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第五章・北離宮の主⑧

「なあ、ブレイラ」 「……なんでしょうか」  ブレイラが振り向く。  勇者と冥王に心を寄せたまま、またいつもの気丈な面差しでハウストを見る。  ハウストは気を引くようにナイトテーブルから指輪を取り出した。祈り石の指輪だ。 「これを知っているか?」 「それは祈り石の指輪っ」  ブレイラが驚きに目を丸める。  そして嬉しそうにハウストに駆け寄り、ハウストの指輪を持つ手を両手で包む。 「見かけなかったので、失ってしまったのかと思っていました。でも、あなたは持っていてくれたのですねっ……」  ブレイラの瞳に涙が浮かぶ。  琥珀の瞳が涙に濡れて、手中の祈り石のように輝きを増した。 「この指輪は、私があなたに贈った指輪です。婚礼の指輪として、あなたに」 「俺とお前と勇者と冥王の四人で、祈り石の原石を取りに行ったとか。フェリクトールから聞いた」 「その通りですよ。大変でしたが、とても楽しかった」  ブレイラがふわりと微笑する。  祈り石の指輪を見つめるブレイラの瞳は、遠い日の思い出に甘く輝いていた。  遠い日を思い浮かべ、ここにはいない二人の子どもと一人の男を、切ないほど真摯に見つめている。指輪の向こうに、今のハウストが知らない男の面影を追っている。  涙を浮かべて愛おしむブレイラの姿は、淡い月光を纏っているかのように美しい。  だが今、ハウストの心が急速に冷えていく。  ああ、そういう事か。ブレイラの瞳を見て、今、気が付いた。  ――――この人間の男は嘘をついている。  この男は愛していますと言いながら抱かれるが、その言葉は自分に捧げられたものではないのだ。思い返せば、男は抱かれている最中も、素肌に直接触れられることも見せることも極端に嫌がっていた。  そう気付いた瞬間、心が、黒く塗り潰されていく。 「そうか、この指輪は俺のものか」  ブレイラの両手から祈り石の指輪を遠ざける。  あ……、小さな声をあげてブレイラの手が追ってきた。  ここにはいない男を追うような仕種だ。  それが届く前にハウストは立ち上がった。 「婚礼の指輪だそうだな」  ハウストは言いながら窓に近づくと、突如、窓を勢いよく開け放った。  叩きつけるような雨風が寝所に吹き込み、突然のことにブレイラが驚く。 「ハウスト、いったい何ですか!?」  ブレイラが窓を閉じようと立ち上がる。  慌てて窓辺に駆け寄ったが。 「え?」  ハウストの手から、祈り石の指輪が落下していった。  ブレイラは零れそうなほど大きく目を見開き、呆然とハウストを見る。指輪を捨てたハウストを。 「……ハウスト、今、なにを」  ブレイラが掠れた声で呟いて、ふらふらと窓辺に立った。  ハウストは側で立ち尽くすブレイラを見下ろす。  ブレイラは窓から地面を凝視していた。吹き込む雨に濡れるのも構わず、指輪が落ちた地面を。  ここは上階の寝所で、外は暗い嵐。地面に落ちた指輪など見える筈ないのに、ブレイラは食い入るように、放心したように地面を凝視している。 「俺の物を俺がどうしようと自由だ。そうだな、ブレイラ」  ブレイラを見下ろして言葉をかけた。  今、ブレイラがどんな顔をしているか見たい。  傷ついた顔をしているだろうか。気丈な面差しを悲しみに歪めているだろうか。 「顔をあげろ、ブレイラ」 「…………はい」  ブレイラがゆっくりと顔をあげる。  早く見せろと逸ったが、ハウストは期待外れに目を据わらせる。  ブレイラは傷ついていなかった。 「そうですね、あなたの指輪です。どう扱おうと、あなたの自由です」  そう言ってブレイラは微笑んだ。  雷鳴が轟く中、雨の雫で顔を濡らしたままハウストを見つめて微笑む。  濡れた微笑は泣き笑いのようにも見えたが、駄目だ。期待した顔ではない。指輪を捨てられても尚、気丈な面差しで、ぴんっと背筋を伸ばした毅然とした姿。ブレイラの心は折れていない。  ああ残念だとハウストは目を据わらせる。  気が付いた。自分はブレイラの心を折りたいのだ。傷付けたいのだ。壊したいのだ。そう気が付いてしまった。 ◆◆◆◆◆◆

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