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蝶々と俺と、先輩とねこ

 全く進まない問題集と、クラゲと幽霊の落書きばかりが増えていく教科書。それに突っ伏してため息を落とせば、俺の髪の毛で遊ぶ由比が口を開く。 「だから、愛知先輩に頼みなって。あの人ならこんな問題、息するより楽に解けるから。柳みたいに無駄な公式をつらつら書くこともなく、頭の中ですぐに答え出すって」 「それじゃ教えてもらっても意味ないだろ」 「じゃあお願いすることだな。先輩、テスト受けたくないにゃんって」  頬の横に置いた拳を揺らして猫のポーズをとり、からかってくる由比の頭を叩く。ずり落ちた眼鏡が中途半端な位置で止まれば、それがあまりにも不格好で笑ってしまった。 「もう絶対教えてやらない。柳なんて赤点とって小遣いなしになっちまえ」 「そんなこと言うなら、俺も由比のイベントの付き添いやめるからな!」  俺は度々、由比のオタク活動に同伴させられる。やれグッズ販売だ、やれライブチケットだのと、行列に並ばされたり必死にサイトにアクセスさせられたりする。  それをやめてやると脅せば、由比の顔に明らかな動揺が出た。 「それは困る。柳が来てくれないと、グッズの上限で2セットまでしか買えないだろ!」 「知るか。なんで同じグッズを何個も欲しがるのかわかんねぇ」 「そんなの携帯用と鑑賞用と、保存用と永久保存用に決まってる」  黙っていれば今時のイケメンのくせに、由比の口から出てくるのはイケメンとは程遠い台詞ばかりだ。今週末も何かのオタクイベントがあるらしく、それに連れて行かれる一般庶民の身にもなってほしい。 「俺に付き添ってほしければ、由比だって譲歩することだな。俺の小遣いがなくなったら、付き添いの電車賃を削るしかないんだから」 「わかった。柳の嫁が見つかるまで、こうして俺が面倒見てやるから」  俺の肩に手を置いた由比が、歯を輝かせて言うけれど……だ。 「その嫁ってのは結婚相手のことか?それとも二次元の嫁か?」 「もちろん二次元。三次元の嫁は自分でなんとかしろ」  ほら。またオタクを爆発させる由比も、結構重度な変人だ。俺の周りには変なやつしかいない。 「とにかく、次のテストも平凡で当たり障りのない点数目指して頑張ろう。間違っても学年トップは柳には無理だからな」 「中学から毎回トップのお前が言うか?」  それでも悲しい事に、由比は学年トップの秀才だ。持って生まれた才能ではなく、連日連夜のように勉強して培った努力の秀才。それに俺が敵うはずがない。 「ま、柳は柳のベストを尽くしなよ。もし駄目だったら愛知先輩がなんとかしてくれるって」 「だから!俺は尋音先輩に頼らないんだって!!」 「無駄だと思うけど。あの人、甘やかすことはあっても誰かを突き放すことはないんだし。だって柳と妖しい遊びしながらも、例の恋人役とも上手くやってんだろ?」  由比の台詞に、瞬間で頭が痛くなった。  そうだ、尋音先輩の博愛主義は筋金入りで本当に酷い。  俺がいようが平気で他の相手、つまり今の恋人と話すし、俺が見ている前で平気で抱きつかれたりする。それに気まずくなった俺が離れれば先輩が追ってきて、その先輩を恋人が追ってきて……で、妙な追いかけ合いが始まる。  猫という不名誉な立場だから俺は何も言えない。あんたに常識はないのかと問い詰めたところで、常識って何?と返り討ちに遭うことがわかっていて、何か言えるわけでもない。 「……はあ。世の中、本当に間違ってる。謙虚で節度がある日本はどこに行ったんだよ」 「それを柳が言う?飼い猫になって幽霊に可愛がられてる柳が?」 「それもそうか……って、可愛がられてないからな!」  こうやって由比と言い合っている最中も、俺の意識は尋音先輩に持って行かれてしまう。  今日はまだ会っていないから、そろそろ現れるには違いないけれど……。  もしまた隣に『恋人』がいたらどうしようかと思うと、微かに残る頭痛が酷くなった気がした。

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