30 / 123

追いかけっこをしよう

 まずは体育館に逃げて、そこから裏庭を通って特別棟に入った。少し上がった息を身を潜めて落ち着けたら、一気に屋上まで駆け上がる。この棟の屋上に鍵がかかっていないことは、前もって由比から教えてもらっていた。  躊躇うことなくドアノブを回してみると、するりと回ってそれが開く。   視界一杯に青空が広がり、その中心に人の後ろ姿が見える。まさか授業中に先客がいると思わず咄嗟に隠れようとしたけど、そもそも隠れる場所なんてない。    扉が開いた音に、人影が振り返る。キラキラ色の髪ではなく、真っ黒な頭が目の前で揺れた。 「あ?なんでお前がここに?」  聞こえたのは太い声だ。 「ボスゴリラ?」 「ゴリラじゃねぇ。香西様って呼べや、ポチ」 「焦ったぁ……なんだよ、ゴリラのくせに驚かせやがって」 「お前、本当にいい度胸してやがるよな。人の話はちゃんと聞けよ」  そこにいたのは尋音先輩じゃなくてボスゴリラの香西だった。太陽の下、両腕をついて空を見上げる形で座っていた。  俺1人だけだと確認した香西が「扉を閉めろ」と促す。言われた通りにすると、今後は自分の隣を顎で示して、きっと座れと言いたいのだろう。口で言えばいいのに、どこまでも偉そうな男だ。 「香西、こんなとこで何してんの?」 「何って休憩。それ以外何してるように見えるんだよ」 「サボってるように見えるけど?」 「だから休憩だって言ってんだろ」  休憩とサボりの違いって何だろうか。俺からすると同じだけど、香西にとっては違うのかもしれない。  ちっとも悪びれない様子。後ろめたさを感じさせない表情に、俺が来た時も堂々としていた態度。ここに居て何が悪いと言わんばかりの香西が、こちらを向く。 「で、お前は何しに来た?いつも一緒の眼鏡は?」 「眼鏡って由比のことか?あいつなら真面目に授業受けてんじゃねぇの。それが普通だろ」 「その普通じゃない行動をしてるお前はどうしたって聞いてんだよ、柳」  急に名前を呼ばれると驚いてしまう。ポチだとかふざけた名称じゃなく、ちゃんと俺に向かって訊ねてきているんだとわかり、だらけていた体勢を整えて話す姿勢をとった。 「逃げてる。俺は今、平和と安泰に満ちた高校生活の為に、頭のおかしな相手から必死に逃げてる」 「頭のおかしい……ああ、尋音か。それでさっきから走り回ってたんだな」 「見てたのか?どこで?!」  目を見開いて驚く俺に、香西は呆れた顔で「ここ」と返してきた。 「屋上って、結構見えるもんなんだよ。お前が尋音から逃げてるなら、ここに来たのは正解かもな」 「正解ってなんで?」 「どう考えても上からの方が見晴らし良いだろ。指導者ってのはな、全体を見て指示を出すもんなんだよ」  香西の一言で、いつもこいつは屋上から取り巻きに指示をしていたのだと悟った。その字の通り、高みの見物を決めこんでいたのだと。 「サルだけじゃなく、ゴリラも高い所が好きなんだな。勉強になった」 「調子に乗るなチビ」  無意識に出た独り言が聞こえていたのか、香西がものすごい顔で睨んでくる。それに全力の笑顔で応えれば、まるで生ごみを見るかのように眉を顰められた。なんて失礼なやつだ。 「それで、俺だけじゃなく尋音からも逃げてる理由は?先に言っておくけど助ける気はないからな」 「元からお前に助けてもらおうだなんて思ってない。これは俺と尋音先輩との真剣勝負で、由比にだって頼らない」 「ほん。それは殊勝なこった」  助ける気がないなら、どうして俺を呼んだのかがわからない。でも少しぐらいは休憩したかったから、なんとなく香西の隣に座ったまま下に広がる景色を眺めた。  ここからは、香西の言った通り本当に周りがよく見える。校庭にも渡り廊下にも、先輩の姿はない。もしかしたら自分で探さず、香西みたいに取り巻きを使っているのかもしれない。 「いや、それはないか」    あの尋音先輩に顎で使う手下がいるとは思えなかった。志願してくるやつはいても、先輩なら笑顔で「なにそれ」と躱してしまうだろう。

ともだちにシェアしよう!