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今日も元気なボスゴリラ

 翌朝。いつもと同じ時間に起き、いつもと同じ通学路で学校へと向かう。  いつもと同じ電車に乗っている時に、もしかしたら昨日先輩と一緒に乗った電車と同じ車両だったりして、なんて考えたけどあり得ないから頭を振って打ち消した。  学校に着いて靴を履き替え、自分の教室へ向かう。そこが見えない内に気づいたのは、いつも以上に静かな廊下だ。朝の賑わいを見せない教室の理由が痛いほどわかっていて、無意識に出たため息が消えてから扉を開けた。  控えめに交わされる会話。無言ではないものの、明らかに誰かに遠慮して声のボリュームを落とす理由。  ここ数日の経験から尋音先輩が来ているんだと思った。今日は朝の挨拶なのか、と自分の席に視線を向けると、先輩は先輩でも違った。  俺はこいつを先輩だなんて、一度たりとも呼んだことがない。 「よう、ポチ」  爽やかな朝に爽やかさの欠片もない顔。勝手に俺の席に座り、片手を上げたのはボスゴリラこと香西秦だ。 「おいゴリラ。なんでお前がここにいる?」 「用があるからに決まってんだろうが。用もなくお前の顔なんか見に来るわけねぇだろ」 「俺はゴリラに用なんてないけど」 「お前になくても俺にある。あと、ゴリラってのやめろ」  そうですか、と乾いた声が出る。いつから俺は平和を失くしてしまったのだろう。幽霊扱いされる尋音先輩と、我が道を行く俺様ボスゴリラと不本意ながらも知り合い以上の関係を保つ俺を、周りはどう思っているのだろうか。  ちらりと視線をやった先、たまに世間話をする学級長と目が合った。途端にそらされたから、あまり快くは思われていないらしい。良くて腫れ物、もしくは可哀想なクラスメイト。悪くて身の程知らずってところか。 「で、俺に用って何?早くしないと、お前の苦手な尋音先輩が来るかもな」  椅子から立つ気配のない香西に呆れつつ、机の上に鞄を置いて隣の席に座る。 「俺は尋音を苦手じゃなく嫌いなんだ。それに、尋音はまだ来てないだろうな。万が一来ていたとしても、どこかで寝てる」 「なんでわかんの?お前、尋音先輩のストーカーか?」  口を開けば尋音、尋音とうるさい香西。本人は絶対に認めようとしないけれど、香西が尋音先輩を必要以上に意識していることは明白だった。それは苦手意識というのだろうか、少し怖がっている部分もあるように見受けられる。 「バカ言え。柳、お前昨日は尋音と一緒に帰ったんだろ?それであいつ、きっつい説教くらったらしい」 「なんで俺と帰って先輩が怒られんの?」 「迎えの車放置で勝手に行動して、何の連絡もなし。慌てて探し回っていたら、本人はのうのうとタクシーで帰宅。聞けば初めて電車に乗って散歩してきた……なんて、あいつの周りが黙ってるわけねぇ」 「えー……たかがそれだけで怒られんのかよ」  何も連絡をしなかったのは良くないけれど、遅くなったと言ってもせいぜい夜には帰宅していたはずだ。どこまで過保護なのかと疑問に思っていると、香西が楽しそうに笑う。 「別に誘拐されただとか、そんな心配はしてねぇよ」 「でも、尋音先輩なら勝手について行きそうだけど。あの人は喧嘩とか慣れてなさそうだし」 「それは本人に聞け。とにかく、周りが心配したのは尋音が逃げたんじゃないかって方だ。残念ながらお前とじゃ愛の逃避行はなかったみたいだけど」 「あってたまるか。こっちは始終ハラハラして、生きた心地がしなかった」  先輩と外を歩くのですら、あれだけ気を遣っただから。その上、想定外とは言え満員電車に乗せてしまった時には、いつ尋音先輩の機嫌を損ねるのかと心配で仕方なかったぐらいだ。  まさかあんなに楽しそうにされると思わなかったから、結果としては悪くなかったけれど。だからと言って、ただ一緒に帰っただけという事実は何も変わらない。 「俺は世間知らずな王子様に、ちょっとだけ社会見学させてやっただけだ」 「社会見学ねぇ。まあ、尋音にとっては知らなくてもいい社会だけどな。あいつが電車に乗る日なんて、もう二度とこない。ああ、お前と一緒だと別な」 「それは俺が庶民的だって褒めてんだよな?」  こめかみに青筋が浮かびそうになる。朝っぱらからバカにされ、お前は何しに来たのだとゴリラを問い詰めたくなる。けれど、廊下側の窓から香西の取り巻き数人が見えて、それは自殺行為だと思った。

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