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第9話 ベータ?
人間にしては少し大柄で、それでも優男然だったヴィンツが出す冷気にも似た圧に、ドナは正直気圧されそうだった。
それでも、同じアルファで獣人だからこそそれを悟らせてはいけない。対抗するため牙を剥き出しにし威嚇の姿勢を崩さなかった。
「此処にいるなんて思わなかった」
「シルを迎えに来ただけだし、他にすることもないから見て回ってたら喫湯店があるって聞いたから寄ってみただけ。で、この獣人はシルの何?」
「恋人だ」
「君には聞いてない。シル」
「……ドナが言ったとおりだけど」
気丈にしているが、ドナの腕の陰に埋まるようにしている。一体何をされたのか、後で詳しく聞いてみるか。ドナは絶対にシルヴィオを離さないと隠すように伸ばした腕を退けないままに、ヴィンツから視線を逸らさなかった。
シルヴィオの肯定する言葉に、まさかアルファの恋人ができたなんて思いもしなかったのだろう。ヴィンツは鼻で笑い二人を見やる。
「俺にはアルファが嫌いだって言ったのにアルファの恋人? しかも獣って、随分と変わった趣味だ」
「獣人の何が悪いんだ。人と何も変わらないだろ」
「人でも獣でもないけだものだ。そんな相手によく愛だの恋だの言えるなって思って。人は人、獣は獣と結ばれるべきだろ」
「……学生時代、獣人の友達だっていたろ」
「あんなのその場で取り繕っただけだ。けだものなんて俺が友人として認めるわけもない」
こんなに性格が悪い男と、シルヴィオは本当に友人だったのか? 棘を隠しもしないシルヴィオの様子に、ドナは初めてヴィンツから視線を逸らす。
シルヴィオを見下ろせば、ドナの視線に気付き見上げてきた。
「こいつの言ってることは本気にしなくていいから」
「いや、そうじゃなくて。シルヴィオ、本当にこの人と友達だったの?」
「一年前はこんな奴じゃなかった。本性隠してただけかもしれないけど、もっとまともだったのに」
「今だって変わらないだろ?」
「全然違う。少なくとも、人を傷つけるようなことを言うような奴じゃなかった」
たった一年での変わりように、シルヴィオも未だ戸惑っているようだった。
否定されても、ヴィンツは顔色ひとつ変えない。
折角適温だった湯が、冷たくなってしまうまで睨み合いは止まらなかった。とはいっても、怒りを露わにしているのはドナだけで、ヴィンツは飄々とした笑みを浮かべシルヴィオはドナを盾にするように隠れているだけ。窓から差し込んでいた日光が自分の目元まで照らすほど傾いてから漸く、埒が明かないとばかりにヴィンツは肩を竦め立ち上がる。
「頑固な番犬だ。シルがついてくると頷くまで、俺はずっとこの町にいるから。丘の上に屋敷があるだろ、領主様だっけ? この犬に見た目だけは似てる一族の。そこに滞在してるから、覚悟ができたらおいで」
「領主は、お前が人身売買してるって知ってるのか」
「人聞きが悪いな。拾ったベータは皆孤児だから問題ないよ。何処かに金を払って買い取ったわけじゃない」
「人攫いと同じじゃないか」
「給金が出るからって望んでうちに来た奴等だよ、シルが心配することじゃない」
「……俺はペットや奴隷じゃないから」
ヴィンツはシルヴィオのためだと言っていたが、そんな犯罪紛いのことをしてシルヴィオが喜ぶはずもなく、言葉の端に混ざる棘は消えない。
領主の屋敷に滞在している、その言葉にドナの耳がぴくりと反応する。ドナのことなど眼中にないヴィンツにはその動きは一切見えていなかったようで、ヴィンツは銅貨を数枚テーブルの上に置き、釣りはいらないと立ち上がった。
「シル、君がベータだろうと構わない。その獣じゃなく、俺の番いにさせてあげるよ。待ってるから」
カラン、とベルを鳴らし外に出ていく。店内は静まり返り、皆それを見送っていた。
ドナはシルヴィオを見下ろす。あれが例のアルファだったら店に入れなかったのに、とそれを謝ろうと口を開くと、店主の怒号が聞こえた。
「なんだってんだ、あのアルファは!」
「え、おじさん?」
「まったくだ、とんだ馬鹿野郎だなあいつは。ドナ、お前はいい獣人だからな。あんな暴言真に受けるんじゃねえぞ」
「ドナの作る湯は飲ませなくて正解だ、あんな奴には勿体ない」
ヴィンツがいる間は何も言わなかったが、常連客も店主も、次々に怒りの言葉を口にする。喫湯店で喧嘩じみた言い争いはするべきではなかったと反省していたのだが、皆それ自体は気にしていないようだ。むしろドナとシルヴィオを庇うような言葉ばかりかけて来る。店主などヴィンツが座っていた椅子や出入口に塩など撒いていた。
流石にやりすぎでは、と思いつつ皆の様子を交互に見ていると、後ろからシルヴィオが抱きついてきた。
「し、シルヴィオ!?」
「ごめんな、守ってもらって。あいつと話そうとすると声がちゃんと出なくなって」
「気にしなくていいよ。でも、あの人ってベータ寄りなのかな?」
シルヴィオのことをベータだと言っていた。ドナがそのことに首を傾げていると、今気にするのはそこではないだろうとシルヴィオに突っ込まれる。
まあ、シルヴィオからすればそうか。ヴィンツのペットになると頷くまでずっとこの町に滞在し続けられては困ってしまう。食堂に通い詰められでもしてみろ、何も知らない父母に外で働いた方がと言われてしまうかもしれない。
ドナは、ヴィンツの滞在先について思考を巡らせる。この町には宿だってあるのに、わざわざ領主の家に滞在している理由。
「シルヴィオ、あの人の家業ってなにか知ってる?」
「貿易関係って学生時代には聞いた」
「そう。わかった、何とかするから絶対に領主様の屋敷には行っちゃ駄目だよ」
「行くわけないし、行く機会だってないから」
「それもそうか」
領主の屋敷なんて他の町の貴族くらいしか訪れない。丘の上に建っているのもあり、町の住民はそうそう行かない場所だ。
ドナにとって、その事実が今は救い。
「食堂まで送るよ。またあのアルファに会いたくないでしょ、浚われたら嫌だし」
「ドナ、ちゃんと坊ちゃんを守るんだぞ」
「……そんな年じゃない」
表情は変えずとも少しむくれたその態度すら、ドナからしてみれば愛しくて堪らない。
これを、あんな輩から守れるのなら。
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