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第6話 拒絶されたくない

 シルヴィオが、店の裏に来なくなった。  昼に食堂に行っても、店の奥で料理は作っているようだが出てくることはない。ちらりと見えた顔色もよくないそれを呼んでもらうわけにもいかず、ドナは毎日シルヴィオの料理を食べに食堂に足を運ぶだけの日々。  多少は会話もしていたのに、突然なくなった。ドナの方はずっと通い詰めてシルヴィオの様子を不安そうに眺めている。そんな様子に町の人間があらぬ噂を立てるのも仕方のないこと。 「ドナ、お前ついに手ぇ出したってのは本当か?」 「え、誰に?」  喫湯店の店主にそんなことを言われ、ドナはきょとんとした表情で返す。それだけで店内にいた人は全員ドナがそんなことはしていないと理解したのだが、喫湯店に来たこともなく野次馬根性で噂話を言いふらす連中には一切伝わらない。  忠犬のように毎日食堂まで通っているそれを見ている食堂の客でさえ、ドナが何かしたからだと勘違いしている輩もいるのだ。  ドナは今日も食堂に来ていた。会いに来てくれなくなってからは昼だけでなく夜も食事は全て食堂でとっているのだが、シルヴィオは一切ドナの方を見てくれない。  あまり手持ちもないが酒をちびちびと飲みながら閉店時間まで待ち、最後の一人になってから会計を済ませる。その頃にはシルヴィオも二階の自室に帰ってしまっているから話をしてくれるのは女将くらいなのだが、今日は珍しくマスターが来た。 「若い子は毎日外食じゃあきついんじゃないか?」 「でも、シルヴィオに会いたいから。……ねえ、マスター。シルヴィオに何かあった?」  女将に聞いてもちゃんとした答えは返ってこなかった。人付き合いは元々苦手だったからごめんねなんて言われても、突然来なくなる理由にしては弱い。シルヴィオはそんな不誠実な人間じゃないと、散々話をして知っているから。  ドナの問いかけに、マスターはううむと考え込む。 「何かって言われてもなぁ……。嗚呼、そういやこの間シルヴィオの友達が来たんだ」 「友達?」 「学校で仲良かったらしくてね、シルヴィオが連絡もとれなくなったからずっと心配してたんだって来てくれたんだ。そういえば、昼時に出て行かなくなったのはあれからだ。手紙でも書いてるのかね」  学校時代の友人。いつだったかシルヴィオから聞かれたことはある。ただシルヴィオの方は何も言わなかった。言いたくないようだったから何も聞かなかったが、もしかするとシルヴィオも何か苦い経験があったのかもしれない。  ひとつだけ思い至るものがある。 「その友達って、アルファだった?」 「よくわかるね。なんでも寮でも同じ部屋で大親友だったらしいんだ。ベータとアルファしかいない学校だから外に出れば住む世界や性が違っても仲良くなれたって言ってたね」 「……マスター、ちょっとシルヴィオと話がしたいんだけどいい?」 「話? ううん、本人に聞いてこないとな。少し待っててくれ」  会計も終わり、マスターはそのまま二階に上がってしまった。ドナは出口近くにある椅子に座り戻って来るのを待ちながら考える。  嫌なことはなるべく考えたくないが、もしかすると再会したそのアルファとの間に何かあったのかもしれない。それで自分と顔を合わせ辛くなってしまい、会わなくなったとか。もし手を出されていたらどうしよう。シルヴィオは絶対に自分の運命の番いなのに、他のアルファに取られてしまっていたらどうしよう。  相手の嫌なことは絶対にしたくなかったが、少しでも男として、アルファとして意識してもらうようなことをした方がよかったのかもしれない。少しでも触れて、恋人なんだと意識してもらうようにすれば。  もしシルヴィオがその男に無理に手を出されていたら? 住む世界が違うアルファなんて貴族同然だ。そんな男が欲しいと言えば、たとえ発情期前だろうが突然変異だろうが、オメガのシルヴィオはすぐに召し上げられてしまう。  考えたくもないのに、思いつくのは嫌なことばかりだ。  ドナが頭を抱えていると、マスターが戻ってきた。 「明るい内にドア越しでなら構わないって言ってたけど、どうする?」 「じゃあ、明日のお昼終わったくらいにまた来る!」 「わかった。じゃあ喫湯店さんにちゃんと許可をとってからおいで」  食堂のクローズ時間は、喫湯店が一番繁盛する時間帯。ドナは絶対に許可をとって来ると頷いた。  外に出ればもう夜も深い。町の外れ、小高い丘の上の屋敷に視線を向け、その無駄な豪奢さに出るのは小さい嘆息。  与えられたものを捨てていなければ今だってそのアルファからも守れた。だが、今の自分はただの喫湯店の犬だ。  捨てなければシルヴィオとも出会えなかったかもしれない。でも、捨てたからシルヴィオを守れない。  それに、守れたとしてシルヴィオにひとつ嘘を吐いていたことが公になる。きっとシルヴィオは失望するだろう。  当時はいらないと投げ捨てたものの所為で、大切なものを失くしてしまうかもしれない現実から目を逸らしたかった。

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