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蝶々ひらり、ひらひら蝶々

   * * * 「このバカ!!!考えなし、無鉄砲、チビ!」 「おい由比。最後のチビは絶対に関係ない!悪口だ!!」 「なんで無意味な啖呵切ってくるわけ?1ヶ月だとしても平和に過ごせたし、もしかしたらその間に香西さんの気が変わったかもしれないのに……ありえない。本当にありえない」  教室に戻り香西との一件を由比に報告すると、まずはバカと一蹴された。その後に悪口が続き、終いには無関係なことで責められる。 「だって」 「だってじゃない!毎回お前を逃がすために、俺がどれだけ苦労してると思ってんの?!俺、1年にしてこの学校の地図どころか、どの先生がどの時間に何をしてるかまで把握してんだけど?!今なら3階の第2音楽室が空き教室だよ!!」 「それはすごく助かってる。由比がいてくれるおかげで、由比が指示してくれるおかげで、俺は今のところゴリラの取り巻きに連勝中だしな」 「それがわかっていて、なんでチャンスを棒に振るんだよ!愛知先輩を利用すればいいのに」  由比はそう言うけど、もし俺が尋音先輩に頼ってしまったら、それこそ男として情けないと思う。たかが気まぐれで助けてくれる人を頼りにして、なんとか時が過ぎるのを待つなんて性に合わない。 「いや、わかるよ。柳がバカのくせに負けず嫌いで、バカのくせに勝ちにこだわってて、バカのくせに真面目なのは長年の付き合いで知ってるけどさぁ」 「由比……お前が味方なのか敵なのか、今のでわかんなくなった」 「だからって、正々堂々受けて立つってありえなくない?!」  あああぁと断末魔を上げた由比が顔を押さえて蹲る。教室中の注目を集めても足りないのか、突然走り出したと思ったら窓を開けて「ありえない!」と叫んだ。  由比は頭がいいのに時々壊れる。それこそ、もっとレベルの高い学校に行けたものを、どうしてこの学校を選んだのかと疑いたくなるほどに秀才だ。  まあ、由比がここを選んだのではなく『ここしか選べなかった』のは俺がいるからなんだけど。 「大丈夫だって。今までも、なんだかんだで勝ってきたんだし。なんとかなるって」 「何その能天気な反応!柳わかってる?!お前がこれから逃げるのは、香西さんからだけじゃなく、愛知先輩からもだって」 「尋音先輩から?なんで?」 「なんでって、お前黙ってケツ掘らせるつもりなのか?本気で処女を捧げる気?あの頭トチ狂った男に?!」  どうして黙ってればイケメンのくせに『ケツ』なんて言っちゃうんだろう。平々凡々な俺ですら憚る単語を、整った外見の由比が連呼する。  ケツ、処女、童貞。もう本気でやめてほしい。教室の片隅で、聞き耳を立てられているのを感じながら俺は由比を見つめた。 「決めた。俺、今後は柳のこと助けないから!」  眼鏡の奥の目をキリリと凄ませ、由比が告げる。 「なんでだよ!由比の助けがないと俺は困る!!」 「そんなの知るか!」 「由比は俺の処女が奪われてもいいわけ?!俺がゴリラに殴られて、サルの下僕にされても平気なのか?!」 「俺は柳の処女にもケツ事情にも興味ないし、サルだろうが犬だろうが猫だろうが、動物アレルギーだから無関係だ!」  両方の拳を握りしめて唇を噛む俺を一瞥し、由比は鞄を持つとそそくさと教室を出て行ってしまった。去り際に、扉の近くにいたやつに笑顔で手を振ったのに、俺のことは無視して。    友達だと思っていたのに。ずっと一緒にいて、困ってる時はお互い様だったはずなのに。  昔は由比の方が小さくて、よくからかわれていたのを助けてやったのに。  それなのに、こうも簡単に見捨てられてしまうなんて……由比の、由比の、由比京介の……。 「このっ、根暗眼鏡!!!アニメオタクで部屋中フィギュアだらけのくせに!!!」  叫んだ罵倒は本人には届かない。誰が根暗だって言い返してくる声の代わりに聞こえたのは、ゴリラの取り巻きであるサル共の騒ぐ声だ。  ああ……今日もまた『追いかけっこ』の続きが待っている。そのスタートはすぐそこまできていて、どちらかが諦めるまで続く。願わくば、今日は頭のおかしい蝶々に掴まりませんように。それだけでいい。

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