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第8話 関わりたくない人

 今回の視察は四人だけが参加するわけではない。ユーリたちに同行せず、別行動でほかの場所を回ってくれる者たちがいる。  シリウスが人選してくれたらしく、顔合わせをしないかと言伝があった。  ライとフィンが退出したあとで、次の予定を立てようかと思っていたところだ。  なにからなにまで世話になっているのが心苦しいものの、これまでユーリは公務をこなしたことがない。  まったく要領がわからないので、恐縮せずに貪欲に学ぶべきだ。  これから先はユーリも兄姉たちのように、日々の業務を徐々に行っていく。  生まれて初めての経験だった。 「おや、ユーリル。本当にすっかり良くなったようだね」  シリウスの執務室に向かうため歩いていたら、向かいから見慣れた人物が歩いてきた。  魔力量が多いので、彼は未来もいまもあまり見た目に変化がない。  綺麗な赤紫色をした長い髪と瞳。目に留めた瞬間、ざわっとユーリの体に鳥肌が広がった。 「叔父上。ご無沙汰しています」  動揺を悟られないよう、なるべく冷静を保ってユーリはミハエルに挨拶を返した。  ユーリル自身は未来の記憶を持っているけれど、あの日に関わった彼はどうなのか。  しかし心の内を見透かせない、綺麗な笑みを浮かべているミハエルから察するのは無理だろう。  彼は当日まで皇帝殺しを誰にも悟らせなかったのだから。 「久しぶりに会うけど。ユーリル、君は義姉上に似ていたんだね。ほかの者たちが噂していたが本当だった」 「そう、でしょうか」  大げさに身を乗り出し、顔を凝視してくるミハエル。  以前は顔を合わせるたび、似ていないと言われていたので、ユーリは非常におかしな気分だった。 「母上の銀に緋色か。義姉上の綺麗な髪色も良いが、ユーリルの色は神秘的で良いな」 「――――っ」  ふいに伸びてきたミハエルの手が、胸元に流していた毛先を掬い、反射的にユーリの肩が跳ねる。  後ろに控えるデイルの気配もピリついたけれど、相手は王弟であり公爵だ。彼が前に出るわけにはいかない。  だが次の動作にさすがのデイルも我慢がならなくなったのか。  一歩、足を踏み出した。  髪先に口づけられた当人――ユーリはミハエルに上目遣いで熱っぽく見つめられ、口の端がいまにも引きつりそうになっていた。 「君の騎士がお怒りのようだな。ちょっとした戯れだ。そう怖い顔で見ないでくれ」 「閣下、戯れがすぎます」 「甥っ子が驚くほど健康になっていたから、つい、だよ。また会おう、ユーリル」 「……はい」  髪に口づけたと思えば今度は去り際、頬を手のひらで撫でられて、ユーリは振り払わなかった自身を心の中で褒めた。 (なんだ、あれ。未来と対応が真逆すぎて――気持ち悪い)  覚えがあるミハエルは、あまりユーリを好んでいなかった。  継承候補でなかったユーリが帝位を継いだので余計だったのだろうが、この変化はちっとも嬉しくなかった。 「ユーリさま。なにもできず、申し訳ありません」 「相手が悪かった。仕方ない。――デ、デイル、そんなにこすらなくても」  ミハエルが触れた頬を、ハンカチでごしごしと拭くデイルの顔は至極真剣だ。 「あとで御髪(おぐし)も拭いましょう」 「えっ! ああ、うん」  主人にあんな真似をされれば、騎士として従者として、怒って当然ではあるけれど。  ユーリはまるで年頃の令嬢になった気分だった。 (それにしても叔父上。やっぱり母上に横恋慕しているんだよな)  元からなにかとエリーサの話題を持ち出してくる人物ではあった。  だとしても普通は、似ているだけで甥にあのような――熱のこもった――目は向けてこないだろう。  手に入らないエリーサを諦めて、こちらへ矛先を向けられてはたまらない。  今世ではなるべくミハエルに関わらないでおこう、とユーリは心に誓った。 「ユーリィ、いらっしゃい。……君の騎士はどうしたんだ?」  シリウスの執務室に着くと彼は開口一番、驚いた声を上げる。  よほど後ろのデイルがしかめっ面だったのだろう。  彼は着くなり、近くの侍女に濡らした布を持ってくるよう言っていた。 「少々ここへ来るまで災難がありまして」 「……そういえば先ほど、叔父上が陛下と謁見していたな」  言葉を濁したのに、デイルの反応ですぐさま言い当てるシリウスに驚かされる。 (もしかして叔父上が母上に、って言うのはみんな知っていたのか?)  ずっとベッドの上で過ごしてきたユーリは外の情報に疎い。  それが男女の色恋であればなおさらだ。  しかも話題の中心は母と叔父、そこに関わるのは父だ。  誰もユーリの耳に入れようとは思わない。 「困った方だな。確かにユーリィは美しいが、変な目で見られるのはいただけない。そもそもユーリィは幼い頃から美しいのだから。いまさら気づく者に触れる権利はない」 「兄上?」  ふん、とシリウスは鼻息を荒く怒りをあらわにした。  そんな兄にユーリは戸惑うが、なぜだか周りの者たちは彼に同意して深く頷いていた。 「よほど兄上や姉上のほうが美しいと思いますが」 「ユーリィのその無自覚さは可愛いが。サイラス、道中は十分に気をつけるんだぞ」 「はい、二度と害虫を近づけぬよう心得ております」  シリウスとデイルのやり取りにユーリは呆気にとられる。  帝国の公爵を〝害虫〟呼ばわりした上に、重要な使命の如く心得る必要があるのかと。 「兄上それよりも」 「ユーリィ、綺麗に髪を拭って、整えてもらいなさい」 「は、はい」  侍女にソファへ勧められ腰掛けたユーリィは、従わなければ埒があかないと、黙って身繕いを受け入れる。  それでもシリウスは合間、きちんと視察に参加する者たちを紹介してくれたので安心した。 (僕が知らなかっただけで、兄上にこんな重い――いや深い愛情を持たれていたんだな)  周りで世話をしてくれた侍女や侍従も体が弱い可哀想な殿下。  そんな風に考えていたのではとずっと思ってきた。しかし回復しても変わらず心を込めて接してくれる。 「なるほど、王都周辺から回るのだな。良い判断だ。部隊は四つある。ユーリィたちと合わせて五ヶ所同時に調査できるから、出発日までによく相談し合うといい」 「兄上、ありがとうございます」  向かいのソファに移ってきたシリウスに自身の考えを述べると、満足げに彼は頷いた。  一番帝位に近い、シリウスに褒められるのは、ユーリにとってなによりも嬉しいことだった。  次兄のヘイリーも時折、鍛錬に付き合って頑張った分だけ褒めてくれる。  姉のミラもいつも気にかけ、体にいいお茶を届けてくれた。  彼女は来年、近隣国の王太子の元へ嫁ぐので、一緒にお茶会ができる日も限られている。 (本当に僕は、自分の境遇を哀れんで卑屈になっていた。時間を無駄にする真似はやめよう) 「とはいえユーリィ。十分に気をつけるんだよ。伝染病ではないと言っても原因不明の病だ。君が患ってしまっては元も子もない」 「はい。細心の注意を払います」 (もっと真面目に国のことを知っておけば……遠回りせずに済んだのだけれど)  未来でも似たような病が流行り、多くの民が命を落とした。  最終的に、率先してミハエルが指揮を執り収束した。と、ユーリはすべてが済んでから聞かされただけだった。 「……可愛いユーリィは、私の手元に置いて大切にしておきたかったが。雛も巣立つ時が来たのだね。相談なく決めた陛下には腹が立った、というのが正直な感想だ。でもいまのユーリィの瞳はキラキラと輝いている。頑張りなさい」 「ふふっ、はい。頑張ります」  少し拗ねた表情をするシリウスに思わずユーリは笑ってしまった。  今回の件はルカリオの独断だったらしく、ミラに話をした時もいささか不満顔だった。  しかし良くなったばかりなのに、とこぼしつつも、外へ出たいと望んでいたのがユーリだったので、声を大にして文句を言うことはしなかった。 「それとは別に、叔父上には十分気をつけて。あの人はわりと粘着気質なんだ」 「あ――はい。できたら僕もあまり関わりたくないです」 (そういえばガブリエラはいまごろ、どうしているんだろう。彼女、思い返してみれば母上に似た顔立ちだった気がする)  似ているからユーリに娶らせたのだとしたら、粘着質どころではない。  堂々とガブリエラはミハエルと浮気をしていた。  さらにもし、ユーリとの子が生まれて互いに似ていたら――そこまで考えて、恐ろしさを覚えたユーリはふるふると頭を振った。 「ユーリさま? いかがされました?」 「いや、ちょっと嫌な想像をしてしまっただけだ」 「……叶うなら手首を切り落としたかったです」 「デイル、それはやめてほしい。色々と困る」  今日はソファの後ろに控えていたデイルが、突然物騒なことを言い始めたので、ユーリは乾いた笑いを漏らす。  そんな真似をしたら、デイルの身が危うい。  だというのに、向かいのシリウスまで「できるなら私もそうしたい」と呟いたため、必死に二人をいさめる羽目になった。

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