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序章

「アル! アルフォンス! いないのか!」  広い玄関ホールに初老のしゃがれた声が響き渡った。  白髪の老紳士が、カツカツと力強い足音を立てながら応接室へと入っていく。  新米メイドたちは、憤怒の相で応接室内を歩き回っている主人にどう対応して良いのか分からず、おろおろと狼狽えるばかりだ。  ベテランのメイド長は、隣町まで買い物に出てしまっている。  執事のギルバートは、苛立ちを前面に押し出している初老の前に静かな足取りで歩み寄った。この状況には馴れている。 「ティム様、お帰りなさいませ。そんなに急がれて、いかがされましたか?」  穏やかなバリトンに、新米メイドたちがあからさまにほっと安堵するのが目に入った。  ギルバードは内心苦笑しつつ、メイドたちに下がりなさい、と目で訴えた。主人の怒りがメイドたちに向いたら面倒が増えるだけだ。  メイドたちはギルバードに深々とお辞儀をし、自分の持ち場に戻っていった。  これでは誰が主人だか分からない。  つい、己の長い尻尾をパタンパタンと打ち鳴らしてしまう。  ギルバートは猫科の獣人だ。全身は黒く艶やかな毛に被われ、金色の瞳と白くて立派な髭を持つ。  長くて太い尾が自慢で、小ぶりだが三角に尖った形の良い耳はどんなに小さな音も聞き逃さない。  この世界で一割ほど存在する獣人の中でも、猫科の獣人は気まぐれな性格が多く、人と暮らす者は少ない。  そんな猫科の獣人としては珍しく、ギルバートはエマーソン家の執事として働いている。  代々、祖先がエマーソン家に仕えていたということもあるが、働き者で人の動きに敏感なギルバートは、エマーソン家で重宝されてきた。  まあ、ギルバートがエマーソン家に従順な理由は他にあるのだが。 「ギルバート。アルフォンスを見なかったか?」 「今日は見合いのために朝から王都へ行っているはずでは?」 「ああ。だが、見合いの途中で逃げ出した。相手が目を離した隙にいなくなったそうだ。こちらに戻ってきていると思ったんだがな……」 (またか……)  これで五度目の所行に呆れると共に、ギルバートは内心、安堵していた。  緩みそうになる表情を引き締めつつ、困惑している風を装って小さく唸る。 「……私も心当たりを探してみます」 「ああ、頼んだぞ。あいつもお前の言うことなら聞くだろう。よくよく言い聞かせておいてくれ。夕食には必ず連れてくるように」 「承知しました」  ギルバートは深々とお辞儀をした。  ティムはすべてをギルバートに任せると決めたのか、軽く頷いて、先ほどと同じ足音を立てながら自分の部屋へと戻っていった。
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