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「バース専門医なんてのを長年やっていると、特殊バース性の愚かさや下らなさを嫌でも思い知らされる。ヒート、ラット、レイプや望まぬ妊娠、パートナーの奪い合い、浮気、不倫。これが全て“本能だから”?アルファもオメガも、理性のない、下半身で生きる(おぞ)ましい動物だ」  木之原の顔から笑みが消え、不快感が露骨に表れる。木之原という男の、本当の顔が覗いていた。 「壱弥君が発情するアルファだと知っているのに、未だ側に置いているのは、相性が良かったからだろう?」  蔑みが滲む木之原の声に、怒りよりも悲しみが、響の胸を締め付ける。覚悟してきたのに、心が揺れてしまう。眠れない夜、響の電話に朝方まで付き合ってくれた彼を思い出してしまう。 「馬鹿らしい。君たちは所詮、本能に支配されているだけだ。本能や遺伝子が惹かれ合っているだけで、感情で誰かを愛することもできない、人間として不完全な存在だ」  顔を上げられない響の肩を、壱弥が力強く引き寄せた。 「でも、俺は幸せだよ」  裏も表もない、一筋の光のように真っ直ぐな壱弥の声が、響の心を照らす。 「遺伝子とか本能で惹かれ合ってるだけだとしても、それでも俺は、死ぬほど幸せ」  伏せていた顔を上げると、壱弥と目が合った。呂色の瞳に映る自分を見つけ、響は身体にしっかりと芯が通ったようになる。  壱弥は響に微笑むと、木之原へ強い視線を向けた。 「響は俺の希望だ。世界のなによりも、大切な人。俺たちがオメガとアルファだから惹かれ合えるんだとしたら、そんなラッキーなことないよ。響と一緒にいられる理由になるなら、なんだって嬉しい」  寒々としていた心が、壱弥のおかげですっかり温かい。響は静かに木之原を見た。 「……先生は、どんな人なら不完全じゃないと思えますか?アルファも、オメガも、ベータも、罪を犯すし、人を傷つける。そこにバース性の違いはありません。ベータだって一目惚れするし、オメガだって、ヒートじゃなくても一緒にいたいと思える人がいる」  アルファとオメガの関係であることを、ラッキーだと言う壱弥を愛しく思った。彼の言葉が、声が、匂いが、その存在すべてが、心の底から響を安心させる。こんな風に満たしてくれるのは、壱弥だけだ。 「バース性がなんであれ、結局は全ての決定権は自分にあります。俺が壱弥を側に置くのは、俺がこいつの側にいたいからです。俺自身が、壱弥を選んだ」  心のままを素直に言葉にして、ああそうだと響は気付く。『Resolve・Sub(断固たる服従)』の根源は、木之原だったことを思い出した。 「俺がオメガに転換したばかりの頃、先生が教えてくれたんですよ。自分を信じて、自分自身の声に従って生きようって」  木之原は黙ってグラスを見つめ、そしてふっと笑う。優しい目尻に、響のよく知る彼を見た。 「そうだったかな。……もう年だね。忘れてしまったよ」  木之原がワインを飲み干す。部屋にノックの音と、警察の到着を告げる声が届いた。 「先生、忘れたなら、思い出してください」  木之原は、響に言葉も視線も返すことなく、警察に連れられ部屋を出て行った。 

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