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今日はおやすみ
「尋、は?え?あれ?なんっ」
「こんにちは」
隣に立って微笑むのは、尋音先輩だった。ここは挨拶を返すべきなのだろうけれど、驚きすぎて声が出ない。休日の学校でも何でもない場所で、まさか尋音先輩と会えるだなんて思ってもみなかったからだ。
「ミィちゃん、大丈夫?」
口をぱくぱくと動かすだけの俺に、先輩が心配そうな顔を寄せる。この状態でそんなお綺麗な顔を近づけられたら、それこそ死んでしまうかもしれない。だから俺は、何度も首を上下に動かし、必死に頷いて大丈夫だとアピールした。すると、やっと先輩の動きが止まった。
「なん、ここ、せんぱ、なっ」
「うん、ちょっと落ち着こうか。歩けるなら影まで移動しよう」
「は……はあ」
尋音先輩に腕を引かれて木陰へ。広場に備え付けのベンチをさり気なく手で払ってくれた先輩は、俺に座るよう促して自分は立ったままだ。高貴なお方は、不特定多数が使う椅子には座らないってルールでもあるのだろうか。
「落ち着いたなら何か飲む?」
「いや、大丈夫です。ちょっと頭の整理さえさせてもらえれば」
「頭の整理?よくわからないけど、好きなだけ休んでくれていいよ」
そう言って立ち去らないってことは、先輩が付き添ってくれるのだろう。
のんびりと周りを見回した先輩は、目を伏せて黙ってしまう。地面を見つめながら何かを考えているようで、俺が回復するまで尋音先輩は静かに待っていてくれた。
もしかしたら考えているフリをして眠っているだけかもしれないけれど。思考回路が謎なこの人ならあり得る話に、俺は先輩の目の前で手を広げ、軽く振ってみた。
「ん?どうした?」
さすがに立ったまま眠ってはいなかったらしい。顔を上げた尋音先輩が首を傾げる。
「もう大丈夫なんで。えっと……なんで先輩がここに?もしかして先輩も、ぶしょラバ」
いや、絶対にないだろ。自分自身にすら興味のない先輩が、アニメのイベントなんかに来るはずがない。
途中で言葉を止めた俺を、先輩は恒例の瞬きで見守る。なんでもないです、と手を振って愛想笑いをすると、小さく頷いてまた俺から視線を外した。
学校の時とは違い、私服を着た先輩は新鮮だ。普段着でもシャツを着るんだとか、履いてるのはデニムじゃないんだとか、靴はスニーカーじゃなく革靴なんだとか。高校生らしくないと言ってしまえばそれまでで、でも尋音先輩らしいとも思える格好で。
あまりにじろじろ見てしまったのか、先輩が急に俺を振り返る。
「どうした?」
「え?」
「ミィちゃん、さっきからすごく見るから。何か言いたいこと、あるのかなって」
先輩の言葉に俺の方が首を傾げる羽目になる。その理由は、単純だ。
「尋音先輩も見られて何か感じるんですか?」
「え?」
「いやだって、いつも平然としてるから。先輩は人に見られてることに気づいてないのか、見られていても平気なのかなと思ってた」
ああ、と先輩の唇が動く。
「時と場合と、相手によるかな」
「相手?」
「ミィちゃんに見られても嫌じゃないよ。その代わり、ちょっと期待しちゃうけど」
「期待?」
すぐに訊ね返すと、先輩はとても楽しそうに笑う。けれど俺には、尋音先輩が何を考えているのかは分からない。
「ミィちゃんの気分が良くなったなら、お散歩しようか」
「お散歩?」
「たまには飼い主らしいことがしたくて」
それは理由になってないですよ先輩って言った俺の言葉は無視され、尋音先輩が腕をつかむ。急に引っ張られた俺は前のめりになり、その勢いで今日も見に着けている鈴がチリンと鳴った。
振り返った先輩の頬が、これでもかと綻ぶ。
「違いますから!これは由比が!今日は人が多いから、この鈴の音が目印になるって由比が言ったからで!」
着ているTシャツとインナーの下には、先輩から押しつけられた鈴がぶら下がっている。俺がこれを外さなかったのは、本当に由比に着けてこいと言われたからだけど、外さなくてもいいかなと思ったのも事実で。
それがこんなに先輩を喜ばせるとは思いもせず、顔が熱くなっていくのは致し方ない。
「先輩は、今日は用事とかないんですか?」
「ないよ」
「約束……も?誰かと約束してもない?」
「うん。誰とも」
駄目だ。言い切られてしまえば、もう断る理由がない。
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