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第5話 再会

 たっぱちゃんは何も訊かなかった。  昔からそうだった。  母親の離婚で初めて転校先の小学校に登校した日も、迎えに来たたっぱちゃん、音丸は特に何も訊かなかった。  だから三弦はつい教室でおもらししたことを告白してしまった。授業中に「おしっこ」と言えずに漏らしてしまったのだ。音丸は興味なさげに「そうですか」と答えるだけだった。  促されているような気がして、三弦は詳しく説明していた。  やれ保健室で新しいパンツや体操服のズボンに着替えたの、やれ濡れた物は保健の先生が帰るまでに乾かしてくれたのと。  音丸はただ相槌を打っていた。三弦が自分から手を伸ばさないと、手も繋いでくれなかった。  気を使っていると言うよりも、他人に興味がないのかも知れない。そう気づいたのは中学生になって音丸が家から出て行った後である。  うっかりすれば音丸は三弦の手を引いている時も、上下を切って(カミシモをキル。左右を向いて人物を演じ分けること)落語の稽古をしたりする。  逆に三弦にはそれが気楽だった。離婚で片親になった哀れな子だと同情されるより無関心の方が遥かに良かった。  だから何故あんな所を一人で歩いていたか、問われもしないのに大学のサークル合宿所に行く途中だったがバスに乗り遅れたのだと説明していた。  小学生の時におもらしを告白したのと同じだった。違うのはあまり詳しく説明しなかったことである。  マイクロバスがホテルに着いて前の席の客達が降りた後も、三弦と音丸は後部座席に居た。 「この車は後でまた駅にお客様を迎えに行くそうです。ついでに合宿所まで送ってもらいますか? それとも……」  と音丸が提案したのは、ホテルに泊まって落語を聞いて行くことだった。  笑うと糸のようになる切れ長の目は、昔はもっと剣呑な光を湛えていたはずである。  九州出身だそうだがイントネーションや言葉尻に少し訛りが残っていた。  なのに久しぶりに会ってみれば元柏家たっぱ、現柏家音丸はずいぶんと柔和な印象になっていた。言葉も完全に東京人になっている。 「幸いツインルームを用意してくださったそうですから。泊って明日一緒に帰りましょう」  と誘うかつての世話係に無意識のうちに頷いていた。  音丸はすかさず三弦のシートベルトを外そうとする。 「もう子供じゃないんだから、自分で出来る」と言いかけた口を噤んで、されるがままになっていた。  あの渓谷から吹き上げる風に晒されて冷え切った心が、ほんのり温もっているようだった。  気づいていたとも。いじめられていたことぐらい。 〝いじめられていた〟と言葉にしてみて、と胸を衝かれる。  言語化するまでそれはないことなのだ。  ちょっといじられているだけ。気にすることはない。  知らんふりでやって来たが、寒風のハイウェイを歩いた果てには認めざるを得なかった。  夏休みに入って間もなくサークルの合宿が行われる。三弦は昨年も参加したから二度目である。  レンタルしたマイクロバスに十数人で乗り込んで、山の合宿所に向かっていた。  駅を離れて山道に入る前に、最後のトイレ休憩があった。ここから合宿所まではさして時間はかからない。けれどトイレと聞くと条件反射で立ち上がらずにはいられない三弦である。  何しろ小学校で転校初日におもらしをしたのだ。おねしょもなかなか治らずに音丸に迷惑をかけたものだった。  このトイレ休憩でバスを降りたのは女子数名で、男子は三弦だけだった。そして男子たちは「レディファースト」と三弦を車に乗せず、女子らが乗り込むなり車を発車させたのだ。後ろ姿を見せびらかすかのようにマイクロバスは走り去った。  遠ざかる窓にげらげら笑っている男子たちの顔が覗いていた。何だかもう走って追いかける気力もなかった。  選択肢は二つだった。歩いて駅に戻るか、合宿所に向かうか。  仕方なく山に向かって歩き始めて、もう一つの選択肢に気がついた。  それが立ち止まったあの場所だった。  ガードレールを飛び越えて、谷底に消えてしまう手もあると。  まさかあんな所でたっぱちゃんに再会するとは思わなかった。  思い出してもみれば、前座たっぱが世話係だった頃、三弦がいじめられることはなかった。  事もあろうに転校するなり教室でおもらしをしたのに。  下校時にクラスのジャイアン的男子に「おしっこたれ」「おもらし君」などと囃し立てられた。そのままいじめられっ子の地位を確立してもおかしくはなかった。  ところが、いじめっ子は音丸がやって来るなり黙り込んだのだ。  幼い子供とは常に大人を窺う存在である。庇護を必要とする身の本能だろう。この大人は自分の敵か味方か嗅ぎ分けるのだ。そして当時の音丸は子供にとって脅威でしかなかった。  見上げる程の身長で(今となっては三弦と5㎝程しか違わないのだが)鋭い切れ長の目が射るような光を放っており、全身には曰く言い難い殺気が漂っていた。  毎日のようにそんな男と共に下校するのだ。  離婚して会社勤めを始めた母親に変わって、前座たっぱは何かと言えば小学校にやって来た。  授業参観の女親ばかりが並ぶ教室の後ろで頭一つどころか二つも三つも抜きん出た男が立っている。運動会では親子リレーで誰より早くゴールを切って一等賞をとる。  竹田三弦の父兄はただ者ではないと噂になった。  あれは反社かヤクザかと遠巻きに言われ始める頃、小学校の講堂で芸術鑑賞会があった。祖父の柏家仁平が出演して前座のたっぱが開口一番を務めたのだ。  単なる落語家とほっとしたのは父兄たちで、子供にとっては相変わらず剣呑極まりない大男だった。  その危険さを充分に見せつけたのは、下校時の校門に変質者が出現した時だった。コートのみを着用して裸の身体を見せつけて喜ぶ変態である。子供らが職員室に教師を呼びに走るより早く、三弦を迎えに来た音丸がその男を退治していた。  おそらく男子生徒の全員が青ざめたろうが、音丸は顔色一つ変えずにその男の逸物を膝で蹴り上げたのだ。三弦は変質者がその刹那「きゅう」と変な声を上げたのを覚えている。そのままうずくまりそうな身体の鳩尾に正拳突きを入れて完全に気絶させていた。  駆けつけた女子教諭は青ざめて礼を言っていたが、警察官は何故か自分の股間に触れながら、 「空手を習って……いない? いや、素人にしては見事な……二度と使い物にならないかも」  と褒めているのか責めているのかわからない言い方だった。  他にも音丸の武勇伝はいくらでもある。母親の華がストーカーに尾行された時も音丸が難なく退治した。助けられたはずの母までが怯えていたが、祖父仁平は、 「鼻が見事に陥没しとったぞ。いや、あれだ、たっぱ……よく華を助けてくれた。ありがとう」  と驚きながらも褒めていた。  柏家たっぱは小学校でちょっとした有名人になり、三弦はもはや無敵だった。  やがてたっぱは昇進して音丸となり祖父の家を出て行った。三弦はその後、何故か「はばかり君」などというあだ名をつけられて、いじめられるようになっていた。  蓮見三弦になったのは中学二年生になる頃だった。母親が商社マンと再婚して横浜に引っ越したのだ。間もなく妹も生まれた。 自分なりに考えて落語家の孫であることは隠すようになった。なるべく落語に関しては口にしない。けれどやはり何故だかいじめは始まった。  大学デビューを図って、横浜を離れて長野の大学に進学した。義父が実の親子三人で暮らしたかろうと慮ったせいもある。なのに山野草研究会に入るなり元の木阿弥である。  本当は一人で山歩きをして高山植物を撮るのが好きだった。サークルに入ったのは山野草の知識を得たいせいもあったが、 「三弦くんも大学ではサークルに入るといいよ。仲間が出来るし就職の時も有利だよ」  と一流企業に勤める義父に言われたせいもあった。

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