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第二章 10

「あら…お帰りになってしまったの?わたくしがお待たせしたせいね」 ハイドがファティマを連れて部屋を飛び出して行った矢先、まるで見計らったかのように現れた美しい女。 「ジャーミア…!」 蛇や侍女の変貌ぶりなど今までの一連の流れで錯乱状態に陥っていた女官達は、彼女の顔を見るや否や正気に戻ったかのように顔を上げた。 「…贈り物は気に入って頂けなかったみたい」 ジャーミアは彼女達には目もくれずにぴくりとも動かなくなった首のない蛇に近づき、尾をつまみ上げた。 女官達は顔をざわめいて彼女に問い質す。 「ジャーミア…それ、貴女が入れたの…?」 「そうよ?」 女官のひとりがおずおず聞くと、彼女は悪びれる様子もなく平然と言い放った。 彼女達は目を見開いてジャーミアに詰め寄った。 「何を考えてるの!王妃様からの贈り物の中に蛇を入れるなんてどれほどの不敬か…!!」 「そうよこんな事何も聞いてなかったわ、それにもし私達が噛まれていたらどうするつもりだったのよ!?」 「何とか言ってご覧なさいよ!」 怒り心頭と言った様子で騒ぎ立てる女官達を目前にしても、ジャーミアはその琥珀色の瞳に何の感情も浮かべていない。 「ねえ、お待ちになって」 騒ぐ女官達の中でひとり、一番年嵩そうな容姿の女が戸惑ったように口を開いた。 「どうしてしまったの、ジャーミア。貴女はこんなことするような子じゃなかったはずよ」 彼女はジャーミアに近寄ると不安げに見つめる。 相変わらずジャーミアは人形のように何の反応も示さない。 「私達もね、貴女がどうにも不憫で今まで協力していたけれど…今日お話してわかったの、ハイドランジア殿下は思うほど酷い方ではなかった」 「そうね、とても仲睦まじくお話していらしたものね。色香に惑わされて浅ましいったら」 嘲笑するように侮辱をされ、他の女官達は顔を赤くして彼女を睨み付けた。 「お姉様方酷いわ、わたくしを裏切るなんて…気の毒だから気が済むまで共犯になってくれると仰って下さったのに」 「裏切ったわけじゃないわ!…でも、ここまでするなんて、下手をしたら異国の王子を殺めてしまっていたのよ?いくら王妃様に可愛がられているといっても流石にその事実は庇えないわ。罪人になるのよ?」 懸命に彼女を諭そうとする女官に、ゆらりと首を動かし傾けたジャーミアは暗い目を向けた。 「それがなあに?」 狂気だけを孕んだ瞳。 ジャーミアの瞳は他にはなにも写していない、まるでがらくたの人形のようだった。 「相手がどんな人だとか罪になるとかそんなことはもうどうだっていいの、わたくしはただあの人を傷つけたくてたまらない」 「っ…」 彼女の瞳に呑まれかけた女官はたじろいだが、それでも声を振り絞ってジャーミアを諭した。 「じ、自暴自棄になってはいけないわ…貴女が人を傷付けてしまったらムスタファ様はきっと悲しまれる。貴女がそれを一番わかっているはず…」 その名前を耳にした途端かっと彼女の両目は見開かれ、女官達を見据えたまま蛇の遺体を踏みつぶした。 「わたくしのことは傷付けるくせに、ほら、こんな風に」 何度も何度も彼女は足を振り下ろす。 だんっ、だんっ、と大きな音が絨毯に吸い込まれていく。 「わたくしには他人を傷つけるなと」 嫌な音を立てて血や肉片が飛び散り女官達は青ざめる。 「そんな、勝手な話があるわけないわよね」 髪を乱し、肩で息をしながら蛇の姿を無残に変えていくジャーミアだがその目は虚ろで、恐怖も怒りも悲しみも何もこもっていない。 魔女にでも憑りつかれたかのような異常な姿だった。 「ジャ、ジャーミア…」 「片しておいて」 彼女は傍で控えていた宦官奴隷達に無残になってしまった蛇の亡骸を片付けさせると、女官達に挨拶することもなく部屋から出ていった。 「あの子…どうしちゃったの…?」 誰かが呟いた言葉は彼女の耳には届かなかった。
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