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第五章・北離宮の主⑦

 その日の夜。  雨は更に強くなっていた。  暗闇に覆われた空は稲光が走り、時折大気を震わす轟音が鳴り響く。雨風は強さを増して、まるで嵐だ。  ハウストは本殿にある幾つかの寝所の一室にいた。  寝所は情交の艶めかしい余韻が漂い、ベッドには裸体のハウストが一人横になっている。しかし手には書類があり、それに目を通す顔つきは淡々としていた。  少しして寝所の扉がノックされ、入浴を終えたブレイラが入ってきた。  ブレイラの体は清められて石鹸と香油の香りを纏うも、面差しには余韻を引きずる気怠さがある。 「まだお休みにならないのですか?」  寝衣の薄く長い裾を引きずってハウストがいるベッドへと近付く。  この夜、ハウストの夜伽の相手はブレイラだった。その前も、その前も、ずっとブレイラである。今夜は政務の都合で北離宮へ赴く時間を惜しみ、誰かを呼び寄せてみたが、やって来たのはやはりブレイラだった。ブレイラが妃という立場を利用して、他の者をハウストに近づけないようにしているのだ。  現在、北離宮は妃・ブレイラによる圧政下にあるらしい。ハウストの元にも北離宮で暮らす令嬢や女官から妃の横暴を訴える書状が幾つか届いている。書状には妃の北離宮での身勝手な振る舞い、恨みつらみ、果ては北離宮からの追放を願う内容が書かれていた。  目に余るようならハウストもそれなりの対処を考えるが、北離宮での多少のトラブルは放置することにしている。あそこはハウストにとって世継ぎを作れれば良い場所だからだ。  それにしても歴代王妃の中で、ここまで恨まれた王妃もいないだろう。ハウストは内心笑う。  それはブレイラ自身も把握している筈だが、ブレイラは涼しい顔をして気にした様子もない。  北離宮に入っても気丈に振る舞い、自分こそが魔王の妃であると疑いを持たずにいる。  今も涼しい顔で、当然のように魔王の一番側に侍る。ハウストがいるベッドに上がることにも躊躇いはない。  だが、ベッドに散らかる書類を見てブレイラの表情が変わる。  食い入るように書類を読みだしたブレイラに、ハウストは薄く笑う。書類は冥界の調査報告書だった。 「それが気になるか」 「当たり前です。冥界にはイスラとゼロスが取り残されているかもしれないんですから」  ブレイラはハウストを見ないまま答えた。  今にも泣きだしそうなほど真剣な顔で報告書を見ている。ブレイラの心が、感情が溢れだしている。  ハウストはその姿をじっと見つめる。  ブレイラは目的の為ならどんなに非難されても動じない。孤立しても気丈に振る舞い、反感を恐れずに毅然としたままでいる。北離宮でどれだけ陰口を叩かれようと、目的を叶える為なら真っ直ぐ背筋を伸ばして立っている。  しかし、その毅然とした強さが揺れる瞬間がある。それが、今。  ブレイラは報告書を握り締めたまま、窓の外に広がる嵐の空を見つめる。 「この嵐は、冥界にも……?」 「そう考えるのが妥当だろう。冥界の影響が各世界に現われ始めたと報告が上がっている」 「イスラ、ゼロスっ……」  震える声で呟かれたのは、二人の子どもの名前。  動揺を隠せないブレイラに、ハウストの胸に苛立ちが燻りだす。俺を愛していると口にする癖に、自分が妃だと激しく主張する癖に、勇者と冥王を思う時の方がよっぽど感情を溢れさせている。二人の話をする時、毅然とした態度と真っ直ぐ伸びた姿勢が崩れ、その場に泣き伏すように勇者と冥王に会いたいと声を震わせる。  それは悲哀を誘う姿だ。だが、何故かハウストを酷く苛立たせる姿だった。
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