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  scene4    あんなに暑かった日差しは柔らかくなり、晴れた空は高く澄み渡り、短く儚い秋に移ろう季節になった。  学生達は衣替えをしポロシャツの軽装からシャツにタイ、そしてジャケットに変わった。  竹内が春に進路希望調査で出した進学先は都内の私立大学で、内申も良く、部活でも結果を出している為、難関と言われるランクの指定校推薦でほぼ決定している。  猛烈にガリ勉したいわけでもなく、空手を続けたいわけでもなく、経験の少ない竹内にはまだ決める事などできない。  幾分他のクラスメイトよりかは要領よく高校生活を過ごし、残りの学業も手を抜かず次に繋げる日々となった。  気になる小川は進路をどうするのか杉田に聞いた所、「どっかには行くんじゃね?」と適当に返されるだけだった。  夏休み、一年ぶりに小川と面と向かって話しをしたが、やはり夏休みが明けたらいつもの他人に戻っていた。  目など合う事もなく、小川の中から竹内と言う存在など最初からなかったかのようだった。  もしかして、あの空手の試合会場で見た小川は別人で、あの日話した事も幻だったのかと思う程だ。手と手を繋ぎ引き上げられた、あの掌の熱さや力は、自分の都合のいい妄想だったのかもしれない。  今、竹内の心を苛立たせる覚えのある光景が、元来深沈であるはずの竹内の脳内をざわつかせている。  寒さを感じ始めて上着を羽織りだした十月半ば、全学年参加の球技大会が行われる。  一年二年はそれなりに闘志を燃やすイベントだが、三年は自由参加の為、練習に参加する生徒も少なく、どことなく投げやりで、やる気など微塵も見られない。だが、いざ当日となると部活動を引退した連中の日々の鬱憤の場となり、なんだかんだと三年が一番盛り上がるのが恒例だった。  バスケットボール、バレーボール、サッカー、そしてソフトボール。この四つに分かれて試合をするのだが、小川や杉田はもちろんサッカーで、竹内は去年同様背の高さを生かしてバスケをやれと誘われていたが、アミダで外れやった事のないソフトボールになっていた。  授業の終わった放課後、練習時間が設けられるが、ガチ受験組は不参加、指定校などの推薦組や専門に進学する生徒達が参加していた。  その辺の事に関して真面目な竹内は、練習にはキチンと顔を出し、少ない面子でソフトボールの球を追った。  グラウンドの端でチラチラと映る見覚えのある影があった。  小川がサッカーボールを悪戯に蹴りながら一人の男と楽しそうに話している。時には肩を組み、顔を寄せ合って笑っている。お互いにボールを出し合い、戯れるようにボールを二人で操って、息はぴったり合っていた。しばらくすると二人でしゃがみ込み、並んで座っている。  あいつは以前小川を街で見た時一緒にいた男だ。背が高く体格のいい、たぶん後輩。  部活を引退してからやたら小川と一緒にいるのを見かけるようになった。小川の声が聞こえたかと思うとそこには必ずと言っていいほどその後輩がいて、仲良さげに小川と肩を並べている。  茶色に染められた髪と軽いノリ、そして大柄な体格の後輩は三年の教室が並ぶ階でもよく目立った。  見るからに陽キャのチャラい男だが、小川に随分と懐いているようで、そのせいか他のサッカー部員にも可愛がられている。三年の教室に物怖じせず堂々と入って来て、先輩相手でも平然と話し掛ける。返されれば話題を膨らませて盛り上がる、まるで宴会屋のようなタイプだった。  サッカー部のメンツと大勢でつるむ小川が、特定の誰かと常に行動を共にしているのは珍しい。まるで昔の竹内と小川のように。 「あれ誰」  昼食後の昼休み、授業が終わった途端に教室からいなくなる小川だが、廊下から耳に障る声が聞こえ、前の席でスマホの漫画を読んでいた杉田に聞いた。 「どれ?」 「今廊下で小川といるやつ」  杉田は大きくのけぞって首を廊下に伸ばすと「ああ」と言って竹内を振り返る。 「いっこ下のヤツ。サッカー部にいたんだけど半年でやめたんだよな、キツイって根性ねえの。けどさキーパーやらすとすげえうまかったんだよなぁ、不思議なヤツ」 「二年?」 「そ、そ、中津琥太郎(なかつこたろう)な。部にいた時から小川が随分と気に入っててさ、引退してからよく遊んでんじゃね? アイツも部入ってねえから遊ぶのにちょうどいんだろ」 「なんで後輩なんかと」 「そんなの小川の勝手だろ。でもうるせーのといると、小川がやけに大人しく感じるなあ」  中津といる小川を眺めながら杉田が呟くと、それを聞いた女子サッカー部の子達が賛同してくる。 「あ、わかる。小川部活引退してから雰囲気変わったよね。前はもっと幼いって言うかガキ臭さかったのに」 「そうそう、話してても俺が俺がって感じだったじゃん、今じゃ落ち着いちゃって私らのバカ話ちゃかさないで聞くし、余裕あんだよね」  ね、と女子二人は顔を見合わせて頷く。この子達は一年の時から小川と仲が良く、竹内も時々会話するクラスメイトだ。 「嘘やん、あいつに余裕なんか一ミリも感じねーぞ」  ジュニアクラブから付き合いの杉田が納得できねえと唇を尖らすと、女子が意味深に声を潜めた。 「私らに最近小川いいよねって言う子もいるし、結構ガチで告る子いそうなんだよね」 「へえ」  黙って女子の会話を聴いていた竹内から不意に返され、女子二人は不思議そうに竹内を見た。眉をしかめて竹内は答えるでもなく腕を組む。モヤモヤが重く体の中に立ち込め、えも言われぬ苛つきが頭の中を支配する。  三年に上がってから、小川に少しずつ変化が起きているのを竹内も気づいている。  無駄話ではしゃがなくなった。突発的な行動がなくなり落ち着いた。悪目立ちしなくなった。  授業中ふと見ると、頬杖をついて物憂げに窓の外を眺めている時もあった。  まるで小川は、教室の中で竹内の視界に入らないよう息を潜め身を隠しているかのようだ。 「なぁ、俺は? 俺の事言ってる子いねー? 俺も引退して結構真面目に将来考えてんだぜ?」  杉田が分かりやすくすり寄ると、女子サッカー部の二人はコントのように同時に腕を組んで溜息をついた。 「はぁ~、アンタはまだまだガキだね。成長中の小川を見習え」 「ありえねぇ、俺だって見えねートコで成長してんのにー」 「どこがだよ」  呆れる女子の向こう、廊下から、盛り上がる元サッカー部達の笑い声が響くと視線はみな一斉に向かった。  小川が中津と顔を寄せ合って笑っていた。中津の頭に手を伸ばすと髪をくしゃくしゃと掻き混ぜ、そのままネクタイを引っ張り耳打ちしている。  サッカー部に囲まれていても親密な二人の姿に竹内の苛つきは鋭い矢に変わる。 「あの二年わざわざ三年の所に来るとか空気読めねえアホか」  嫌悪感丸出しで放つ竹内に杉田は「あーあ」と呆れ気味に呟くと、廊下に向かって中津を呼んだ。 「琥太郎うっせえぞ! お前ここ来てる時は静かにしろや」 「あっ、杉田センパイ、チッス」  まるでラッパーのように中津は笑顔全開であいさつをすると、杉田の所に寄って来た。向こうで小川がさっと背を向けて隣の教室に入って行くのが見えた。 「お前二年のクセに三年のとこに入り浸んなよ。でけえから目障りなんだってさ」 「何でですか、みなさん歓迎してくれてっじゃないっすか」 「内輪だけー、さっさと戻れや」  身体の大きさに比例して中津の声量は大きい。両手をパンツのポケットに突っ込んでリズムを取るかのように身体を揺らしている男に、不快感だけが高まって行く。  竹内はバリヤーを張るように二人から顔を背け、不機嫌な態度のまま知らぬ振りをする。それを中津が敏感に反応した。 「あ、女子がカッコよすぎて神って騒いでる空手家先輩じゃないっすか。マジぱねえ、顔面強すぎる」 「は?」  感情を抑えず吐き出された声に、すかさず杉田が制した。 「ハイ駄目ー。今機嫌悪りいから琥太郎話し掛けんな。瓦十枚割る拳でど突かれたいか」 「イケメンの正拳ちょっと興味あるッス、殴られてみてえー」  例に洩れずチャラい奴らのお決まりの台詞にうんざりして、もう面倒だからいっそこのままトイレにでも行こうかと思う。小川が気に入っているってだけでもムカつくのに正直関わりたくなかった。 「ホラ見ろガン無視。歓迎されてねーって気づけ」 「大翔センパイが離してくれねーから無理っす」  ガタンっと大きな音を立てて立ち上がる。杉田と中津が能面になった竹内を見上げ、言葉を失ったようにその動向を見ていた。  中津から小川の名前が出るとイライラする。怒りがこみあげて来てそれをどこかにぶつけたくなる。なんでこんな男を。小川はどういうつもりで中津を傍に置くのか──  無言のまま背を向けて戸に向かう。 「さっそく嫌われてやんのお前」 「嘘でしょ、俺なんもしてねっスよ! イケメン先輩に嫌われたくねー」  背中で繰り広げられるやり取りを無視して教室を出る。決して後ろは振り向かない。  関わりたくない、もうこれ以上感情を揺さぶられたくない。  ──大翔センパイだとか、特別感を出す二人のワードなんて聴きたくもなかった。  廊下に出ると隣の教室では小川がサッカー部の連中に囲まれて楽しげにしているのが見えた。  どこに行っても仲間に囲まれて楽しそうな小川には、竹内ひとりいなくなっても何ら変わらない。竹内の代わりなんてたくさんいる。  この世の中に人間はたくさんいるのに、その一人を失って未だ引きずったままなのは竹内だけなのだ。  小川の代わりになるやつなんていない。  ぽっかりと空いた穴は決して埋まらない、埋める気もなかった。  それからというもの、中津は校内で竹内を見かけると必ず挨拶をしてくるようになった。  あの時杉田の前で無視をしたはずだし、慣れ合うつもりもないから目も合わさず通り過ぎる。  それは最初だけの事なのかと思えばそうでもなく、竹内を見つけると中津は他の三年と隔たりなく挨拶をして来る。  なぜ無視されるとわかっているのに挨拶をしてくるのかわからない。小川が一緒にいても中津は挨拶をし、彼の傍らで小川は竹内の事など知らないかのように他人の顔をする。  小川がまた特定の人間を作った現実を受け入れられない、そんな事がまた起こるなんて想像もしていなかった。  あれは自分だけの特別なのだと思っていた。  なぜ、中津なのか、なぜ代わりのように彼を選んだのか。  考えただけで、二人の仲を引き裂きたい、そんな衝動を覚えるほどの苛立ちが今竹内を襲っていた。

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