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蝶々のにゃんこ

 目的地は初めて尋音先輩と会った空き教室。欲しくもない首輪のプレゼントをもらった、あの部屋だ。  ポケットに忍ばせていたスマホを手に取り、今から会えるか訊ねれば、先輩からの返事はまた数秒で返ってきた。昨日のことなど気にしていない、先輩らしい『おいで』の3文字を、睨みつけて走り出す。  扉の前に立った俺は呼吸を整え、無意味だと知りながらノックを2回した。やっぱり返ってこない返事に呆れながらも部屋の中に入ると、尋音先輩は前と同じ体勢で同じ場所に座っていた。  今日はカーテンがしっかりと閉められていて髪は輝いていないけれど、それでも麗しい。 「おはようミィちゃん。ちょうど顔を見に行こうかと思っていたら連絡がきて、驚いた」  笑った尋音先輩の傍にあるのはカバーの付けられていないスマホだけ。なるほど、やっぱり鞄は持ってくる必要がないらしい。  先輩にとっては不必要で、俺にとっては必要不可欠な通学鞄を肩に下げたまま近づく。少し足音が荒いのは、緊張しているからじゃなくて昂揚しているからだ。これから自分のとる行動が、どんな結果を出すのかドキドキする。 「尋音先輩に話があるんです」  先輩の足元に立ち、学校指定のネクタイを緩めた。上から2つ目のボタンまで開け、シャツの中から鈴の付いたネックレスを取り出す。  尋音先輩はまだ何も言わない。この数日でわかったけど、先輩は口数が多い方じゃない。相手の出方をジッと待って、しっかりと観察してから動く人だ。 「尋音先輩。新しい恋人ができたんですよね?」  訊ねる俺の台詞は、確認のためのもの。念を押す俺に、先輩は笑って頷いた。 「おめでとうございます。って、おめでたいかわからないけど、昨日言い忘れてたんで」 「返事は、ありがとうでいいのかな?」 「いいんじゃないですかね。実際にめでたいことだし。でもって、本題はこれです」  指で鈴を弾くとチリンと音がした。もう何回も聞いて、何回も聞こえないふりをした高い音。でも今日でサヨナラだ。俺は、首の裏に手を回して金具に触れる。  とてつもない存在感と威圧感を放つくせに、その留め具は弱かった。外そうと思えば簡単に外れてしまうそれを、外せなかった2日間が嘘みたいだ。 「先輩に次の相手ができたなら、もう必要ないですよね?猫とか飼い主とか変な遊びをしてる暇があったら、1ヶ月限定の恋人とイチャイチャしてればいい」  こんな言い方したら、なんだか僻んでるみたいだなと思った。けれどそれは俺の感覚で、常識の斜め上の上をいく先輩には伝わらなかったらしい。  外して手のひらに乗せた鈴を凝視する先輩。上から先輩を見下ろすと長すぎる睫毛が見えて、邪魔じゃないのだろうか、なんて考えてしまう。  つい脱線しかける自分に首を振って手を突き出すと、やっと先輩が口を開いた。 「これに飽きた?すぐに新しい物を用意するから、1時間だけ待って」 「は?新しいの……って、そうじゃないです」 「ミィちゃんは健康的な肌の色をしているし、今度は黒じゃなくて赤にしようか。ああでも、それだと女の子と間違われちゃうかもね」  これが相手が由比なら、からかわれているんだってわかる。ボスゴリラの香西なら、嫌味なんだってわかる。でも相手は尋音先輩だ。この人には誰かをからかうことも、嫌味を言うことも、笑えない冗談を言うことも頭にない。  思ったことを思ったように言う。それが当然だと信じて、自分がおかしいことに気づいていない。尋音先輩の頭の中は、凡人の俺には未知だ。 「まどろっこしいの嫌いなんで、はっきり言います。俺はあんたの猫じゃないし、こんなもの着ける必要がない。渡された時は驚いたし、断ったらヤバいと思ったけど。でも、新しい恋人ができたなら俺は要らなくないですか?」 「どうして?」 「どうしてって……俺は猫じゃなくて人間だから!いくら先輩が頭ぶっ飛んでても、その恋人からしたら俺は邪魔なんです。自分以外の人間が、出来たての彼氏に構われてたら嫌に決まってる」 「だから、どうして?」  頭にカッと血が上った。どうして、どうしてって聞いてくることに苛々する。  そもそも、どうしてって聞きたいのは俺の方だ。どうして今の言い方でわからないのか、わからないのなら、どうして誰も教えてあげないのか。  尋音先輩は人の気持ちを知らない。俺がこんなものを着けられて嫌だと思うことも、先輩の恋人が俺を見て嫌だと思うこともわからない。  だって、誰も尋音先輩に逆らわないから。先輩が言ったことをみんなが受け入れるから、先輩は自分が正しいんだと思ってる……のだろう、多分。  無自覚で本人に悪気がないからこそ、余計に怖い。

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