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蝶々と俺と、先輩とねこ

 予想通りと言うか案の定と言うか、それから尋音先輩が現れたのは10分も経たない内だった。公式と単語とその他諸々を詰め込み過ぎた頭が容量オーバーを訴え、もう許してくれと由比に泣きついて、片付けをし始めた頃だった。  ひょっこりと現れた尋音先輩は、こちらに向かって手を振る。いつも俺と一緒にいる由比のことを尋音先輩は何とも思っていないみたいだけど、由比の方はあからさまに表情を硬くした。  尋音先輩の存在に、由比はまだ慣れていないらしい。緊張してますって感じが全身から溢れ出ていて、俺は由比を庇うように1歩前に出た。 「ミィちゃん、勉強は終わった?」  机の上にはもう何も置いていないのに、俺たちが勉強していたことを知っている先輩。視線でその理由を問いただせば、実は1時間前にも覗きに来ていたらしい。 「それなら、声をかけてくれればいいのに」 「真剣に勉強している邪魔はできないからね。それに、あの時は余分なものが勝手に付いて来たし」 「余分なもの……ああ、うん。わかった」  それはきっと先輩の恋人のことなのだろう。  尋音先輩に彼の名前を1度聞いてみたことがあるけど、知らないと笑って返されたことを思い出す。だから俺は彼のことを先輩の恋人って呼んでいるけれど、さすがに先輩はそれじゃあ駄目だと思う。 「先輩、そろそろ名前で呼んであげないと。もう付き合って1週間以上経つのに、名前を知らないのは駄目ですよ」 「短い間なんだから必要ないよ」 「それでも、です。もしかしたら今回は1ヶ月で終わらないかもしれないですし」  先輩が『彼』を本気で気に入れば、きっと『彼』も関係を続行するだろう。  先輩に特別な感情はなかったとしても、『彼』は違う。順番待ちをしてまで傍にいたいと思った人に振り向いてもらえたら……それはとても幸せだと思う。  俺にはまだ恋愛での心の変化はわからないけど、きっとすごく嬉しいのだろうと想像はついた。俺に『彼』の気持ちは分からないし、俺は『彼』になりたいとは思わないけど。  欠片ばかりの親切心からアドバイスした俺に、先輩が苦笑する。 「終わるよ。絶対に、終わる」 「なんでそうやって言い切るんですか?」 「なんでもない。それより終わったなら、今日こそミィちゃんを送って行くね」  俺の鞄を強引に奪った先輩が、扉の方へと向かおうとする。それを咄嗟に引き留めた俺は、何と言って断るべきか考えた。  由比がいるから……は、絶対に駄目だ。そんなことを言ったら由比本人に睨まれるだけでなく、明日から口すらきいてもらえなくなる。いくら由比でも、尋音先輩を敵に回すようなことを言った俺を、1日で許してはくれないだろう。  帰りに寄るところがあるって理由も、じゃあ自分もついて行くと言われたら終わりだし、迎えが来ているっていうのも数日前に使ったばかりで怪しまれる。  ああもう、どうしよう。いい理由が思い浮かばなくて隠れて由比を見ると、我関せずで無心を貫いていた。菩薩のようなその顔を、思いっきり殴りたいと思ったのは当然だ。 「あの、えっと……その。今日はちょっと無理って言うか……」  無理な理由は何?と先輩が雰囲気で探ろうとする。尋音先輩の表情は決して鋭くはないし、怖くもないのに威圧感が半端ない。これこそが王家のオーラなのかと思うぐらいに。 「その……俺……俺」  柳未伊、必死に考えろ。なんとかして捻り出せ。少ない知識を振り絞り、ミジンコの大きさの脳をフル回転させて理由を作れ。自分自身を鼓舞し、持てる全ての力を頭に集めた俺は、勉強していた時よりも考えたと思う。今ならどんな難問だって答えられる。  そんな俺が導き出した答えとは。 「俺、すっげぇ車酔いが酷くて!!車の匂い嗅いだだけでのたうち回って、軽く意識飛ばしちゃうんですよ!!ははっ……はは……はっ、は……は」  完全に間違った。

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