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柚子side2

「森岡さん? でしたっけ?」 「んだよ」 「取って食われちゃうよ、って、どういうことですか?」 「は?」 「あなたが柚子さんに取って食われたんですか?」 「は? んなわけねぇだろ」 「じゃあ友人が?」 「何言ってんだお前」 「……何言ってんだって、こっちの台詞なんだけど」  頭を掴んでいた手を離し、今度は森岡の髪の毛を掴んだ。森岡が顔を歪めながら、橘くんの腹に殴りかかるも、その手を片手で簡単に受け止める。  後ろの彼女がキャッと叫んだ。さっきよりも人が増えてきて、大きな問題になってしまいそうな気がする。 「自分の発言に責任を持てないのなら、その汚い口を一生閉じておけ。好き放題言って、」 「……っ、は、……んだよそれ」  自分よりも細身の男に良いようにされ、抵抗もできないのは恥ずかしいことだし、痛いし、何より怒りだと思うけれど、森岡の顔がだんだんと赤く染まっていく。  そろそろ止めないと、とどうしたら良いのか分からないまま手を伸ばしたと同時に、彼女さんが止めに入った。 「彼が何をしたんですかっ、」  彼女の声に、橘くんは髪の毛を掴んでいた手を離し、そのせいで森岡が足をふらつかせ、その場に座り込む。彼女は森岡の横に膝をついて座り、彼を支えた。 「何をしたか? 何をし続けてきたか、の間違いでしょ。人の心を殺すようなことだよ。あんたの彼氏はそういう人間なの」 「……え。……たぁくん?」 「何だよコイツ、勝手なこと言いやがって」 「勝手なこと? そうかな。森岡さんがさっき言ったこと、録音したんで」 「はぁ? 録音?」  橘くんはそう言うと、ポケットからスマホを取り出した。 「今の時代、録音なんて簡単にできるでしょ? 柚子さんはあんたに言われたこと、やられたことの全てを記録に残しているし、今日のことを合わせて被害届でも出そうかな。俺の親戚に警察のおじさんがいるんだよね」  橘くんが知らないことを次々に口に出しているけれど、俺は特に反応せずに俯いた。橘くんなりに考えて、森岡に話しているのだろう。   俺は変わらず何もできないまま、過ぎていくのを待つしかできない。  録音も、いつの間にしてくれたのかな。 「警察の番号って短いから、すぐ連絡できますね」  便利だなぁ……と呟きながら、橘くんは指先で操作を始めた。眉ひとつ動かさない橘くんに驚く。どうしてこんなに冷静にしていられるんだ?  さっきまで赤かった森岡の顔が、だんだんと青ざめていく。 「やめろっ、」  弱々しく叫んで、森岡は慌てて立ち上がり、橘くんからスマホを奪った。それから画面を見て固まる。橘くんは本当に番号を押していた。 「ひっ、」  森岡がスマホを落としそうになった瞬間に、彼がそれを奪い返すと、何かされると思ったのか森岡が勝手に避けて尻もちをついた。   「やめろって随分図々しいね。長い間、人のこと苦しめてやめなかったお前が、自分のことになると、この少しの時間ですら耐えられないなんて、あまりにもダサいね。バカがやることだよ」 「……だ、だまれよ、もう、」 「通報されたくないんだったら、とっとと目の前から消えてくれない? ……それから今後俺らを見かけたとしても、二度と話しかけるな」 「う、うるせぇっ、誰がお前らに話しかけるか!」  気づいたら周りに人が集まっていて、「あの子が何かしたんだわ」と森岡のほうをジロジロ見ていた。人を見た目で判断するのは良くないけれど、今回はどう見ても絡んできた不良に対抗した図にしか見えない。  知らない人が「不良に絡まれました? 警察に通報しますか?」と声をかけてくれた。確かに森岡はひどいことを言ってきたけれど、物理的にやり返したのはこちらだ。  それなのに今は過剰に追い込まれている。可哀想だとは思わないけれど、良い気持ちもしなかった。こうして勝手に判断されていくのだ。俺も、彼も。今回は森岡がそちら側に回っただけだ。  周囲を見渡し、自分に対して嫌な視線が向けられていることに気づいた森岡は、何度か転けそうになりながらも立ち上がり、彼女の手を引いて走って行った。    俺たちに声をかけてくれた人に、「通報は結構です、ありがとうございます」と橘くんが返事をし、それからそっと俺の手を引いた。 「柚子さん、今日はもう帰ろうか」  少し困ったような顔をして、でも声はいつもの優しいトーンのままで、橘くんがそう言った。それに対して俺は、静かに頷き、ついて行くことしかできなかった。

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