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第15話 過去を語るヤクザ

   あんなに大勢で食卓を囲むのはいつぶりだろう。  祖母ちゃんと母さんが生きていた頃は、盆正月に親戚たちが集まって、わいわい食事をしていたものだった。だけど今はそういう機会もすっかり減って、父さんと二人か、時たま佑亮が遊びに来てくれるくらい。静かな食卓が当たり前になっていたけれど。  椿さん、宍戸さん、岩瀬さん、料理担当の前山・後藤さん、そして三毛猫(僕にしか見えないけど)。  誰も彼もが僕より大柄で、声も大きくて、ガラも悪い。前山さん(40)はスキンヘッドだし、後藤さん(35)はロン毛ポニーテールだし、岩瀬さんは相変わらずイカツイし、宍戸さんは不機嫌顔で小言が多い。でも、わいわい賑やかな空気の中で、美味しいご飯を食べるのは、思いの外楽しかった。  居間に置かれた年代物の机に、あふれんばかりの料理が並んだ。どれもこれも家庭的な和食ばかりで、見た目もすごく美味しそう。丸一日何も食べていなかった僕のためにお粥まで用意してあってと、至れりつくせり。久しぶりに、僕はご飯を心から美味しいと感じた。  椿さんが若頭になる前は、毎日のようにああして全員でご飯を食べていたそうだ。  椿さんにも部屋住み時代(下っ端のヤクザが事務所や組屋敷に住み込んで、先輩ヤクザたちの身の回りのお世話をするらしい)があって、ここにいるメンバーとはその頃からの知り合いで付き合いが長いらしい。  聞いたことのない椿さんの過去が垣間見えたことで、僕はまだ、この人のことを何も知らないのだということに気がついた。   + 「風邪ひいちゃいますよ」 「ん? ……なんや、心配してくれてんのか」  食事を終え、入浴を済ませて居間に戻ると、椿さんが縁側から庭へ出て、煙草を吸っていた。ちなみに他のヤクザさんたちは、空気を読んだのか読まされたのか、別の宿に泊まるといって今は不在だ。  よほどあのダサいスウェットが気に入らなかったのか、上半身は白いTシャツだけ。四月半ばとはいえ、このへんはまだ結構冷えるのに。  冴え冴えとした月の綺麗な夜で、男らしく引き締まった椿さんのシルエットが、夜闇の中に浮かび上がって見えた。まるでモデルみたいにスタイルが良くて、煙草を吸う仕草なんかも見惚れるほどにカッコいい。  ――こんな人が、何で僕にあんなこと……。何考えてるんだか、全く分からないなぁ……。  そんなことを考えながら、僕は縁側に腰を下ろし、じっと椿さんの様子を窺った。すると椿さんは、まだ長さのある煙草を携帯灰皿にじゅっと押し込み、僕の隣に腰を下ろす。その時、椿さんの左腕を飾る刺青の存在に、僕は気づいた。 「わ……すごい」  青く澄んだ羽を持つ蝶がいる。思わず手を伸ばして、僕はそっと、その蝶に触れていた。  触れた途端に羽ばたいて、そのまま空へと消えていってしまいそうな儚さがありながらも、強烈な存在感。見えているのは腕だけだけど、シャツで隠れている肩のほうも、まだ続きがあるようだ。それをもっと見てみたいと、僕は思った。 「へぇ。お前、刺青見て引かへんの?」 「えっ? ……そうですね。全身とかにイカツイの入ってたら怖いかもしれませんけど、綺麗だなと思って……」 「ふ。ええこと言うやん」  椿さんはふっと笑って、潔い動きでシャツを脱いだ。唐突に露わになった肉体が月光に照らされて、あまりの美しさに目を奪われてしまう。  左腕、左肩、鎖骨、そして背中の左半分にかけて、唐草と蝶をモチーフにした刺青が描かれていた。雅さを感じさせる唐草の中に、艶やかな蝶が舞っている絵柄だ。  健康的で瑞々しい肌に刻まれた繊細な絵は、やはりとても綺麗だった。芸術的に絡み合う蔓草の中を、泳ぐように舞う二羽の蝶だけが色彩を持っていて、ハッと目を惹く鮮やかさである。 「きれいですね……」 「はは、せやろ。十九の時に彫ってん」 「十九歳……ですか」 「おう。その頃は、身体つきも華奢やったし、ナメられることも多くてな。彫りモンでもありゃ箔がつくやろって、なんとなく」 「そうなんですか。……椿さんてそれまでは、どんなふうに暮らしてたんですか……?」  ヤクザ相手に過去を聞くことには迷いはあったけど、もっと椿さんのことを知りたくて、僕はおずおずとそう尋ねた。椿さんはちょっと意外そうに僕の顔を見つめた後、縁側に置いてあったペリエの瓶に口をつけ、一つ息を吐いてこう言った。 「俺、三歳の頃から施設育ちやねん。どっちの顔も覚えてへんし、生きてんのか死んでのかも分からへんけど……ま、生きてたところで関係ないけどな」 「……そ……そうなんですか」 「俺もロクでもないガキんちょやってな、すぐ人を殴るわ、物は盗むわ、情緒不安定で疑り深くて……施設の人らも苦労したと思うわ。結局、十七んときに脱走して、ぶらぶらチンピラ暮らしして、女の家渡り歩いて……って、まぁ思い返すとゴミみたいな人生や」 「……そんなこと」 「おいおい、そんな辛気臭い顔すんなって。昔のことや」  椿さんは普段通りの笑みを浮かべて、夜空を照らす月を見上げた。端正な横顔だ。コシの強そうなまつ毛は長くて、ちょっと上向き。セットしてない黒髪には艶があり、緩やかな癖がある。 「ま、そんな生活しとったから、喧嘩は日常茶飯事や。けど十八の時、真行寺組の下っ端と派手にやらかしてしもてな……ゆうても、絡んできたのは下っ端の方やねんけどさ。誰だかの女を俺が寝取ったとか寝取らへんとかつまらん言いがかりで、多勢に無勢や。ま、十人いたうちの九人は半殺しにしたってんけど」 「……つよい」 「ほんでその入院中に俺を尋ねてきたのが、真行寺組のオヤジやってん。俺の腕力を見込んだらしくて、養子にならへんかって話持ちかけてきた。俺みたいなクズを養子にしたいとか、絶対裏があるに決まってる。おおかた、俺のケツの穴狙いやろと思って最初は断っててんけど、オヤジは『お前みたいに危ないやつを放っておいて、他の組に取られたら怖いやろ』って。『当然下積みはさせる。ちゃんと根性見せんねやったら。いずれは組を任せてもいい』とかなんとか言わはって。そんで、なんやかんやで、今は若頭や」 「……なんか、壮絶、ですね」  僕が本音を漏らすと、椿さんは気が抜けたような顔で微笑んだ。少し身体が冷えたのか、椿さんは脱いでいたシャツを着込み、脚を組んでペリエを飲む。 「……まぁ、せやな。けど、俺よりもっとひどい育ちのやつはゴロゴロいる。宍戸も岩瀬も、なかなかのモンやで」 「そうなんだ……」 「俺らの世界には、まともな人生を歩めへんやつらが流れ着く。けどな、皮肉な話やけど、俺はヤクザになって初めて居場所が出来た。社会のルールとか秩序とか、何も知らへんかったせいで色々痛い目にも遭うたけど……でもやっと、俺はここでまともな人間になれたんや。俺らの存在なんて、カタギの奴らにとっては不要なモンかもしらんけど、俺らは、ここでしか生きられへん」 「……」 「オヤジも、岩瀬も、宍戸も、若い奴らも全部……俺にとっては家族みたいなモンや。どいつもこいつもクソみたいな人生歩んできてるけど、今はここに居場所がある。だから俺は、この組を強くしたいし、守りたいと思ってんねん」 「……」 「って、ちょいくさいこと言いすぎたな。ははっ」  ゆっくりとした口調でそう語る椿さんの横顔を食い入るように見つめていると、左耳にたくさんピアスの穴が空いていることに、僕は気づいた。  耳の上の方を貫くようにひとつ、耳たぶに三つ。耳たぶの穴には全てピアスが入っているわけじゃなくて、燻んだ色をした黒いピアスがひとつ飾られているだけだ。  穴だらけの耳を見ていると、なんだか妙に痛々しい気持ちになった。こういうファッションはこの人に似合っているけど、オシャレ感覚だけでこのたくさんの穴を開けたとは思えなかった。  無意識に手を伸ばし、椿さんの軟骨を貫く棒状のピアスに触れてみた。結構太くて、すごく痛そうだ。でもそれらは全て椿さんの肉体にしっくりと馴染み、この人の艶やかさに彩りを添えているように見える。 「……くすぐったいやん」 「あっ、ごっ、ごめんなさい。かっこいいけど、痛そうだなと思って……」 「ははっ、カッコエエか? 痛いかどうかはもう忘れたけど、お前が褒めてくれんねやったら、開けた甲斐があったっちゅうもんやで」 「っ……」  椿さんが僕の手を取り、ちゅ、と指先にキスをした。夕方触れたばかりの柔らかな唇が、僕の人差指と中指を軽やかに啄んでいる。  手を引っ込めようと思ったけど、目を閉じて、僕の指を食む椿さんの表情がひどく安らかなものに見えてしまい、動くことができなかった。 「……あ、あの……」 「ん……?」 「ど、どうして、僕みたいなただの高校生に、そんなことするんですか……?」 「どうしてって……」  唇から赤い舌を覗かせながら、椿さんはじっと僕を見つめた。いつになく真剣な眼差しだ。視線に熱が込められているように感じてしまい、心臓がばくばくと早鐘を打ち始める。なんて色っぽい目つきなんだろう。 「なんでやろな。俺、お前が可愛いくてしゃーないねん」 「……えっ……」 「最初にお祓いしてもろた時のお前、ホンマにめっちゃカッコよかった。頼もしかったで」 「……ほ、ほんとですか……?」 「ああ、ほんま。せやのに普段のお前は、ウブで可愛くて、寂しがりやの甘えん坊やん? なんやもう、どうしてもお前をほっとけへん。俺別にホモちゃうけど、紬のことは……」  椿さんはそっと僕の方へと身を寄せて、ヤクザとは思えないほど優しく微笑んだ。そして上体を屈め、ゆっくりと顔を近づける。 「ん……」  重ねられた唇を、僕は少しも拒まなかった。拒みたいとも思わなかった。吸い寄せられるように顎を上げ、椿さんのキスに自然と応えた。  すると椿さんは少し身を乗り出して、これまでよりも深く唇を重ねてくる。あたたかい唾液で濡れた感触はたまらなく淫らで、甘い痺れが僕の背筋を駆け抜ける。 「ふ……ぅ……」  熱い溜息が漏れ、身体から力が抜けてしまう。縋るようにTシャツを握ると、キスの隙間に、椿さんはこう尋ねてきた。 「……いやがらへんの?」 「い……いやじゃない……から」 「へぇ……嬉しいな。もっとする?」  月明かりを吸い込んで妖しく光る椿さんの眼差しに、心を丸ごと囚われる。  浅ましく口を開き、こくこくと小刻みに頷く僕を見つめて、椿さんはどこか安堵したように眉間を緩めた。そして、ちょっと驚いてしまうくらい、初々しく表情を綻ばせる。  ……そんな椿さんを、僕は不覚にも可愛いと思ってしまった。 
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