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第13話

蒼の父は何か言いたげだったが、それ以上は何も聞かないでくれた。 そっと左腕に触れる。 10秒ほどそのまま触れていたかと思うと、俺が一息ついたところで、左腕の服をゆっくりと捲り上げられる。 これもきっと、あからさまに怯えてしまった俺への配慮だ。 そっちの腕には注射を打たれたことはないので、注射痕はない。 「佐山、こっち向いて」 ぎゅっと目を瞑っていると、右側にいた蒼が、俺の頭を撫でた。 何故かそれだけで、酷く安心してしまう。 左腕にアルコールの刺激。 右には蒼の穏やかな目。 「俺が後ですげぇ美味しいおかゆ作ってやるから」 ふっと微笑む蒼に、昔の面影を感じた。 これはなんかもう、色々と、良くない。 涙が出そうになるのを必死に堪えた。 今堪えた涙がどんな感情の涙になるのかさえ俺には良く分からないのだ。 「よし終わったよ。 じゃあ私は仕事に戻るからね。 点滴終えたら蒼が針を抜いてやって」 蒼が気を逸らしてくれていたからか、 いつ針が入ってきたのかさえ分からないほどだった。 きっと手際も良いのだろう。 「ところで君は佐山君って言うのかな?」 「はい、そうですが……」 少しだけ考えるような顔をした蒼の父親が、すぐに首を横に振る。 「いや、何でもない。 佐山君、これからも蒼と仲良くしてやってくれ」 首を縦に振ることも横に振ることもできなかった。 今更になってβと偽ったことにも罪悪感が湧いてくる。 Ωだって言っていたら、今すぐ追い出されていたかもしれない。 「父さんありがとう」 「問題ないよ。また何かあったら連絡くれ」 「分かった。佐山、ちょっと父さんを玄関まで送ってくる」 ポタポタと水滴が落ちていくのをぼんやり眺めながら、 俺は本当に蒼の家で看病されているのだと実感が湧いてくる。 こんな風に看病されたのっていつ以来だっけ。 父が生きていた頃……かな。 怜さんが来てからはむしろ体調が悪くなる薬を頻繁に打たれているから、自分の体の心配をしてくれる人がいるという事実がむず痒い。 蒼はきっとそういう人間なのだ。 誰相手であっても、ほっておけない。 「色々薬の説明とかも聞いてきた。 今日は泊まって良いしゆっくりしていって」 「いや、泊まりは……」 「佐山って一人暮らし?」 「そう、だけど」 一人暮らしといえばそうだった。 よく怜さんは顔を出してくるが、大抵注射だけ打っていなくなる。 弟は今は父方の妹夫婦が見てくれており、 怜さんはそっちにもたまに顔を出しているようだ。 怜さんが忙しい人で良かった。 もし音羽と一緒に住んでれば、それこそ気が気ではない。 叔母夫婦が良い人たちであることは知っているし、そこはさほど心配はしていなかった。 「だったら良くならないとダメだね。 体調が良くならないと帰してあげられないよ」 しまった、と思った。 ここは誰かと住んでいるとでも言っておけば早くここを出ていくことができたのか。 怜さんは今日来たし、強力なものを打ったと言っていたからさすがに明日の朝は来なさそうだけれも。 「点滴は脱水には有効だけど、カロリー自体は あまり摂れるものではないみたいだよ。 ゆっくりで良いから落ち着いたらおかゆ食べてみような」 一定の速度で滴る液体と、 蒼の声が空間を和らげていくように感じる。 あぁ、なんだこれ。 異様に眠たくなってきた。 思えば昨日は1時間ほどしか眠れていないし、 先ほども意識を失う形で少し眠っただけだ。 「体が疲れてるんだよ。 もう少し自分のこと労わってあげてよ」 甘い言葉はまるで睡眠薬。 蒼がいると、呼吸がうまくできるように感じる。 「安心して寝な」 目元に蒼の大きな手がふわりと乗せられ、視界が奪われる。 反射的に目を閉じると、もう開けられなくなってしまう。 「……蒼」 思わず発した言葉は、自分の耳にも届かないほどのものだった。 「おやすみ」 眠いと思って眠ることが久しぶりのように感じて、 頭痛がするのに、気持ち悪さも残るのに、 何故か心地よいと思った。

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