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蝶々遊びの心得

 尋音先輩には誰も逆らえない。先輩が言ったことは絶対で、その邪魔をしてはいけない。愛知尋音は誰のものにもならなくて、みんなで共有するもの。  運よくもし尋音先輩の恋人になれたとしても、長く付きまとってはいけない。期間が決められている。みんなで順番に変わって、ちゃんと予約を取って、自分の番まで待っていなきゃいけない。  先輩はみんなでシェアするもの。 「そんなの……ありえないだろ」  由比から聞かされる話に打ちのめされ、呆ける俺を宥める手。尋音先輩とは違って日に焼けていて、綺麗だなんて全く思わない男らしい手が、背中を軽く叩いた。 「あり得ない話があり得てる。それが愛知先輩なんだって。俺らとじゃ次元が違う」  由比の言う通り、俺と尋音先輩は、やっぱり住む世界が違うのかもしれない。俺には順番を待ってまで一緒にいたいと言ってくれる人はいないし、邪魔ばかりされるし、日々追いかけられている。 「尋音先輩は蝶々の王子様じゃなかったのか……」 「蝶々?柳、何言ってんの?」  あの綺麗な手に、形容できない不思議な声に、いつも微笑んでいる口元。穏やかで緩い尋音先輩は、蝶々の生まれ変わりの王子様なんだと由比に答える。すると、鼻で笑ってから返事がきた。 「まあ、当たらずしも遠からずだな。実質、愛知家の権限は先輩の父親にあるし、先輩はそれを継ぐんだから立場は王子様だし。まあ、俺に言わせれば蝶よりクラゲだけど。それも猛毒を持ったキロネックスが妥当だろうね。知ってる?キロネックスって、あんな綺麗な外観して人間を1分で殺せ……」 「由比、物知り雑学コーナーはどうでもいい」 「なんだよ。つまんないな」  至極退屈そうな顔をした由比が腕時計を見て「あっ」と声を上げる。何事かと問いかければ、もう10分もすれば1時間目が始まってしまうと言われた。  この短時間で聞かされた話に心身ともに疲れていた俺は、出たくないと訴えたけれど由比は問答無用に無視して引きずって行こうとする。  なぜなら1時間目は日本史だからだ。由比が愛してやまない、通称『ぶしょラバ』こと『BUSHOラバーズ』のモデルとなっている日本史の授業だからだ。それは先月から放送されているアニメで、戦国時代にタイムスリップした主人公が戦国武将と恋に落ちる話らしい。  そこに出てくる戦国武将はみんな女の子で、由比は伊達政宗を模した伊達政子のことを嫁と呼んでいる。 「今日は安土桃山時代だから、絶対に出ないと!あの時代と言えば織田信長に豊臣秀吉!柳、知ってるか?『ぶしょラバ』では信長はヤンデレで秀吉はドジっ子なんだよ」 「知るかよ。このアニメオタクが」 「彼女たちの良さを知らずにいるなんて、柳は人生の9割を損して生きてると思う。今度、俺の家で第1話からノンストップ上映会しよう!そうすれば、柳の嫁も見つかるだろうし」 「なんだよ、嫁って。俺をオタクの世界に引きずり込もうとすんじゃねぇよ」  雑学好きで美少女アニメ好きな友人の饒舌な話は止まらず、教室に着くまでいかに『ぶしょラバ』が素晴らしいかと語り続ける。そんなことよりも俺が気になるのは、尋音先輩のことだ。  穏やかで綺麗な蝶々の王子様。由比から聞いた話が全て本当だとは思わないけれど、何が正しくてどれが嘘なのかが知りたい。  どうしても知りたい。    日本史の授業を受けながら、その隙にメッセージを送る。メッセージアプリを使って送信したそれは、1分もたたないうちに既読になり、その数秒後には返事がきた。 『おいで』  たった3文字だけの返事。なんとなく予想していた通りの文面に、出るのはため息だ。  俺様ドSなボスゴリラ香西に、アニメオタクで心配性の由比、そして謎だらけの蝶々で王子様な尋音先輩。  模範的な平凡人間の俺の周りに、変なやつが集まって来る。俺は何もしていないのに、勝手に寄って来る。それを考えると、ため息をつく以外に俺にできることはなかった。

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