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 scene2      桜の花びらが風に舞い、足元でくるくると悪戯するかのように回っていた。  四月八日、高校に入って三度目の新学期。  今までクラス替えに興味などもたなかったが、今朝は少しだけ早めに家を出た。  どことなく緊張感を持って校門を抜け、掲示板を見た。  探していた小さな後頭部はどこにも見えない。  きっと、新学年になっても遅刻ギリギリに来るんだろう。  朝練と理由をつけ、練習熱心な振りをして部室で寝て過ごしている事を知っている。  また同じクラスになった事を喜ぶ女子達や、ただ確認だけして立ち去る生徒達の中、竹内悠生は自分の名前の書かれたクラスの中のただ一つの名前だけをじっと見つめる。  竹内にとって少しの間だけ友達だった――小川大翔と、また一年間同じクラスになった事を確認して教室へ急ぐ。  新しい教室は、知った顔もいれば二年間通っていて初めて認識する顔もいた。  竹内は同じクラスになった空手部の友人に「よう」と声だけ掛け、自分の番号の席に着く。 「また一緒んなったな」  竹内の前の席についた杉田洋介がニカッと笑う。  去年クラスは離れたが、数少ない一年からの友人だ。自然口元がほころぶ。 「最悪」  そう悪態をつくと「嬉しいくせに」とつられる様に杉田も笑った。  チラリと竹内とは対角線上先を見る。窓側の前から三番目はまだ空席だった。 「まだ小川来てねえじゃん、初日っから遅刻かよあいつ」  竹内の視線の先を読んだのか杉田が楽しげに言う。  きっと小川は竹内と同じクラスになった事を知って、今頃絶望的になっているんだろう。  そんな小川を想像して、気分が重くなる。  小川はあの日、竹内と縁を切ってしまった。それまでの二人が幻に思えるくらい、他人になった。  それは自分のせいなのだとわかっている。自分が全て悪い。  自分は小川の気持ちを何一つ知らなかった――そう思うと心は酷く重くなった。 「俺……お前の事が好きだった。女みたいに竹内の事が好きなんだ」  最初、小川が何を言っているのかわからなかった。  夏休み最後の日、一緒にと約束していた映画を観に行った帰り、人工に作られた浜辺に立ち寄った時だった。  想像以上だった映画の内容に興奮していたし、久々の小川との遠出で充実していた。  そよぐ潮風を受け、どこか爽快な気分だった。夏休み最後の日を小川と楽しく過ごせてよかった、また明日から学校と部活の毎日になるけれど新たな気持ちで切り替えられると。  遠く離れた水平線を眺めていた時、好きだったのだと唐突に後ろから言われたのだ。  振り向いた時の小川の顔は、今まで竹内が見た事もない顔で、しばし言われた事など頭の中に入って来なかった。  小川らしくない、どこか感情を押し込めた悲しげな表情。  その顔のせいで好きだという言葉の意味とリンクしなかった。  いつも元気で明るくおしゃべりな小川が、言葉少なに唇を噛み、震えるかのように両手を握り込んで立っている。  まるで踏ん張って立っていないと、波に飲まれ流されてしまうのではと必死になっているかのようで、どう言葉を返すべきなのか発する事も出来ず、頭の中は空っぽになっていた。  小川の事を好きなのかと問われれば、好きだとはっきり言える。  だけどそれは友達に向ける好きという感情であって、唯一無二の親友に対してだ。  一年の二学期に出会い、二年の夏休みまでの間、楽しい事も嫌な事も小川と共有してきた。  かけがえのない存在なのは確かなのだから。  竹内は何て返せばいいのかわからず、「何言ってんだよ」と訳も分からずに答えていた。無意識に口からこぼれてしまっていたのだ。  波の音は穏やかに何度も何度も繰り返し、遠くではカモメが自由に空を飛んでいた。  少しだけ大きかった波が竹内のスニーカーの底を覆い、浜辺で遊んでいた小さな子供たちから嬉しそうな奇声が発せられた。  沈黙の中、ただ見た事のない小川の俯きがちなその顔を見てはいけないような気がして、竹内は不自然に目を逸らす。  どうしたらいいのかわからなかった。  まるで別人のような知らない顔をして、好きだと言ったこの男は一体誰なのか。  今ここにいるのは本当に小川なのか――?   全てを諦めた顔で自嘲気味に笑い、背を向け一人帰った小川の心中などわかるはずもなかった。  何が起きたのか本当に理解できなかった。  なぜ、突然小川が悲しげな顔で好きだと言い、竹内に何かを求めるでもなく伝えたのか、それすら理解できなかった。  一体自分は何て答えたらよかったんだろう?  何て声を掛けたらよかったんだろう?  小川が遠く離れていくあの砂を踏む足音は、竹内という人間から去っていく音だったのだと気づいたのは、二学期が始まってからだった。  軽快に廊下を駆ける足音が聴こえた。  前の開けっ放しの入り口から誰に言うでもなく「ッスー」と声をかけて小川が入ってきた。後ろからは二年の時と変わらない担任の山口が続いて入ってくる。 「おい、小川! おっせーぞ!!」  杉田が自分の存在を誇示して声を上げる。  チラとこちらを見た小川は、杉田を見て「うっさいわー」と笑ったが、竹内を見ることは無かった。  決して合わされる事のない視線。小川の視界に竹内はいない。小川の口から竹内と言う名前が出ることもない、まるで透明人間になってしまったかのように、竹内はどこにもいない。  竹内はそっと目を伏せ、頬杖を付く。小川と同じクラスになれた事を喜ぶ杉田には何も伝えていない。自分達がもう既に友達ではない事は。  たかだか春休みの二週間、教室で小川を見なかっただけでまた随分と遠い存在になってしまったように思う。  髪が少し短くなった。春休み中、部活でグラウンドを駆け回る小川を見る機会は何度もあったが、遠く離れた道場から見えた小川の表情までは確認出来なかった。  竹内は小川の姿をこっそりと盗み見る。  紺色のブレザーに首元を緩めたワイシャツにネクタイ、細めのグレーのチェックのパンツ。制服姿すら懐かしいと思えてしまう。  背が低いわけでもないのに華奢なせいか小柄に見られるが、実際そうでもない。百八十四センチある竹内と並ぶと、小川のが拳一つ分肩が下がるだけだ。筋肉がつきやすく硬質な竹内に対して、小川は筋肉がつきにくく、竹内の見事な腹筋や上腕筋に憧れてベタベタ触っていた。  どんなに竹内が華奢な背中を見ていても、決してあの背中がこちらを振り向くわけでもない。  今日も淡いピンク色の服を着た担任の山口が、一人ずつ自己紹介するよう言うが、三年目ともなると教室からブーイングが起こり、結局去年も聞いた山口の自己紹介を聞くだけで終わった。 「相変わらずあいつ鬱陶しいなあ」  去年は別のクラスだった杉田が後ろの席の竹内を振り返る。  自己陶酔型のアラフォー山口は、趣味のトレッキングハイクについて長く語り、去年も聞き覚えのある感動した山々に思いをはせて延々としゃべっていた。去年も聞いた生徒たちは聞く気もなく、担任に興味もない杉田はそのまま竹内の机に左腕を乗せ横を向く。 「あいつ一年の時の趣味は油絵だったのに変わったんか」 「よく覚えてんな」 「だって入学ホヤホヤでさ、どんな担任か気になんじゃん。そしたらあれだもんな。初日から絶望したわ」 「気ぃつけろよ、最近男は目の敵にされてっから」 「マジで? 女子びいきかよ面倒くせえな」  大して大きな声でもなかったのだが、二人の無駄口が耳に入ってしまったのか、山口がジロリと二人を睨む。横を向いて座る杉田に担任は眉をしかめた。 「杉田君、前向いて座る」 「へーい」  ひょうひょうと答えて杉田は座り直すが、自己紹介を拒否されて機嫌を損ねている山口は、杉田をそれから何度もチェックするように見ていた。  小川が前の席からざまあみろと杉田に向かって親指を下げると、担任は間髪入れずに小川を注意する。そんな小川を杉田はまたゲラゲラ笑う。  二人のそんなやり取りを、竹内は頬杖を付きながらぼんやりと見ていた。

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