3 / 12
第3話 初めての二人きり
シルヴィオのことばかり考えていて、店内にいては邪魔だとドナは二人まとめて店の裏に追い出されてしまった。ドナはともかく、シルヴィオは客なのにと心配するが、無表情は相変わらず。店の裏にある清水が流れる用水路の傍にある岩に腰かけたそれの隣にドナも座った。
「ごめん、俺のせいで」
「気にしてない。別に暇だし」
「そっか。……何の話からしたらいいんだろ」
これまで付き合ってきたオメガはなんだかんだで皆積極的だった。自分を選んだアルファに対してもっとよく見せたいと思ったのだろう、求めてもいない話までして来ていた。
それが、シルヴィオには全くない。自分がベータだと思っているのもあるだろうが、それ以上にシルヴィオの性質そのもの。物静かで、他者によって自分が揺らぐことのない芯の強い性格。
こういった相手は初めてだ。ドナは何から話せばいいのかわからず、会話に困ってしまう。
そんなドナの腕に、シルヴィオは手を置いた。
「肉球が見たい」
「い、いいよ! いっぱい見て!」
隣に座った状態で、また肉球を見せる。シルヴィオはふにふにと指先で感触を堪能しながら、小さく零した。
「あんた、領主様の家族か何かなのか? 同じ種類だ」
「違うよ。俺とあの人達は関係ない」
「……じゃあ、出身は」
「遠いとこ。多分シルヴィオはわかんないと思う」
シルヴィオなりに会話をしようとしているのかもしれない。不器用なりのそれに、ドナは堪らなくなり空いている掌でシルヴィオの頬を軽く撫でた。
「今度は俺が聞いていい? シルヴィオ、家の手伝いするまで何処で働いてたの?」
「働いてない。何もしないで家にいたら怒られたから手伝い始めただけ」
この国では18歳でギムナジウムを卒業する。それから一年間、何もせず家にいた。その間シルヴィオを一度たりとも見たことがなかったのは、ずっと家に閉じこもっていたから。
聞いてはいけないことだったかもしれない。ドナが顔色を窺っていると、シルヴィオは小さく首を振り、肉球から手を離した。
「別に、あんたが気にすることじゃない。ただ、何もしたくなかっただけだ」
「何も?」
「何も。……誰かに命令されるとか誰かの望み通りに動くとか、そういうの面倒だろ」
「そっか。ちょっとわかる気がする」
普通は働かなければ生きていけないが、シルヴィオの家は元々裕福だった。それこそ趣味でやっている食堂を今でも続けられている程度には。だから家にずっといても問題はなかったのだろう。
だが、シルヴィオの言葉に少し矛盾が生まれていることに気付く。
「でも、シルヴィオはベータだと思って生きてきたんだろ? なら、なんで俺が付き合ってって言ったのは受け入れてくれたの?」
「思っても何も、俺はベータだ。……別に、好意から来る望みは嫌いじゃない。命令されるのが嫌なだけで、あんたは人の良さそうな……犬の良さそうな? 顔をしていたし」
「認めてよ、こんないい匂いするベータなんているわけないから」
匂いなんて、他の人にわかるはずがない。わかったのは自分が獣人のアルファだからだ。この町には同じ獣人のアルファは領主しかいない。ギムナジウムがある隣町にも、獣人のアルファはいないと聞いた。
だから、シルヴィオは19歳までベータとして生きてこれた。そうでなければ今頃は知らない輩に喰われてしまっていたに違いない。ドナはその首筋に鼻筋を擦り付け、匂いを嗅いだ。
甘い匂い。ただ甘ったるいだけでなく、花の蜜のような軽さもありながらそれでいて脳みそを揺さぶられるような匂いだ。何とも形容しがたいその香りはドナの理性をじわりと焼き切っていくようだ。
「ドナ」
「あ……、ご、ごめん。嫌だよな」
「……予め言ってくれれば、別にいい。それと、無理に子供相手みたいな口調も使わなくていいから。そっちが素なんだろ」
「う、うん。ほら、喫湯店って皆憩いの場として利用するから。だから、看板犬として雇われてるみたいなもんだし、敵を作るような話し方はしない方がいいかなって」
「別に、そこまでは聞いてなかった」
「ごめん……」
「いちいち謝ることでもないから」
シルヴィオに自分のことを知ってもらいたくて、無自覚の内に口がまわる。これまで自分が付き合ってきたオメガ達もこうだったのかもしれない。ドナは立て耳を伏せ落ち込んだ。
そんなドナに、シルヴィオは続ける。
「あんたの鼻がいいのは犬だからわかる。ただ、そのいい匂いっていうのは勘違いだと思う。それに、……オメガと言われるのは、少し不快だ」
オメガは都市部では最下層に多いと言われている。知恵も力もなくただ子供を産む道具として扱われている国もあるらしい。この町は治安も良いために多くのオメガが流れ着いているからこそ差別意識は大っぴらにはないものとされているが、多くのアルファやベータの中には潜在意識としてオメガを下に見る者もいる。だからこその言葉。
初めて見たシルヴィオの表情は、眉を寄せ不快を露わにしたもの。ドナは慌てて立ち上がった。
「違う、俺は卑しい意味で言ったんじゃない」
「わかってる」
「俺、シルヴィオが本当に運命だと思ってるから。だから、もしシルヴィオが俺と番いになってくれるなら、俺、シルヴィオのことそんな目で見させるなんてことしないから!」
「……本当に俺がオメガだったらな」
この国には第三の性を調べる方法は存在しない。発情期がありフェロモンが出ればオメガ、フェロモンにあてられ欲しがるのがアルファ、そうでないのがベータ。それしか判断材料はない。
だから、発情期もなくフェロモンも薄ければベータとしか判断されない。
こんなにも、自分 が求めているのに。
シルヴィオの言葉に、ドナは小さく頷いた。
いつかオメガとして自覚するまで、毎日のように会って、自分の匂いを覚えさせておけばいい。絶対に自分達は運命の番いだから。
「シルヴィオ、明日からもこの時間は暇?」
「多分な」
「じゃあ、暇な日だけでいいよ。今日みたいに話がしたいんだ、此処に来てくれる?」
「……恋人の頼みなら、暇にする」
「ありがと。大好き」
まだ必要以上のスキンシップはできなくても構わない。
今はただ、こうして肩を並べて話ができるだけでいいから。
ともだちにシェアしよう!