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柚子side

「きーちゃん、可愛い」 「橘くんて、なんかチャラいね」 「え? 俺が? 何で?」  わざとらしく、とぼけた顔をする。整った顔立ちで、髪も程よい長さで黒く、落ち着いた印象を受けるものの、口を開けばこうだし、最初から全部距離感がおかしい。  出会った時にあまりにも変だった俺が、指摘できることではないのかもしれないけれど。 「可愛いって言葉を使うことに抵抗がないし、距離感がおかしいから」  可愛い、とそう言ってくることが、彼の中で一番変なことかもしれない。可愛いのポイントが俺には理解できないし、しないほうが良い気さえする。 「それは全部柚子さんが悪いでしょ。チャラいとか言われてもね」  ほうら、理解しようと努めたところで、結局こんな返事しかこないんだから。  大学でできた俺の友人ですら、俺のことを可愛いと言ったことはない。さすがに親には言われたことはあるけれど、遠い昔だし、それに橘くんは俺の親でもないし。 「何で俺が悪いの? 何もしていないのに?」 「俺にこうさせているのは、全部柚子さんだよ?」  聞くだけ無駄だし、スーパーの中でする会話でもない。橘くんは、こういう時に周りを意識しなくなってしまう。  ある意味それは強さだし、羨ましい時もあるけれど、今は絶対に違う。別に俺が人目を過剰に意識しているわけでもないし。 「もういいから。早く買い物して帰ろうよ」  橘くんが持っていたカゴを奪い、彼に背を向ける。 「え? 早く二人になりたいってこと?」 「ねぇ違うって! もういいから! 意味分からないこと言わずに黙って!」 「ねぇ、柚子さん。そういうところだよ。そういうところが俺をこんなふうにしちゃうの」 「知らない!」 「……ふはっ、まじで柚子さん最高だね。柚子なのにトマトみたいに真っ赤っかなんだもん」    「……っ、うるさい!」  自分の発言に恥ずかしさを感じていたあの瞬間が、遠い昔のように感じるほどのこの無意味な会話に、彼がまたケラケラと笑うから、他のお客さんの視線も集まってきた。  さすがにこれは気にしてほしいし、俺を巻き込まないでほしい。 「橘くんさぁ……!」  文句でも返してやろうと思い、振り返って名前を呼んでみたけれどそこでやめた。  ん? と顔を覗き込む彼を前にして、俺が何か言い返したところで、どうせ橘くんのペースにのまれて終わってしまうだろうから。  彼の睫毛が揺れ、それに一瞬見入ってしまった俺は、言いかけた口のままにしていると、その薄く開いた唇に彼の指が触れた。   「間抜け顔」 「……っ」  な、何なんだ! 頭が混乱してパンクしそう。距離感がおかしいの次元を超えている。  なんかもう、全部が変だ!  俺は彼の胸を軽く押し睨みつけると、橘くんを無視して買い物に戻った。あと何が必要なのか頭の中で整理し、黙々とカゴに入れていく。  何を言っても、何をしてみても、全部が別の意図として彼に伝わってしまうのなら、無視しておいたほうが良い。  無言のまま、競歩のように歩くスピードを速めると、焦ったようで慌てて走ってくる足音が聞こえた。 「きーちゃん」 「……、」 「きーちゃん?」  先を歩いている俺の腕を掴み追いつくと、橘くんはもう片方の手で、俺の髪をくしゃりと触った。  そのまま「ごめんね」と謝罪でもするかと思えば、「可愛いから、後で抱きしめてもいい?」と、まさかの一言。 「……え?」  振り返って顔を見れば、反省の色は全くなく、期待に満ちた目で俺を見ていた。  さっきよりも瞳に光が集まり、キラキラしているように見える。それとは反対で、俺の目は死んでいるだろうけれど。  もう、だめだ。本当に何言っても、何やっても、橘くんには無意味。俺の言動に対して一般的なリアクションはされない。  俺は、勝手にしろよとの意味を込めて、思いっきりため息をついた。それにも、彼は満足げな反応を見せる。  けれど、少し恥ずかしいような、呆れるような、でもどこか、こんな馬鹿げたやりとりができることを嬉しく思うような……。この感じは嫌いじゃないと、そんなことを思ってしまう。  橘くんだから? 強引さと少しの鬱陶しさが、なんだかんだ安心感に繋がっているように思える時もあるし。    揶揄われそうだから彼に知られたくないこの気持ちに、胸がくすぐったくなった。

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