気づいたミラは、ぱっと振り向いて手を振ってくる。  ピンク色の髪に空色の瞳。母に似た色合いだけれど、ミラはどちらかと言えば父親の皇帝に似ている。普段からドレスよりズボンを好み、凜々しい顔立ちで令嬢たちの憧れの的だ。 「サイラスも席に着くと良いわ」 「ありがとうございます。お言葉に甘えて失礼いたします」  ユーリルが女性陣の向かいに腰を下ろすと、ミラに言葉をかけられたデイルも隣に着席した。本来、従者に当たる者が主人と席をともにするなどありえないのだが、彼は特別だ。  幼い頃のユーリルは、デイルの姿が少しでも見えないとぐずっていたのだとか。  随分と昔の話なのでユーリルもほとんど覚えていないものの、以降は公式の場でない限りデイルも同席するようになった。――と、皆に聞いた。 「あら、ユーリル。シリウスに会ったのね」 「え? はい。会いました」 「肩にお兄さまの蝶が留まっているわ」  目の前の二人がくすくすと笑うので、隣のデイルに視線を向けてみたら、黙って頷き返される。彼がユーリルの肩へ指先を差し向けると、キラッと光の粒子が舞った。 「いつの間に」 「先ほど席に着いてからです。無事にガゼボに着いたのを見届けたかったのでしょうね」 「……そこまで心配しなくとも良いのに」  恥ずかしさでユーリルが頬を染めれば、デイルの指に留まっていた蝶がひらひらと舞い、空気に溶けるみたいにすーっと消えた。 「お兄さまにとってはいつまで経っても小さなユーリィなのよ」 「来年には成人するのに」 「シリウスはユーリルが熱を出すたびオロオロして、本の虫になったのもそのおかげかもしれないわね」  目配せして笑う母と姉の言葉に、ユーリルの胸がきゅっと締めつけられる。  これまで知らなかった兄姉たちの気持ち。ずっと嫌われ、腫れ物を触るかの如く避けられているのだと思っていた。  シリウスが本ばかり読むようになった理由も、ミラが草花を育てるようになった理由も、すべてはか弱い弟のためだったのだ。 「ヘイリー兄さまが騎士になったのも、弟を護るんだって、ね」 「そうだったわね。幼い頃のヘイリーは小柄だったから、大丈夫かしらって思ったわ。いまは随分大きくなったけれど」 「ヘイリー兄さまも――僕は、恵まれた人間だったんですね」 (僕が自分で壁を作っていたんだろうか。自分だけ混じりもので、家族の中で除け者のように感じて)  家族は全員魔力の豊富さを表すピンク色の髪を持っている。兄二人に至っては瞳まで綺麗な色だった。皇帝も継承前は二人と同じく髪と瞳の色が見事だったと聞いた。  家族でユーリルだけ銀色に赤が混じる程度。 「ユーリさま、これからですよ」 「……うん」  これから家族との関係を築いていけば良い。デイルの言葉にユーリルは大きく頷く。  ただ懸念はある。叔父のミハエルがいまでも皇帝の座を諦めていないとしたら、まだ未来を辿る可能性はなくなっていない。  皇帝や兄たちが次々と亡くなった未来。あれは人為的で間違いない。ユーリルまで手にかけたのだから、主犯はきっとミハエルだろう。 (でもまったく証拠がない)  未来で誰もミハエルを疑っていなかったのはなぜなのか。あれほどの野心を何年も隠し通す彼はひどく厄介だ。どこかで隙が見つけられたら違うのだろうけれど。  無意識のまま、ユーリルが隣にいるデイルの袖を掴んでしまうと、ミラがクスッと笑みをこぼした。 「本当にユーリィはサイラスが大好きね」 「そ、それは……幼い頃から一緒にいますし、主従ではありますが従兄弟ですし」  ミラのからかう視線で、自身の行動に気づいたユーリルは、慌ててデイルの袖から手を離すが、時すでに遅しだった。 「うふふ、そうね。お兄さまも素敵な息子ができたと喜んでいらしたわ」 「光栄です。義父上にも義兄上にも、よくしていただいています」 (アビリゲイト侯爵は夫人を早くに亡くしてるんだったな。そういえば、デイルとはいくつから一緒にいるんだった? デイルと僕は八つ離れてる。――あ、日記)  八歳の誕生日からずっとつけられている日記。必要になるからと言ったのはもしかしてデイルなのかと、ユーリルは隣をじっと見てしまった。 (必要になるってどういう意味だ?) 「どうかされましたか?」 「いや、僕が日記をつけ始めた理由が」 「ああ、いまも書いていらっしゃったんですね。私がつけてはいかがですかと進言したんです。日々頑張ったことを綴っておけば、躓いたときにどれほど自分が頑張ってきたか、振り返られるだろうと」 「そうだったのか。それで必要になる、か」  実際に必要になったのは〝いま〟のユーリルだけれど。  考えてみると未来と違うデイルの存在も不思議だ。誰がこんなにも魔法を発達させたのか。  魔法の発展により魔法騎士という組織が生まれ、そのおかげで彼はいまの立場についた。歯車が一つ変わるだけで、こうも未来が変わっていくのかと驚きさえある。  魔力を測定する魔道具が開発されたからこそ、ユーリルが魔力過多症だとわかったのだ。  現在は体がコントロールしきれなかった体内魔力を、調合された薬で整えている。もう少し丈夫になれば、薬を常飲しなくとも良くなるらしい。 「ユーリルはサイラスがいてくれたら安心ね」 「本当ね。これからもうちの可愛い弟をよろしく頼むわよ」 「――はい」  エリーサとミラの言葉に返事をした、デイルが一瞬だけ返答をためらったように感じた。  表面上、いつものように柔らかく笑う彼の横顔を見つめて、ユーリルは訝しげな表情を浮かべる。以前、傍にいてほしいと言った時は躊躇することなく答えた。 (命ある限り、か。当然の言葉だけど、ちょっとだけ引っかかるな)  人は生きていればふいの出来事に巻き込まれる場合もある。  だとしても普通はあえて言葉にする必要もない。だが勘ぐりすぎかと、ユーリルはお茶が注がれたカップを手に取った。

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