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今日も麗し王子様

 一体、俺の何が先輩を困らせているのだろうか。先輩が言う『何か困ったこと』って何のことだろうか。聞く前に自分で考えようと頭を働かせば、思ったより考え耽ってしまったらしい。  頬に、ひんやりとしたものが触れる。その元から続くものを視線だけで辿っていくと袖が見えて、ブレザーの濃緑が見えて、皺1つないシャツの襟が見えて、そして喉が。  昨日、電車の中で間近にあった喉が、どんどん近づいてくる。 「えっ、あっ、えっ?!」  近づいてきたと思ったのは錯覚だった。正確には、俺が先輩に近づいていた。頬に触れていた手はいつのまにか首の裏側に。うなじに移動した手で引き寄せられている、そう判断がついた時には、額が先輩の肩に触れる。 「たまには甘えてくれないと。じゃなきゃ無理矢理に鳴かせたくなる」  ゾクッとした何かが背筋を走る。こう……言葉に表現できないものが身体を駆け抜けて、今までに聞いたことのない声色に奥の奥から何かが湧いてくる。  ──駄目だ。駄目。これ駄目なやつ。  本能的に先輩の胸を押した俺は、きっと目を白黒させていたと思う。耳まで真っ赤にして、平凡な顔を平凡で変な顔に変えていたと思う。 「おっ、思い出した!日直だから早く行かなきゃ!日直だから!」  勢いよく立ち上がり、挨拶もなく駆け出す。扉すら開けっ放しで、視界の端に呆気にとられた先輩が映った気もするけど、そんなことを構っている場合じゃない。  とにかく早く逃げなきゃって。一瞬にして雰囲気の変わった先輩から、できるだけ遠くへ行かなきゃと思って足を動かした。  尋音先輩なら追ってこないことはわかっているのに、全力疾走だった。  せっかく自習しようと持ってきた教科書を忘れ、音楽室についても手ぶらで何もすることがなくて。けれど逆に、それが良かったのかもしれない。  こんな状況で勉強なんて絶対にできなかったから。だって尋音先輩の声が耳にまだ残っていて、その後の6時間目も何も手につかなくて、早く帰ってしまおうと鞄を持った俺の前に立ち塞がる蝶々がいて……。  なんで教室に蝶々がいるのだろうって思った時には遅くて。  蝶々だと思ったそれは、ご丁寧にも俺が忘れた教科書とノートを持ってきてくれた尋音先輩だった。 「ひろね、先輩……」  瞬時に緊張が走った俺に、先輩がゆっくりと近づいてくる。教室の前側にある扉から、周りに見られていても堂々と歩いてくる姿は流石だった。  まだHRが終わって時間も経っていない。出て行った生徒も片手で数えられる程度で、残っている大半の視線を全て集めているのに。それでも先輩の動きはぶれない。  尋音先輩は俺だけを見て、俺の元まで真っすぐに来る。 「はい、忘れ物」  左手で差し出されたノートの表紙には、見慣れた字で『柳未伊』と書いてあって、俺のもので間違いない。ノート2冊と教科書2冊を片手で持てるなんて、尋音先輩はもしかして隠れた馬鹿力なのだろうか。 「ミィちゃん?」  一向に受け取ろうとしない俺に焦れたのか、尋音先輩が上半身を屈める。下から覗き込むように見られると、2人の距離が近すぎて、慌てて後ずさった腰が机にぶつかった。  地味に痛くて、思わず眉間が寄る。 「っ、痛い」 「ミィちゃん。咄嗟に反応できるのは良いことだけど、今度からはちゃんと周りを見ようね」 「それを先輩が言いますか……誰のせいだと」 「え、俺?」  ――何もしていないけど先輩の存在が心臓に悪いんですよ。  当然言えるわけもなく、首を振って否定する。すると先輩は、持っていたノートと教科書を机に置き、すぐさま踵を返してしまった。 「あ、ちょっと」  意識せず伸ばした手が、先輩のブレザーの肘辺りを掴む。まだ歩き始めだったからか、先輩の動きを止めるのは容易かった。  何か言わなきゃいけない。引き留めてしまったからには、何か用事がなきゃ変に思われる。わかっていても出てこない言葉に迷い、逡巡する俺を先輩が見下ろす。 「あの……えっと、今日は先輩は……」  

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