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蝶々のにゃんこ

 俺と由比の付き合いは5歳の時からだから、もうかれこれ10年は一緒にいる。今までに喧嘩をした回数なんて数え切れなくて、お互いに意地を張る性格だから「ごめん」なんて言わない。  けれど喧嘩を次の日まで引きずることはないし、言われたことを恨みがましく根にもったりしない。それは今回も変わらず、俺が登校して最初に見つけたのは由比の後ろ姿だった。 「ゆーいーくーん」  声だけで俺だとわかった由比が嫌そうに振り返る。しっかりと眉間に皺を刻みながらも、すぐにそれを消して苦笑した。仕方ないなって笑い方だ。 「はよ、由比」 「柳。俺の記憶が正しければ、俺たちは昨日喧嘩したと思うんだけど?」 「昨日の俺は昨日の俺、今日の俺とは別人だから気にするな」  何それと笑った由比が差し出したのは、封を切ったばかりのガム。ありがたく受け取った1粒からはほんのりとした甘さと、微かなミントが香る。その味に爽やかな朝を感じながら、前に進む俺たちの間で交わされる会話は1つだ。 「柳。昨日、あれからどうだった?」 「べっつに。いつも通りに追いかけられて、いつも通りに逃げた」 「ほう。柳にとっては2階から落ちたのもいつも通りで、それを抱き留められるのもいつも通りなんだ?」  横目で俺を見る由比の眉がピクンと動き、その情報の早さに驚いた。普段は俺とばかりいるくせに、どうやって収集しているのか気になるところだ。 「そこまで知ってるなら、全部わかってんだろ?俺がその後どうしたのかも」 「情報としては知ってるけど、俺が掴んだ内容が全てとは限らないだろ。ほら、いつものように泣きついてこい」 「あのさ。格好つけてるとこ悪いけど、髪に葉っぱ付いてる」  慌てて頭を振った由比に嘘だと言ってやると、それはもう怖すぎるぐらいに睨まれた。せっかく楽しい気分にしてやろうと思ったのに、台無しになってつまらない。  でも由比が俺のことを心配してくれているのは確かだ。胃薬を持ち歩くぐらい心配性の由比が、喧嘩したからと言って俺を見放すわけがない。 「京ちゃん、俺もう今時の若い子がわからない。なんなの、周りが地毛って言うから地毛だとか、順番待ちとか1ヶ月限定とか。そもそもさ、男が男に首輪贈ってどうすんだよ。俺はどう見ても猫より犬タイプだろ」 「柳、言ってることの大半が意味不明。あと、急に呼び方変えんなよ」 「いくら欧米化社会とはいえ、人前でチューする?初キスは夕方の海辺で、手を繋いで散歩しながらさりげなく……って考えてる俺の前で、よろしくね、チュ。なんてありえるか?!」 「童貞どころか、ファーストキスすら済ませてなかったことに俺は驚いてる」  一方通行が甚だしい俺の訴えに、由比は呆れつつもしっかりと返事をくれる。返事というよりツッコミのような感じもするけど、話を聞いてくれるだけで心は軽くなった。  助けてくれたことはありがたいけど、人の話を全く聞かない尋音先輩に苛々するし、男同士のキスシーンなんて見せられて胸糞悪いし、目の前でそんなものを披露しやがったくせに、平然と俺に一緒に帰ろうなんて誘える神経が癇に障る。  別に尋音先輩が誰と付き合おうが、それが1ヶ月サイクルだろうが1週間だろうが、俺には全く関係ない。実家の権力を盾に、好き勝手振る舞うバカ王子に付き合う時間が無駄だと思う。 「あの人が無害なのは見た目だけだった」  今日も首にかかる忌まわしい鎖に触れて言えば、由比が呆れた表情を浮かべた。 「俺に言わせれば、愛知先輩は見た目も毒だけど。俺もそれなりにモテるけどさ、あの人は別格って言うか……あそこまでのレベルは逆に邪魔。あ、平凡な柳にこの気持ちはわからないか」 「由比はいつも一言多い」 「でも。何をしても許されるって、本当に幸せなんかねぇ……」    そんなの幸せに決まっている。誰も自分の邪魔はしなくて文句も言ってこなくて、何でも思い通りになる状態を幸せだと思わなければ、尋音先輩は酷く傲慢だ。  毎日のように取り巻きに振り回される俺からすると、その自由さが羨ましくて仕方ない。 「ま、これで良かったんじゃないの。愛知先輩に新しい恋人ができたなら、柳もお役御免だろうし」 「……っ!!そうか!」 「さすがにストライクゾーンが宇宙な愛知先輩も、柳相手じゃ勃たなかったってことだ」 「すごく貶されてるのはわかるんだけど、そうであればすごく助かる」  なんだか俺がフラれたみたいな形になるのは嫌だけど、変に絡まれるよりマシだ。ミィちゃんだなんてバカにした呼び方をされるのも、無言の脅迫で鈴を着けられるのも、これで終わるかと思えば黙って不名誉に耐えてやる。 「由比。確か1時間目の体育って、先生が入院して自習だったよな?」 「ああ、うん。胃潰瘍で緊急入院、本人はストレスだって言い張ってるらしいけど怪しい。あの熱血バカ教師が胃潰瘍になるなら、俺の胃は既に溶けきって消滅してる」  哀愁を漂わせて笑った由比が腹を押さえ、そのストレスの半分……7割は俺にあるから心の中で謝る。次の由比の誕生日には1番効く胃薬をプレゼントしようと密かに決めた俺は、上手くごまかしてくれと由比に頼んで向かう方向を変えた。

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