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第2話 -1

 学校がない日の朝は嫌いだ。何もすることがないのに、暇潰しの手段も与えられていない。  脱がしやすいからなんて馬鹿げた理由で誂えてある寝間着の浴衣のまま、市倉に買って来させた私服を取り出す。どちらも自分の好みではないが、下卑た考えの父の着物よりも、襟首まで隠された露出が少ない市倉が選んだ洋服の方がまだいい。寒がりな悟志にとって、長袖は通年着られるものだから丁度良かった。  藍色のタートルネックに黒いチノパン。これまた無難。それと下着を手に障子を開けると、市倉は既に廊下に座り待っていた。 「入って待ってればいいだろ」 「それはできません。風呂の用意はしてあります」 「……ん」  もう慣れてしまったから、一刻も早く汚れを落としたいとは思わなくなってしまった。それでも父に蹂躙されることを良しとは思っていない。夜と朝、風呂に入るのが悟志の日課だ。  着替えは市倉に持たせ、風呂場に向かう。同じ離れにあるからか構成員とは誰ともすれ違わない。  会わない方がいい。どうせ、父の"女"としてしか見られない。血の繋がりがないことなんて周知の事実。体を利用して次期組長の座を狙っているなんて噂まで立てられて、吐き気がする。  継がないでいいのなら継ぎたくない。反社会的勢力のトップなんて、それこそ普通に生きられない。  暴力は好きじゃない。むしろ、痛いのは嫌だ。ピアスだってしたくない。銃だの日本刀だの、触りたいとも思わない。  浴衣の下には何も履いていない。脱衣所で浴衣を脱ぐと適当に放り、浴室に入った。  何があってもいいようにという名目で、脱衣所にはいつも市倉が待機している。幼い頃からずっとそうだから羞恥の感情なんて今更芽生えるはずもなく、シャワーを浴びながら見もせずに名前を呼ぶ。 「市倉」 「どうしましたか」 「頭」  バスチェアに座り、いつものように頼む。自分でもできるが、これくらい甘えたってバチは当たらないだろう。彼は幼少期からずっと一緒にいて、唯一甘えられる人間だから。市倉は小さく溜息を吐くとジャケットと靴下を脱ぎ、裾を捲ってから浴室に入ってきた。 「いい加減自分でやってくださいよ」 「嫌だ」  甘えられる内は甘えていたい。悟志が自分でやるなんて言うはずないとわかっていて、それでも毎日呼ばれるまでは何もしない。線引きをしているからこそ、父や他の構成員とは違う種類の人間だとわかって安心できる。 「なあ」 「なんですか」  大きく、節ばった指が髪を梳く。シャンプーの泡越しに伝う男らしい硬い掌の感触を堪能しながら、悟志は顔を上げ、市倉を見上げた。 「お前、ヤクザ向いてないだろ」 「そりゃあ、十年以上ガキの世話しかしてませんしね。向いてないからあんたの世話してるんですよ」 「なんでこの世界に入ったんだ」 「これでも昔はヤンチャだったんですよ。目ぇ閉じて、泡流しますよ」  目を閉じ、泡が流されるのを感じながら今日は何をしようかと考える。どうせ家の中にいてもすることはないが、外に出ても護衛はつきまとう。  こうしていれば会話をしてくれるのだが、外に一歩でも出てしまえば市倉は一言も話をしてくれなくなる。一昨日のように逃げ出した時くらいしか普通に会話してくれないから、一人でいるのと変わらない。  他の護衛なら別にそれでも構わないが、最近外に出る時の護衛は彼だけだ。昔から父代わりに一緒に暮らしてきた相手にそんな態度をとられるのは嫌。

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