28 / 123

蝶々のにゃんこ

 見下ろすように立っていた体勢から、目線を合わせるように屈む。同じ高さで見る先輩の瞳はとても澄んでいて、その澄み切った色には何も映っていないように見えた。尋音先輩は何にも興味を持たないんじゃなく、何も見ていないんじゃないかって思った。 「先輩、人間は人間を飼えません。いくら先輩の家が超絶大金持ちで、先輩の一言で俺が路頭に迷うことになっても、人間は人間を飼えないんです」 「ミィちゃんは野良猫じゃなくて俺の飼い猫だけど」 「だから俺は猫じゃねぇって言ってるだろうが!あ……っ、すみません。つい取り乱しちゃいました」  誰か教えてほしい。尋音先輩にはどう話せば言葉が通じるのか。ああ言えばこう言って、しかもそれに悪意はなくて、何が間違っているのか伝わらない人を相手にする方法を教えてほしい。  先輩は決して弱くはないけれど、悪い人でもない。だからって良い人でもなくて、ただ純粋に素直な人だ。わざと相手を怒らそうとしているわけじゃないって、分かる。だからできるだけ穏便に事を済ませて、早く納得してほしいと思う……のに。 「わかった。俺、昨日の子と別れてくる」 「はあ?!」  立ち上がろうとする先輩を、なんとか押し留める。咄嗟に先輩を押さえたことにより、手のひらから鈴が転げ落ちて床の上で揺れた。 「先輩と付き合うのに、あの人がどれだけ待ったと思ってるんですか?ずっと前から予約して、順番をずっと待って、やっと自分の番がきたのに」 「それって俺に関係ある?」 「そうだけど!確かにそれはそう……ですけどね!」  俺が声を荒げても先輩は表情を変えない。お手本みたいな爽やかな笑顔で、その見た目に反して無茶苦茶なことを言う。これも悪気なく。  確かに先輩が頼んだことじゃないのかもしれない。周りが勝手にルールを作って、尋音先輩は受け入れてきただけかもしれないけど……だからって「自分は関係ない」みたいな言い方はあんまりではないだろうか。  それを受け入れたのなら、尋音先輩だって同罪だと思う俺がおかしいのか? 「先輩、俺は見た目通りの平凡なんです。家だって普通の一軒家だし、小遣いだって多くないし、次のテストで良い点とらなきゃ、それすら減らされるし。こんな平凡な俺に、先輩はハードルが高すぎます」 「ハードル?」 「俺には将来警察になって日本を守るって夢があるんですよ。小柄で明るい奥さん貰って、子供は男の子と女の子両方で、非番の日はみんなで遊園地に行くんです。考えてもみてくださいよ、自分の旦那やパパが誰かの猫っておかしくないですか?いや、その時には違っても、猫経験があったっておかしいでしょ。なんですか、猫経験ありって就職に有利なんですか?そんなの猫カフェぐらいでしょうが」  すらすらと出てくる俺の言葉に、先輩が首を傾げる。自分でも何を言っているのか判断できないほど、俺は必死だった。  どうにかして尋音先輩に自分の異常さを知ってほしかった。先輩が俺に言ってくることが、どれだけ理不尽で非常識かをわかってほしい。その為なら、小さい頃からの夢を語るぐらい恥ずかしくもない。 「先輩の趣味とかどうでもいいんです。先輩が人間の男に首輪つけて、それを可愛がって楽しむド変態だったとしても、俺は本当にどうでもいいんです」 「そんな趣味はないんだけどね」 「ただ言いたいのは、俺を巻き込まないでってこと。それだけ綺麗な先輩が、真性の変態だってことは黙ってますから……っ、墓場まで持ってちゃんと行きますから!!」  がっしりと先輩の手を掴んで正面から視線を合わせる。嫌みなほど綺麗な顔にほんの僅か頬が熱くなるけれど、照れている場合じゃない。 「だから、もう猫とか飼い主とか意味わかんない遊びは終わりで!!3日間でしたが、どうもお世話になりました!!あと、昨日助けてくださってありがとうございました、以上!」  なんとか最後まで冷静に言えた。途中で何度も怒鳴りたくなったし、あまりにも通じ合えない会話に、先輩は本当に人間なのか疑いそうにもなったけれど。それでも言いきれた満足感から、先輩の手を握った指に力を込める。  すると、朗らかに笑った先輩が一言。 「嫌だ」  その瞬間、俺の堪忍袋の緒が切れた。  プツンじゃなくブッチーンと激しい音を立てて。

ともだちにシェアしよう!